仏事Q&A

観念とは、どういう意味ですか?

観念とは、どういう意味ですか?

これ以上、打つ手がなくなったとき、人は「観念しました」といって頭を下げます。 人は、追い詰められてからやっと観念するものなのです。しかし、本来の観念は追い詰められてするものではありません。観念は普段からするものなのです。   観念とは、源信の「往生要集」に見られる言葉で、一種の瞑想法です。阿弥陀如来や極楽浄土を思い浮かべ、辛いこの世から早く救われたい、極楽へ行きたいと瞑想することなのです。あるいは、極楽浄土を念じることにより、この世の辛さを耐え忍ぶ力を得るための瞑想のことでもあります。 ですから、追い詰められてから観念したのでは遅いのです。普段から観念していれば、心は常に極楽浄土ですから、どんなときも落ち着いていられるでしょう。 極楽浄土や阿弥陀如来にかぎったことではありません。どのような仏様でも菩薩様でも構いません。辛いとき、苦しいとき、心にその仏様を思い浮かべ、その辛さや苦しさに耐えることができる力を念じましょう。いつも観念してみましょう。 きっと、思いもよらぬ力が湧き出てくることでしょう。

煩悩即菩提とは、どういう意味ですか?

煩悩即菩提とは、どういう意味ですか?

煩悩とは心身を煩わせ、悩ませる欲望のことをいいます。決して無くなることのない欲望です。 人は生きている以上、この煩悩につきまとわれるのです。仏教は、この煩悩をコントロールするようにと説いています。 とはいえ、なかなか煩悩をコントロールするのは難しいことです。ついつい欲望に負けて道を外すこともあるでしょう。そんなとき、自分の愚かさがつくづく嫌になることもあるのではないでしょうか? 「あぁ、悟りなど程遠いなぁ」と。 しかし、嘆く必要はありません。煩悩が多くても悟りを得ることはできるのです。煩悩は即ち、菩提なのです。 煩悩が多い人ほど、迷いや悩みは多くなります。それは欲が強いことの表れです。煩悩が少ない人は欲が少ない人ですから、迷いや悩み、苦しみも少なくなります。それはそれで良いことなのですが、悟りへのきっかけには縁が遠くなるのです。 なぜなら、悩みや苦しみが多い人ほど救われたいと強く望むからです。それだけ、救われるきっかけが増えるのです。 悩みや苦しみが多いことを悲観してはいけません。悩みや苦しみから救われたいと強く思う気持ちが菩提心となるのです。 悩みや苦しみをきっかけとして、心安らかなる道を求めてください。それこそが「煩悩即菩提」なのです。

暗証とは、どういう意味ですか?

暗証とは、どういう意味ですか?

この暗証という言葉は、仏教の世界ではあまりいい意味ではありません。 むしろ「暗証とは愚か者め!」と叱咤されるときに使われます。暗証とは、力量のない禅者や、悟ってもいないのに悟ったと偽る禅者のことをいうのです。 禅の悟りは、言葉では伝わらないところにあります。ですから、説明できないことが多いのです。そこで禅問答を通して悟っているかどうか判断するのですが、慣れてくると悟ってもいないのに答え方がわかる場合があるのです。 たとえば、禅問答で答えに窮した場合、相手を叩いたりしても可とされるのです。しかも、それで悟ったと認められることもあったのです。このように、禅の悟りが言葉では説明できないことを利用し、悟ったふりをすることを「暗証禅」といったのです。 世の中を見渡すと、暗証の人が溢れてるともいえるでしょう。わかったふりをして、その実わかっていないという人が多いように思えます。 真実を知るまで「わかった」といわないほうがいいのではないでしょうか? 知らないことは、知ったかぶりしないで素直に聞きましょう。そのほうが自分のためになるでしょう。

退屈を退けるとは、どういう意味ですか?

退屈を退けるとは、どういう意味ですか?

退屈だといって暇を持て余すのは贅沢に思えますが、ある程度を過ぎると意外につらくなります。何もやることがないというのは、苦痛なのです。できれば退屈な人生は送りたくないものです。 仏教の修行者にとっても、退屈は大きな敵です。修行者は決して退屈してはいけません。 なぜなら、退屈とは「悟りを求める心が退き、屈してしまうこと」だからです。つまり、修行が嫌になってしまい、逃げ出したくなることを意味しているのです。 一般的に僧侶の修行は厳しいものです。多くの場合、何ヶ月かの缶詰め生活を送ることになります。世間とは完全に隔離されます。その厳しさに途中でついていけなくなってしまう修行者も出てきます。当初の志はポッキリ屈してしまい、退いてしまうのです。修行は、いわば退屈との戦いでもあります。退屈しないように、退屈を退けるように努力するのです。 修行だけではありません。世の中は退屈との戦いであるとも言えます。仕事、勉強、結婚生活など、すべてにおいて途中で気持ちが萎えたり、目標を見失ったり、嫌になったり、逃げ出したくなったり、夢や希望を簡単に諦めたりしないようにしたいものです。 人生に退屈しないようにしてください。

旦那様とは、どういう意味ですか?

旦那様とは、どういう意味ですか?

「お帰りなさいませ、旦那様」と三つ指をついて、主人を迎える奥様は、最近ではもう見られなくなったのではないでしょうか? 旦那様は「ウチの旦那」に格下げされてしまっているような気がします。 旦那とは、元はサンスクリット語の「ダーナ、ダーン」を音写した言葉で、本来は「檀那」と書きました。 意味は、「布施をする者」です。すなわち、仏教教団維持のため、寺院維持のため、僧侶たちの生活の面倒を見るために布施をした人のことを檀那と呼んだのです。その布施には見返りは求めません。布施をすること自体が修行だからです。 その檀那が、一般社会でも使われるようになりました。つまり、お金を稼いできて、奥さんや子供の面倒を見る主人のことを旦那と呼ぶようになったのです。 さて、世の中の旦那様。「旦那様お帰りなさいませ」と言ってほしいのでしたから、本来の意味の旦那様に戻ったほうがいいでしょう。何も見返りを求めない無償の布施者になるのです。家の中で威張っているような旦那様は、本当の旦那様ではないのです。 威張らず、文句を言わず、奥さんや子供達安楽に過ごせるように生活の面倒を見ることができて、初めて「旦那様」と呼ばれるのです。

「清めの塩」とは、何ですか?

「清めの塩」とは、何ですか?

  火葬場から帰ってきた人や弔問に行った人が、家に入る前に塩や水で身を清めるという風習がありますが、これを「清めの塩」「清めの水」といいます。 火葬場から帰ってきたときは、喪家の家族ではない人に、一人一人柄杓で手に水をかけてもらい清めます。さらに、塩を胸の辺りや背中にふりかけてもらい、死の汚れ、不浄を清めます。水と塩の順序は逆でもさしつかえありません。 近年では、略式の小さな袋に入った清めの塩を告別式に参列した人に、会葬御礼の挨拶状とともに配られるのが一般的です。     塩は生存維持には必要不可欠の物資であり、しかもこれにかわる物質はほかにありません。また、食物やミイラの腐敗を防ぎ、その状態を永続させるという性質を持ちます。そのため古くからどこの国でも塩は清浄の象徴であり、呪術的、宗教的な意味も持たれました。   『旧約聖書』においても、神と人間、人間と人間の間の塩の結合が両者の誓いの不変を意味し、そこから塩の契約の考えが生まれました。ギリシャでも、この塩の誓いを破ることは不実とされていました。 日本でも塩を粗末にすると目がつぶれるなどと言われたように、昔から塩は貴重かつ神聖なものだったのです。夜間は特に塩という言葉を忌み、売買もしない習慣があったほどです。 葬儀の際の清めの塩のほか、料理店や寄席などでは毎朝店の掃除をしてから、縁起を担いて入り口に盛り塩をする習わしがあります。

「香典」と「香奠」の違いは何ですか?

「香典」と「香奠」の違いは何ですか?

通夜または葬儀に参列した際に持参する「香典」。別に「香奠」とも書きますが、古くは香典と香奠とはその意味も異なっていました。 香奠は香を供えること、ないしは香を薫じて供えることです。これは「六種供養」から出た言葉で、『真俗仏事編』によると「仏を供養するには六種(華・塗香・水・焼香・飲食・燈明)あり、香を怠らず薫じれば精進を表す」とあります。 一方、香典は香を買う金銭や品物を差し出す意味です。今日では香奠・香典とも後者の意味を指し、従来の華や米、燈明などにかわって現金を渡すのが一般的となりました。それとともに「香典返し」の風習も行われるようになりました。 香典袋の表書きをどう書いたらよいか迷った場合は「御霊前」とすれば間違いありません。 仏式だけでなく、キリスト教・神式など宗旨に関係なく使えます。ただし、市販の不祝儀袋を用いる場合には、たとえ「御霊前」とあっても、蓮の花がついているものは仏式、十字架のついているものはキリスト教に限られます。 そのほか仏式なら「御香料」「香華料」「御香典」「御香奠」とします。 なお、この場合「御仏前」とするのは本来は間違いです。御仏前は成仏した仏に供えるという意味で、「忌明け」の四十九日以後の法要に供える金包みに使うのです。とはいっても、近年は以前ほど厳密ではなくなり「御仏前」も使われるようになっています。 ちなみに、神式は「御玉串料」「御榊料」、キリスト教は「御花料」「御ミサ料」とされています。

懺悔罪障・滅罪生善とは、どういう意味ですか?

懺悔罪障・滅罪生善とは、どういう意味ですか?

悔過の法要という儀式があります。仏様に対し、日頃自分達が犯してしまった罪を告白し、反省して許していただくという法要です。有名なところでは、東大寺二月堂のお水取りがあります。 仏教は、厳罰主義ではありません。心から自分の犯した罪を懺悔するならば、修行することを許されたのです。例えば、アングリマーラのように。 アングリマーラは催眠術にかかり、九十九人の命を奪ってしまいます。百人目にお釈迦様を狙うのですが、お釈迦様により催眠術を解かれます。殺人鬼アングリマーラは捕まるのですが、極刑にされるところをお釈迦様が引き取り、出家させます。それは、アングリマーラが自分の犯した罪を心から悔いていたからです。 出家したアングリマーラでしたが、街の人々から迫害を受けます。石で打たれたり、棒で叩かれたりもしましたが、一切抵抗しませんでした。自分の罪の重さをよく知っていたからです。 自分の犯した罪がどのようなものであろうと、深く懺悔し反省するのであれば、仏様はその罪を許し、消すとのです。そして、正しい行いに徹すれば善を生じさせるのです。 もし、あなたが罪を犯したのであれば、仏前にて懺悔することをお勧めします。心から反省し、二度とおなじ過ちをしないのなら、きっと罪は消えて善が生じるでしょう。

千社札とは何ですか?

千社札とは何ですか?

千社札は、お寺や神社に参詣した記念として貼る札のことです。   安永年間の江戸に奇人として知られた天愚孔平という人物が、江戸近郊の寺社に参詣し、記念の楽書きとして寺社の柱や壁に自分の名前を書き残していました。やがて筆でサインを書くのが面倒になり「鳩谷天愚孔平」と大きく書いた木版ポスターを大量に刷り、サインの代わりに貼るようになりました。この奇行が反響を呼び、千社札がブームとなったのです。     江戸時代の中頃以後流行したことによって各所で千社札のグループが作られ、争うように千社札が貼られるようになったため、寛政11年には町奉行から禁令が出されましたが、流行が下火になることはありませんでした。   お詣りする記念はいいのですが、ところかまわず乱雑に勝手に貼る傾向が多いので、近頃では千社札を貼るのを断る寺社が出てきました。 何事も自分本位の考えからの行為は慎まなければなりません。

無念とは、どういう意味ですか?

無念とは、どういう意味ですか?

無念とは、心残りなことを意味します。 昔は「残念無念合わせて九年」などと言ったりもしました。念が無いと書くのに、念を残していることを表す不思議な言葉です。   元の意味は読んで字の如くでした。念が無い、無念無想を表した言葉です。何も念は無い、何も思いは無い、という意味です。すなわち「空」です。それが本来の意味なのですが、なぜか人は思いもよらぬことがあったり、急に不幸にあったりすると、残念です、無念ですと言うのです。   念とは、その時の思いのことです。「今の心」と書いて「念」なのです。仏教は、その念を空にすることを説いています。ですから、念を残してはいけないのです。無念でなくてはいけないのです。   大変残念なことがあっても、あるいは失敗をして無念だと思っても、不幸なことがあっても、念を残さないことです。変えられないことならば、念を残さず、思いを残さず、潔く現実を受け入れることです。   いつまでも過ぎ去ったことにこだわらないよう、過去への念は無にしましょう。

「我慢」とは、どういう意味ですか?

「我慢」とは、どういう意味ですか?

仏教修行の一つに「無言の行」という修行があります。この行は、ある一定期間一言も喋らないという我慢の修業です。   無言を通すことは難しいものです。しかし、我慢を通してやり遂げても、あまり褒められたものではないようです。なぜなら、成功者は無言を通すという我慢にとらわれ、驕り高ぶりの心を持ってしまうからです。   そもそも仏教では、我慢はしてはいけないと説きます。我慢とは、自己中心的な心、ここに我ありと驕り高ぶる心、我は永遠なりと勘違いする心のことです。   現代の私たちは多くの我慢を強いられています。また、幼い頃から「我慢しなさい」と言われ続けて育っています。まるで我慢することが美徳であるかのように。   しかし、本当に我慢はいいことなのでしょうか?「我慢しなさい」という言葉の奥には、自分の都合が優先されてはいないでしょうか?「私たちも我慢してきたのだから、あなたたちも我慢するのは当然」という驕り高ぶった気持ちはないでしょうか? あるいは、「我慢している自分」に自己満足してはいないでしょうか?   我慢はしてはいけません。主張すべきは主張し、よく話し合って協調し、納得することが大切です。 無言の行は、言葉の大切さ、また言葉以外で伝わるものがあることを教えています。そして何よりも「我慢することにとらわれてはいけない」ということを教えているのです。

惺々着(せいせいじゃく)とは、どういう意味ですか?

惺々着(せいせいじゃく)とは、どういう意味ですか?

ドラマなどで「目を覚まして!」と語りかけている場面、よく見かけませんか? この台詞は、自分のやるべきことを見失い、自暴自棄になっている相手に対して発せられるものです。 「惺々着」という言葉は、この呼びかけによく似ています。   あなたは目を覚ましていますか? きちんと心を開いてますか?   自分の心の奥底への問いかけにも聞こえます。単調な生活が続く中で、人の心の動くは鈍くなり、本当にやるべきことをすぐに見失ってしまうものです。 そんなときこそ、この言葉で自らの心に問いかけてみましょう。   自らの心の状態をしっかり把握し、鈍っているようであれば目覚めさせること。忙しい日常の中では忘れてしまいがちですが、「惺々着」の言葉は楽な方向に流れやすい人の心を戒めてくれます。 わずかな時間だけでも、自分を見つめ直すことで、目標を見失わずに物事を進めていくことができるでしょう。

勢不可便尽(いきおいいつかいつくすべからず)とは、どういう意味ですか?

勢不可便尽(いきおいいつかいつくすべからず)とは、どういう意味ですか?

ものごとが勢いに乗っている、という状態を体験したことはありますか? 何もかもが上手く運び、このまま目標達成までまっしぐら、そう思える時にこそ、この言葉を思い出してほしいものです。   「勢不可便尽」とは、中国・宋朝時代の法演という僧が四つの戒めの最初に挙げた言葉で「勢いを使い果たしてしまえば、必ず災いがある」と解説しています。   上手くいかない時は自分の行動を省みるものですが、勢いに任せているときは、なかなか落ち着いて自分を客観的に確認することができません。周囲が声をかけてくれても「大丈夫、大丈夫」と突っ走ってしまいがちです。 調子の良い時でも、失敗につながる要素がゼロになっているというわけではないのです。まずは落ち着いて一呼吸。   前に進むことだけに集中するのではなく、少しスピードを緩めて周りを見て下さい。見過ごしていた問題点に気付くかもしれません。 勢いがあるからこそ、余裕を持って進みましょう。

明歴歴露堂堂(めいれきれきろどうどう)とは、どういう意味ですか?

明歴歴露堂堂(めいれきれきろどうどう)とは、どういう意味ですか?

「歴歴」は明らかな状態、「露」は現れるという意味です。 世界は何ら隠されていることもなく、ありのままの姿で明らかに存在しているということです。   では、なぜ世の中がよどんで見えるのでしょう?出会う相手を疑ってしまうのでしょう?それは、あなたの心の目が灰色に曇っているからです。なぜ、灰色に曇っているのでしょう?   まず、自分自身の心に正面から向かってみましょう。世界に迷いはありません。迷いを生み出すのはあなたの心なのです。   「見よ見よ、聞け聞け」と禅師は言います。それは、目・耳・鼻・口・触覚の五感すべてを使って、世界を感じよ、見よということです。 でも、難しく考える必要はありません。あなたの中の妄想・私欲といった邪な気持ちを捨てて、裸の自分で立ち向かいましょう。   あなたが素直になれば、おのずから世界の真の姿がまっすぐ飛び込んでくることでしょう。

襤褸(らんる)とは、なんですか?

襤褸(らんる)とは、なんですか?

江戸時代後期の僧侶・良寛が詠んだ詩に「襤褸又襤褸 襤褸是生涯」という句があります。 襤褸とは、ぼろ布のような衣のことです。破れて穴の開いたような服、まるで自分の人生のようだ・・・。そう詠んだ後、良寛は続けて「食事を恵んでもらっているし、家も雑草がはえている。月を見ては詩を詠んで暮らし、このような愚か者になった」と、自分の人生をありのままに詠んでいます。 現代の生活に照らし合わせてみると、少しみじめに思えてしまうかもしれません。   良寛は誰にでも分かり易い言葉で仏様の教えを説きながら全国を巡りました。自らの寺だけではなく、衣にもこだわらず、執着というものの対極にあるような人生を送った良寛に、学ぶところは多いはずです。

お墓にお供えしたものは、どうすればよいのですか?

お墓にお供えしたものは、どうすればよいのですか?

亡くなられた方の好物だったものを、ぜひお供えしたいと思うのは人情です。 ですから、お墓ばかりではなくお寺で法事をする時も、好きだったもの、食べさせてあげたいものなどを供物としてお供えするのですが、お墓にお供えする場合は、後の始末のことも考えて下さい。   たしかに、好物をお供えするというのは大変結構なことなのですが、お墓にそのまま供えっぱなしにしておくと、夏だったら腐ったり、あるいは鳥や犬、猫、虫などが食べ散らかしたりして周りを汚してしまいます。ことに夏などは、ものによっては異臭を放つ原因ともなって、周囲に大変迷惑をかけることになってしまいますので、とくに、お墓には供えっぱなしにすることはやめましょう。   ある地方では、お墓の前に席を設けて、一族郎党が供物をお墓にお供えするのと同時に、同じものを一緒に食べるという風習がありました。これは、亡くなられたご先祖様と食べるものを共にするということで、ご先祖様と共に生きるという証でもあったのです。   お墓にお供えしたものを、そのままくず籠に入れるというのは、気持ちのうえでも忍びないことですが、いったんお供えして召し上がっていただいたわけですから、ご自分で始末するようにしましょう。

歩歩是道場(ほほこれどうじょう)とは、どういう意味ですか?

歩歩是道場(ほほこれどうじょう)とは、どういう意味ですか?

静かな修行の場を探していた修行僧がいました。ある街で維摩居士と出会ったので、「あなたはどこから来たのですか?」と尋ねたところ、居士は「道場から来た」と答えました。 その道場はどこにあるのかを問うと、居士は「まっすぐで素直な学びの心を胸にしっかり持っていれば、どんなところでも修行の場になる」と答えました。 あなたは夢を持っていても、その夢に近づくための学びの場がないといって、夢を諦めていませんか? 営業職に就きたかったのに、事務に回されたと嘆いていませんか?   学びの種はどこにでも落ちています。成長の花は、どこでも咲く可能性があるのです。   後は、あなた次第です。その場所で学んだことを生かせるかどうか。   生かせないと嘆くのではなく、生かせばいいのです。 全ては未来へとつながっています。

明珠在掌(みょうじゅたなごころにあり)とは、どういう意味ですか?

明珠在掌(みょうじゅたなごころにあり)とは、どういう意味ですか?

いつも温かく見守ってくれる家族や、やりがいのある仕事、理解のある友達。生活に何一つ不自由がないのに、どこか虚しく感じてしまう・・・。そんな方は、大切なものに気づけなくなっているのかもしれません。   「明珠」とは、高価な宝石のことです。「明珠在掌」とは、手の中にもう持っている宝を見落としているという意味の禅語です。 毎日の暮らしは同じことの繰り返しといいますが、それは無意味で虚無感を覚えることなのでしょうか?     日に三度の食事をして、夜は布団で眠る幸せ。あなたにうるさくお説教するけれど、最後は何があっても味方をしてくれる両親がいる幸せ。暑い日には涼しい服を、寒い日には暖かいコートを着られる幸せ。   あなたの周りは小さな幸せで満ちています。きっと、あまりにも当たり前すぎて今まで見落としていたのでしょう。すぐそばにある幸せを、一日に一つずつ噛みしめてみましょう。   心が充足感でいっぱいになるはずですよ。

莫妄想(まくもうそう)とは、どういう意味ですか?

莫妄想(まくもうそう)とは、どういう意味ですか?

莫、これは「莫れ(なかれ)」という言葉で、退ける・排除するというような意味があります。妄想にとらわれるな、あれこれ思い悩むのをやめなさい、という呼びかけです。   鎌倉幕府の執権・北条時宗が戦の方針に悩み、中国から招いていた禅の師に、どうすればよいか教えを請いました。すると「莫妄想!」と一言返されたそうです。これを聞いた時宗は悩むのをやめ、できる限りの軍備を固めて方針を決定したと伝えられています。   不安や心配、疑念は常に人の心を惑わせ、それらはいつしか妄想となり、正しい方向を見失わせます。自分自身で作り出した妄想の迷路に迷い込む前に、この「莫妄想」という言葉を思い出し、声に出してみて下さい。   余計な疑念を捨て去り、今の状況を素直にとらえ、現実をまっすぐに見据えることができれば、答えは意外と近くにあったりするものです。凝り固まった妄想を退け、常に正しい道を選び取れば、何事もきっとうまくいきます。

不定(ふじょう)とは、どういう意味ですか?

不定(ふじょう)とは、どういう意味ですか?

自分には明るい未来などない、と諦めてはいないでしょうか? このままつまらない人生が続くのだ、と決めつけてはいないでしょうか? もし、自分の未来を諦めたり、決めつけたりしているのでしたら、その考えはすぐに捨ててください。 未来は決まっていないのです。   お釈迦さまは、世の中は「諸行無常」であると説きました。世の中のありとあらゆることは同じ状態ではなく、常に変化しているという意味です。すなわち、未来は決まっているのではなく、絶え間なく変化しているのです。 それを後の高僧は「不定」だといいました。   未来はどのように変化するのかわかりません。何が幸いするのか、何が禍となるのかは誰にもわからないことなのです。また、幸いだと思ったことが禍をもたらすこともあります。禍だと思ったことが幸いに転じることもあります。   自分で自分の未来を決めつけてはいけません。何がどう転んでどう変化していくのかは、誰にもわからないのです。だからこそ、自分の努力で変えられることもあるのです。変えようと思えば、変えられることもあるのです。現状に不満足なら、不平不満があるのなら、それを打破することもできるのです。   未来は不定であり、世の中は無常なのです。 ならば、自分で道を切り開いていくことも可能でしょう。

大袈裟とは、どういう意味ですか?

袈裟は、お坊様が身に着ける衣の中でも最も大切なものです。袈裟を身に着けるということは、正しい僧侶の証でもあるのです。   袈裟とは、サンスクリット語の「カシャーヤ」を音写したものです。翻訳すると「赤褐色」となります。「壊色(えじき)・染衣(ぜんね)」とも訳されます。 袈裟は本来ボロ布をつなぎ合わせて作られていました。そして牛糞や泥、ウコンなどで染めたのです。そこからカシャーヤと呼ばれるようになったのです。現在でも、袈裟はいくつかの布を縫い合わせて作られていますし、如法衣といわれる日常に使う袈裟は深いウコン色をしています。     さて、その袈裟には種類があります。普段使用しているのが如法衣です。大きな法会のときには衲衣といわれる豪華絢爛な袈裟を身に着けます。これがいわゆる大袈裟といわれるものです。 衲衣は、位が上位の僧侶が身に着ける袈裟です。実力もないのにこの袈裟をつけると批判されました。また、衲衣は重いので、身に着けると威張って見えるのです。そうしたことから、小さなことを大きくいうことを大袈裟というようになったのです。   事実は事実の通りに伝えたほうが良いでしょう。小さなことを大きくいう必要はないのです。自分の実力に見合っていないことは、すぐにわかってしまいます。あまり大袈裟にいったり、大袈裟な態度をとったりすると、恥をかくだけなのです。

「善をも思わず 悪をも思わず」とは、どういう意味ですか?

「善をも思わず 悪をも思わず」とは、どういう意味ですか?

よく、歴史上の人物を善悪で判断することがあります。 この人は大勢の人を苦しめたという説があれば、反対に、社会事業をやり遂げたと称賛する説もあります。   でも、実際のところ人の評価は割れるものでどちらともいえないですよね? 善か悪か、甲か乙か、といった二元的な選択肢から逸脱した境地に立つことがすすめられます。   善悪の判断基準は、あくまでも人が心の中に作り出した判断基準でしかありません。良い悪いというフィルターに惑わされていると、大切なものを見逃してしまいます。善い悪いだけでは判断できないことだってたくさんあります。   もともとこの天地には上下左右がないのです。そう考えてみれば、邪なものにとらわれず、本来の純粋な姿が見えてくるものです。   さあ一度、善悪の概念から解き放たれてみましょう

禅宗で「玄関」とはどういう意味ですか?

禅宗で「玄関」とはどういう意味ですか?

住宅で最初に入る入り口を玄関といいます。毎日丁寧に掃き清めたり脱いだ靴をちゃんとそろえるよう、親に口うるさく注意されたことがある人も多いのではないでしょうか? 玄関は一般的にも浸透している言葉ですが、玄関が住居の入り口という意味になったのは江戸時代以降のことです。   本来、玄関とは「仏道への入り口」という意味の禅宗の言葉でした。厳しく長い悟りへの道をくぐる人へ「玄関」を設け、その心構えを説いたのです。   今でも禅寺では、玄関をとても大切にします。あらゆる人やものを通す玄関は、要所であると同時に象徴ともいえます。   あなたはふだん玄関を意識して暮らしていますか? 家の顔であり、人を招き入れる玄関、毎日使う場所だからこそ、念入りに掃除をして整えておきたいものです。靴をそろえて端に寄せる、靴箱に片付ける、雨露やホコリは玄関をくぐる前にはらう。   小さなことですが、こうしたことに気を配れない人は、他人にも気を配れるはずがありません。 毎日の小さな積み重ねをおろそかにせず、日々を過ごすよう心掛けていきたいものです。

一行三昧(いちぎょうざんまい)とは、どういう意味ですか?

一行三昧(いちぎょうざんまい)とは、どういう意味ですか?

一行とは、まっすぐで分別にとらわれない純真な心のこと。三昧とは、一つのことに集中して一心不乱に取り組むさまをいいます。一つのことに精神を統一しているときは、それ以外の想念は入る余地がありません。 あなたにとって、何をしているときが「一行三昧」になれるときですか?     雑念、妄想などすべて忘れて、一つのことだけにただ没頭する、そのときにこそがまさに「一行三昧」の心境なのです。その後は、気持ちは晴れ晴れし、ストレスも吹き飛んでしまうでしょう。   ただし、禅語における本来の三昧は、全身全霊そのことに徹し、なりきりながらも、なんら自性を失うことなく持続することを意味します。 「夢中になって取り組む」とは、若干ニュアンスが違うようですね。 釣り三昧もゴルフ三昧も遊びになるという程度の意味でしかありません。 もっと厳しく純粋であれと戒められているとでもいいましょうか。

因縁生滅理(いんねんしょうめつり)とは、どういう意味ですか?

因縁生滅理(いんねんしょうめつり)とは、どういう意味ですか?

因縁というと「因縁をつける」というように、あまり良い意味では使われません。しかし、因縁は仏教の基本的理念です。 一切の存在は、すべてその存在原因があります。原因に様々な作用が影響して、存在が生まれてくるというのが因縁です。原因が「因」で、作用が影響することを「縁」といいます。あらゆる存在や現象、結果はすべて因縁によるものです。   この世の存在と出会ったり関係しあったり、様々な現象や出来事と出会うのは、この世に自分自身が存在するからです。「我」というものが存在しなければ、この世の一切の存在や現象と関わることはありません。ですから、一切の存在が存在する理由は「我」が存在することによります。     「我」が滅してしまえば、一切の存在も滅します。これが「因縁生滅理」です。「我」が生じるから一切が存在し、「我」が滅すれば一切が滅するのです。これを理解すれば悟りに至ります。 ならば、自分を滅してしまえば色々な悩みや苦しみから解放されるのか?というと、そうではありません。ここでいう「我」を滅するとは、生きていて行うものであり、自分が死ぬということではないのです。   「我」を滅するとは、自分と他人の差別を無にし、誰にでも平等に接することができ、どんなことが起きても怒らず、嘆かず、怨まず、妬まず、清々しい気持ちでいられることです。 それが「我」を滅することなのです。

一切有為法 如夢幻泡影(いっさいのういのほう むげんほうようのごとし)とは、どういう意味ですか?

一切有為法 如夢幻泡影(いっさいのういのほう むげんほうようのごとし)とは、どういう意味ですか?

毎日クタクタで、明日のことも考えたくない。子供のころは夢もあったけど、大人になったらそんなことを考える余裕もない。 昔に比べて現代はスピード感ばかりが重視され、まるで何かに急かされているように生きている人も多いのではないでしょうか?瞬く間に過ぎていく日々に乗り遅れないようにするだけでも大変な労苦です。   「一切有為法 如夢幻泡影」は、『金剛般若経』の一説にある禅語で、この世はすべてが夢まぼろしであり、水泡や影のようにはかないものという意味です。 この教えでは、この世のものは一切実体がない姿で無常なのだから、執着する必要がないと説いています。と同時に、あっという間に過ぎていく一生であるからこそ、精一杯にその生命を生きることの大切さを伝えています。   人生は一度きり。そしてその人生は短くはかないものです。   忙しいからといって近い未来にも目をやれない。考えるのが億劫だからと無為に日々を過ごす。なんともったいないことでしょうか?

掲諦掲諦(ぎゃーていぎゃーてい)とは、どういう意味ですか?

掲諦掲諦(ぎゃーていぎゃーてい)とは、どういう意味ですか?

勝利した時、思わず声をあげてしまうことがあります。いわゆる勝利の雄叫びです。 それは、お釈迦さまでも例外ではありませんでした。   仏教でいう最大の勝利とは、悟りを得ることです。悟りを得た時、お釈迦さまも勝利の雄叫びをあげました。皆さんもそれを知ることができます。なぜなら、それは般若心経に説かれているからです。 般若心経の最後の真言をご存じでしょうか?   「掲諦掲諦 波羅掲諦 波羅僧掲諦 菩提薩婆訶」   漢字は当て字で、サンスクリット語を音写したものです。元は、「ガテーガテー パーラガテー パーラサムガテー ボーディ スヴァーハ」です。通常の訳では「往き往きて 彼岸に到達せり 悟りよ 幸あれ」となります。が、これではあまり実感が伝わらないように思います。   この真言は、お釈迦様の勝利の雄叫びです。もっと感情がこもっていたはずです。例えば「至った至った、ついに至った、とうとう至った、悟ったぞ。ばんざい!」といったように・・・。   般若心経は、空を説いたお経といわれていますが、それだけではありません。もっと重要なことは、お釈迦さまが悟った瞬間を追体験できるということです。それが最後の真言なのです。「掲諦掲諦・・・」と唱えるとき、お釈迦さまと同じ境地に思いを寄せることこそが、般若心経で説く最も重要なことなのです。皆さんもお釈迦様の勝利の雄叫びを味わってください。

和光同塵(わこうどうじん)とは、どういう意味ですか?

和光同塵(わこうどうじん)とは、どういう意味ですか?

「あなたは一人ではありません。私をごらんなさい。」 振り返ったガネーシャは、そこに自分と同じ姿(象頭人身)をした女性を見ました。彼はその女性に抱きつき、涙を流しました。 ガネーシャは、大自在天の息子です。大自在天は、シヴァ神のことで、仏教では魔神とされています。妻ともども諸悪の限りを尽くし、仏教修行者を誘惑する悪魔でした。 その息子のガネーシャは大自在天も手を焼くほどの悪魔でした。目に余る所業に大自在天は怒ります。そして、ついに彼の首をはね、最初に出会った生き物の首をつけよと命じます。それが象だったことから、象頭人身のガネーシャが誕生しました。 ある時、ガネーシャは湖のほとりに一人で佇んでいました。己の醜い姿を嘆き、死を決意したのです。彼は孤独でした。そこに、自分と同じ姿をした女性が現れたのです。 その女性は観音様が変身した姿でした。 ガネーシャは救われました。自分と同じ姿をした者がいることを知り、孤独を癒すことができたのです。それ以来、ガネーシャは心を入れ替え、歓喜天として祀られるようになったのです。   間違った道にいる人を正すとき、頭ごなしに𠮟りつけても相手は聞く耳を持ちません。理想ばかり述べても現実は異なるといわれるでしょう。叱るよりも、自らの光を和らげ、相手と同じ立場をとる、それが相手を救う早道です。偉そうな態度では誰もついては来ません。たまには、塵にまみれて相手の立場を知ることも大切でしょう。 孤高の聖者では人は救えないのです。   (注意:ガネーシャについては諸説あります)

一切有為法 如夢幻泡影(いっさいのういのほう むげんほうようのごとし)とは、どういう意味ですか?

一切有為法 如夢幻泡影(いっさいのういのほう むげんほうようのごとし)とは、どういう意味ですか?

毎日クタクタで、明日のことも考えたくない。子供のころは夢もあったけど、大人になったらそんなことを考える余裕もない。 昔に比べて現代はスピード感ばかりが重視され、まるで何かに急かされているように生きている人も多いのではないでしょうか?瞬く間に過ぎていく日々に乗り遅れないようにするだけでも大変な労苦です。   「一切有為法 如夢幻泡影」は、『金剛般若経』の一説にある禅語で、この世はすべてが夢まぼろしであり、水泡や影のようにはかないものという意味です。   この教えでは、この世のものは一切実体がない姿で無常なのだから、執着する必要がないと説いています。と同時に、あっという間に過ぎていく一生であるからこそ、精一杯にその生命を生きることの大切さを伝えています。   人生は一度きり。そしてその人生は短くはかないものです。   忙しいからといって近い未来にも目をやれない。考えるのが億劫だからと無為に日々を過ごす。なんともったいないことでしょうか?

誘引開導(ゆういんかいどう)とは、どういう意味ですか?

誘引開導(ゆういんかいどう)とは、どういう意味ですか?

最後通告をする時などに「引導を渡す」といいます。この「引導」とは、そもそもお葬式で僧侶が死者に死を告げ、あの世に導くという意味です。これは「増壱阿含経」に説かれている話が元になったとされています。   お釈迦さまが大愛道比丘という弟子が亡くなったとき、人生無常と涅槃常住を説きました。この逸話が元になって、死者に対し諸行無常・涅槃寂静を説く習慣ができ、葬式へと発展していったのだそうです。これが、後々死者へ引導を渡すという言葉となったのです。   引導には、もう一つ意味があります。それは、法華経に説く「誘引開導」という言葉です。引導は「誘引開導」の省略です。その意味は「人々を導いて仏陀の教えに引き入れること、正しい方向へと導くこと」です。こちらが本来の引導の意味になります。   人々を正しい方向へ導くことは、大変難しいことです。人々だけではありません。学校では先生が生徒を、会社では役員が経営を、家庭では親が子を、正しい方向へ導かねばなりません。しかし、必ずしもそれが成功するとは限らないのです。   正しい方向へ導けるかどうかは導く者の力量にかかっています。導く者の能力によっては、方向を見失ったり誤ったりもします。導く者は責任重大です。己が人を導くに相応しいものかどうか、現在の導きが正しいのかどうか、時折省みるのも大切なことでしょう。もし、方向性に疑問があるのなら、勇気を持って変更しましょう。それが引導する者の責任なのです。

お経はどのようにしてできたのですか?

お経はどのようにしてできたのですか?

お経は、お釈迦様の教えを文字にしたものです。 お釈迦さまは悟りをひらかれてから八十一歳でお亡くなりになるまでの約五十年間、多くの人々に対して教えを説かれました。その人に応じて、または時に応じて教えを説かれたのですが、当時はお弟子たちがみんな口伝えで伝えていました。 お釈迦様のご入滅後そぐ、後世に誤り伝えられないようにと、お弟子たちが集まってお釈迦様の説かれたものを編集しました。これを結集といいます。   まず、常にそばに仕えていた阿難尊者が「このように私は聞きました(如是我聞)」と、自分の記憶していた言葉を唱え、それを全員が承認したものが今日のお経として伝えられました。そのためだいたい「如是我聞」で始まっています。このようにして何回もの結集が行われ、後になって文字に書き写されることになったのです。 教えを説かれた「経」と、お互いに守るべき規律「律」と、それらを解釈したり、注釈を加えたりした「論」の三つが伝えられ、これら三つに精通した人を「三蔵法師」とよんでいます。   お釈迦様のこの教えを、現地の言葉(パーリー語)で伝え、スリランカ、タイ、ビルマなど、南方に伝えられたものを「南伝大蔵経」といい、インド西北部から中央アジア、中国に伝えられたものを「大乗経典」とよんでいます。   『法華経』をはじめ、日本に伝えられている各宗の経典はだいたいこの大乗経典です。ですから、誤って読んだりしてはいけないので「読経」といういように、お経本を見て一字一字正しく読むことが大切です。 日蓮聖人はお経に対する態度として「法華経を他の人たちが読まれるのは口先ばかり、言葉の上ばかりで心から読まない。心で読んでも、法華経を信じ実践することがない。身にも心にも共に体得されることこそ尊い」と言っておられます。

禁欲とは、どういう意味ですか?

禁欲とは、どういう意味ですか?

仏教の修業は、禁欲主義的であると思われている方が多いのではないでしょうか? 確かに、僧侶の資格を取るための修業は禁欲状態にあります。一般社会とは隔絶され、テレビや新聞も見ることはできません。俗世間の人や異性との会話も禁止です。   ところが、その修行を終えると後は自由です。引き続き禁欲主義でいくのか、俗人と同じような生活をするのかは自由に選択できるのです。 禁欲主義でいく場合、妻帯はできません。二百五十の戒律をできるだけ守る生活をすることになります。戒律の中には、異性と一対一で話をしてはならぬ、という戒もありますので、教えを説くときには注意が必要です。 一方、戒律に縛られることなく、俗人と同様の生活を選べば妻帯はできますし、お酒を飲むことも許されます。ただし、人に教えを説き、仏道に導くためならばです。己の欲望を満たすためではいけません。 しかし、実はこれは難しいものがあります。羽目を外しすぎてはいけませんし、俗にとらわれてもいけません。俗にあって俗に染まらずという強い心を持たねばならないのです。ですから、絶えず自分を客観視し、制御しなければならないのです。これこそが本当の修業なのです。   欲に迷うものの気持ちを知るためには、一度自分も欲に迷うことが必要でしょう。きれい事では話を聞いてもらえません。しかし、欲に迷っても、その欲にとらわれてはいけません。ここに俗か聖かの分かれ道があるのです。

前三三後三三(ぜんさんさんごさんさん)とは、どういう意味ですか?

前三三後三三(ぜんさんさんごさんさん)とは、どういう意味ですか?

人間は分かり易い数字に惑わされやすい生き物です。レストランのランキングで1位のお店だから美味しいと思ったり、売り上げ1位の商品だから自分も欲しくなったり。   でも、よく考えてみて下さい。1位のレストランが絶対美味しいとは限りませんし、宣伝広告の数字が大きくても質の良いものとは限りません。   「前三三後三三」。ある僧が旅の途中で文殊菩薩と出会ったときに言われた言葉です。僧が「あなたの住んでいるところでは、仏の教えに従っている方はどれくらいいますか?」と尋ねたとき、文殊菩薩が答えた言葉です。 前に三×三で九、後ろに三×三で九ということです。 前にも後ろにもいくらでもいるともいえるし、いないともいえます。 つまり、見た目の数字に意味はなく、仏の心をきちんと宿しているかどうか、それにこそ本質があるということです。 見た目の数字にとらわれず、本当に必要なものかどうか、もう一度心に問いかけましょう。

鳥啼山更幽(とりないてやまさらにしずかなり)とは、どういう意味ですか?

鳥啼山更幽(とりないてやまさらにしずかなり)とは、どういう意味ですか?

深い山中で、鳥が一声鳴いて去っていった後の静けさ。鳴き声がやむと、その山の静けさがさらにしんと伝わってくる情景。その寂しさを表した言葉です。六世紀頃に活躍した詩人・王籍の詩の一説からの引用です。   何も起こらない景色は平穏なものです。しかし、その静けさを打ち破るものがあることで、元の静けさがより深く感じられる・・・。 まるで人生の苦難をうまく言い表している言葉のようです。   平穏な日々は有難い。波風立てずに暮らしたい。でも、あなたがより成長を望むのであれば、時には苦難に直面することもまた必要です。その苦難を乗り越えることで、大きな視点で物事を見られるように成長するでしょう。 日常の愛おしさも深く感じられるようになります。   苦しみを避けるのは簡単です。静かな山に佇むのもいいでしょう。しかし、苦難を乗り越えてこそ、人生がより奥深くなるというのもまた真理なのです。

人人悉道器(にんにんことごとくどうきなり)とは、どういう意味ですか?

人人悉道器(にんにんことごとくどうきなり)とは、どういう意味ですか?

道器とは仏道を修めるに足る資質を備えた人のことをいいます。誰でもその可能性は秘めています。 問題はその可能性を生かせるかどうか、ということではないでしょうか?   道を極める、努力することによって備わっている可能性は花開きます。試すこともなく「自分には無理」と決めつけて何もしなければ、せっかくの可能性をつぶしてしまうかもしれません。 それでも自分のことが信じられないならば、ダメもとで一度チャレンジしてみましょう。   すべての能力を出し尽くして、それでもダメだったら諦めることも無駄ではありません。 諦めた先に別の才能が開花し、道を極めることがあるかもしれません。秘めたる可能性もラッキーチャンスも生かすか殺すかはあなた次第です。 どちらに転んでも結果はきっと生かせます。ならば試してみる価値はありますよね。

曹源一滴水(そうげんのいってきすい)とは、どういう意味ですか?

曹源一滴水(そうげんのいってきすい)とは、どういう意味ですか?

ある日、京都にある曹源寺というお寺の儀山和尚は、お風呂に入ると湯が熱かったため、風呂当番に水を汲みに行かせました。修行者は急いで、裏の井戸から汲み上げた水を手桶で何度も運びました。よい湯加減になり、和尚が「もうよろしい」と言ったところ、風呂当番は余っている水を捨てて、桶を伏せました。その途端、和尚は次のように𠮟りつけました。   「わずかな残り水だからと思って捨てたのであろうが、なぜ植木にかけてやらん。花にかけてやれば花の命になるじゃないか。水は天からの頂もの。空から落ちてくる一滴一滴の雨水のおかげで、すべての命が生かされているのがわからんか。」 一滴の水が大河になるさまは、たった一人の説法が師匠から弟子へ、弟子から弟子へ、やがて世界に伝わり人々を救済するさまと重なります。一滴だからと粗末にしないこと。その一滴の水が大海の源泉になるかもしれないのです。   水一滴、一人ひとりにはとてつもない可能性が秘められているのです。

規矩不可行尽(きくおこないつくすべからず)とは、どういう意味ですか?

規矩不可行尽(きくおこないつくすべからず)とは、どういう意味ですか?

「うちの会社はそういうルールだから」と言い訳していませんか? 「規矩」とは、手本や規律という意味です。規律通りに行動しつくすことを「べからず」、「あってはならない」といっています。 学校や会社など組織の中では、当然ですが規則がなければ人を動かせません。でも、何から何までその規則通りにやることを徹底していては窮屈で人は伸び伸びと育ちません。自分で臨機応変に考えるという自由も縛られてしまいます。       ルールは時代と場所によっても異なってきます。世の中にはいろいろな考え方をする人がいるのです。 一人一人の個性を見つめて、その人、そのグループに合ったルールを作っていきましょう。 それがリーダーに求められる素質です。細やかな時代の変化や感情の揺れ動きを見逃さないでください

「工夫」とは、どういう意味ですか?

「工夫」とは、どういう意味ですか?

ふだん私たちが使う「工夫」という言葉は、禅語からきた言葉の一つです。 禅語では一心に修行に励むことを意味し、座禅を組むことを「静の工夫」、掃除や片付け、畑仕事などの作務を「動の工夫」といいます。   一方、現代でいう「工夫」とは、思案してより良い方法を考えるという意味をもちます。修業とは異なりますが、少し意識を変えるだけで、私たちの日常生活はより良いものに変わっていくはずです。 それぞれに与えられた人生と境遇の中で生まれる、不平不満も妬みも自分で工夫をして暮らすことで消えてなくなるはずです。   たとえば、一日一日を有意義なものにする「日々是好日」、誰に対しても差別のない心を持つ「喫茶去」など、禅の教えは日々のそこここに活かすことができるのです。 禅の言葉が持つ、充実した日々を過ごして人生を豊かにする知恵と工夫の数々は、必ずあなたの人生の助けとなり、指針となるはずです

百尺竿頭に一歩進む(ひゃくしゃくかんとうにいっぽをすすむ)とは、どういう意味ですか?

百尺竿頭に一歩進む(ひゃくしゃくかんとうにいっぽをすすむ)とは、どういう意味ですか?

「百尺竿頭」は三十メートルほどの長い竹竿の先端の意で、厳しい修行を経て到達できる悟りの境地を意味します。 そこまでたどり着いても満足せず、もう一歩先に行けというわけですが、その先にはもう竿がありませんから進めません。では、どうするのでしょう? 後ろに進むのです。悟りの境地を得るために、一人で向上したその修行を一歩進めて「後退」し、人々のために尽くすところに降りていく。 目的を達成したときに得たものを守り満足するのではなく、自分の経験を人々に役立てるための新しい一歩をみつけましょうということです 合格した時、結婚した時、事業に成功した時、目標を達成した時に、それに満足して歩みをとめないことが大切なのです。 物事を極めようとしても、そこに限界はありません。その位置に満足してとどまり執着すると、失うことの悩みが始まります。 人生には常に次のステップがあるのです。

掬水月在手 弄花香満衣(みずをきくすればつきてにあり はなをろうすればかおりころもにみつ)とは、どういう意味ですか?

掬水月在手 弄花香満衣(みずをきくすればつきてにあり はなをろうすればかおりころもにみつ)とは、どういう意味ですか?

どうして私ばかり損をするのだろう。なぜいつも自分だけ認めてもらえないのだろう。 努力をして頑張っても結果が出なかったり、周囲の人とつい比べてしまって不平不満をためこんでいませんか?   唐代の詩人・宇良史による『春山夜月』の詩の一説にあるのが、「掬水月在手」です。春の月夜に、手水鉢の中の水を手で掬うと、両手の中にある水面に輝く月が映っていたという、優美な情景を詠っています。   禅語では、月の光はすべての人に平等に注がれるものとし、また月夜の晩に水を手で掬えば、誰しもが手の中に月の姿を掬い取ることができると説いています。   見えなくても、誰にも平等に環境は整っているものです。ただ、それに気づかないだけなのです。損得や勝ち負けなど、見えない評価を欲する煩悩のために、不平不満をためる必要はありません。   平等にある環境に手をのばして掬うか否か、光を自分のものにできるかどうかは、すべてあなたの心と行動しだいなのです。

色即是空(しきそくぜくう)とは、どういう意味ですか?

色即是空(しきそくぜくう)とは、どういう意味ですか?

あなたにとって幸せとはどんなものでしょう? 会社での地位や名誉、世間からの称賛を得ることでしょうか?それとも、お金持ちになって望むものを好きなだけ買える生活を送ることでしょうか?     「色即是空」とは、この世にあるありとあらゆるもの全ては無であると説いた般若心経の一説です。目に見えているもの、あると思っているもの全てはうつろうものであり、中には消えてしまうものもあります。   人間が常に意識してしまう地位や名誉、お金といったものは絶えず変化をし、良い時もあれば悪い時もあります。実体があるようでない、こうしたものに執着して心を惑わされ、一生を過ごしてしまうのはもったいないことです。   みずみずしく美味しい果実は、天と地の恵みによってもたらされるものです。目には見えなくとも、この天地の働きがあって果実は育ち、私たちの視界に入ります。 天地の働きでこの世に生かされていることに感謝し、生きていきましょう。

生我者父母 成我者朋友(われをうみせしものはふぼ われをなせしものはほうゆう)とは、どういう意味ですか?

生我者父母 成我者朋友(われをうみせしものはふぼ われをなせしものはほうゆう)とは、どういう意味ですか?

中国の春秋時代、王に仕える宰相として活躍した菅仲は、とても貧しい家の生まれでした。そんな彼を昔から支えてきたのが親友である鮑叔でした。 一緒に商売をした時も、仕官してうまくいかなかったときも、鮑叔は菅仲を支え続けました。そんな鮑叔に対し、菅仲は「私を理解してくれるのは彼だけだ」と信頼したといいます。これが後に「菅鮑の交わり」といわれるようになり、人生をともに歩む存在の大切さを示す言葉となりました。   仕事や人生に思い悩んだとき、自分はひとりぼっちだ、誰も自分のことをわかってくれない…そう思って孤独を感じていませんか? しかし、そんなときにこそこの言葉を思い出してください。この世界にあなたを送り出してくれた父と母、そしてあなたを理解し支えてきてくれた友人たちのことを。   あなたは一人ではありません。親がいるから生まれ、友がいるから育つのです。 周りを見回してみてください。あなたを見守る存在に気づきませんか?

なぜお通夜のときはロウソクを一晩中つけておくのですか?

なぜお通夜のときはロウソクを一晩中つけておくのですか?

お通夜のときには、ご遺体の枕元や祭壇に一晩中ロウソクをつけておきます。近親者の誰かがそばにつき、ロウソクの火を絶やさないようにするのがしきたりとなっています。現代では、そうすることで死者に対する思いを表すと解釈されています。   お通夜は、死者の魂を邪悪なものから守るため、近親者が一定期間死者と生活を共にしたことが起源となっています。実際、昔は数日間も故人に添い寝して死者の魂を守ったという記録も残されています。   しかし、現代人の感覚からいえば、数日間もご遺体と時間を共にするのは難しいことです。せめてお通夜ぐらいは故人のそばでずっと起きていたいと思っても、翌日の葬儀にさしつかえるのも困ります。 かといって、暗い部屋に故人を一人で放っておくのは遺族としてしのびない。 そこで、お通夜の参列者が帰ったあとは、家族や近親者が代わる代わる故人のそばにいて、ロウソクの火を絶やさないようにするという習慣が生まれました。徹夜は大変でも、何人かで交代すればそう無理をすることなく、ロウソクの火を灯し続けることができます。   昔はロウソクの火が消えると魔物がご遺体にとりつくなどと信じられていましたが、現代では故人が寂しい思いをしないように、せめてロウソクの火を絶やさないようにしているという解釈をすればいいでしょう。

不雨花猶落(あめならずしてはななおおつ)とは、どういう意味ですか?

不雨花猶落(あめならずしてはななおおつ)とは、どういう意味ですか?

この言葉は、八十歳まで諸国を行脚していた趙州和尚のものとして伝えられています。   ある修行僧が問います。 「朝になると花は露をため、ある葉は秋の色に染まった。その自然の現実から、どんな真理を得るべきか」と。 和尚は答えます。 「雨など降らなくても花は落ちる。風がなくとも柳の種子は飛んでいく。それがどうしたというんだ」と。   花は咲いたときからいつかは地に落ちる宿命であるし、柳の種子はいずれどこかへ飛んでいくもの。 「自然の真理がそこにそのままあるだけで、理由などない。あるがままの風景を真理としてそのまま見てとらえよ。」それだけのことなのです。   理屈ばかりをこねまわし、目の前の風景さえありのままに見ようとしない。 あなたにも思い当たるところはありませんか? 現実をそのまま見ること。その大切さを和尚の言葉は教えてくれています。

お葬式後の法要は、なぜ七日ごとなのですか?

お葬式後の法要は、なぜ七日ごとなのですか?

最近は火葬場から戻るとすぐに「初七日」の法要を行なうケースが増えています。 親族が遠く離れて住んでいると、たびたび集まるのは難しい。 そこで、葬儀の日に初七日まですませてしまうのです。   本来の「初七日」は、もちろん葬式から七日目に行なわれます。 以降、七日ごとに「二七日」「三七日」「四七日」「五七日(一般的には三五日と呼ばれる)」「六七日」「七七日(四十九日)」と行なわれます。   葬式後、七日ごとに法要を行なう習慣は、仏教の冥土観に基づいています。 死者は、冥土で七日目ごとに七回の裁判を受けるという考え方です。 その裁判では、死者の生前の行為が審議され、その判決によって極楽浄土へ行ける人と地獄へ落ちる人が分けられます。 さらに、どんな地獄へ落ちるかもその裁判によって決まるとされています。   この“裁判日”ごとに法要が行われるのは、親類縁者が死者のために追善供養すれば死者の罪が軽くなり、極楽浄土へ行けると信じられているからです。 そのため、これらの法要のときには、その都度お坊様に来ていただき、お経をあげていただくのが正式な供養といえます。 しかし、遺族の負担が大きくなりすぎるので、最近はとくに重要な裁判とされる初七日と五回目(三五日)、七回目(四九日)にお経をあげていただくのが一般的になっています。

水到れば渠成る(みずいたればきょなる)とは、どういう意味ですか?

水到れば渠成る(みずいたればきょなる)とは、どういう意味ですか?

水が流れると自然に土が削られて溝ができます。 「渠」とは、その溝のことです。 水が流れて溝ができるように、条件が整えば物事は自然に成就する。 学問もコツコツと究めていくと、自ずから身につき役に立ちます。   水という字には「徳」という意味もあります。 徳を少しずつ積めば、自然に事は成るのです。 見返りを求めがちですが、報いを求めずに無垢な心で積み上げていくことが大切なのです。   毎日一生懸命に働いていても、どんなに好きな仕事をしていても「この先、報われるのかな?」と思ってしまうことは誰しもあるでしょう。 好きな研究を続けていても、ものになるのかどうかわからず、ふと虚しくなる人もいるでしょう。 でも、そんなに焦る必要はありません。   来るべき時が来れば、自然とできあがるものです。 努力を続ける気持ちを忘れないことが大切なのです。

老婆心(ろうばしん)とは、どういう意味ですか?

老婆心(ろうばしん)とは、どういう意味ですか?

老婆とはお婆さんのことですが、“お婆さんのような心”とは、どういうことでしょうか? あなたの周りのお婆さんを思い出してみてください。お婆さんは色々な経験を多く積み、気配りができる人ではないでしょうか? 見知らぬ相手にも親切にしたり、困っている人に助言したり・・・。 どんなときにも人に優しく接し、何を必要としているかをすぐに把握し満たしてくれる、まるで自分の孫をいたわるような真心。 つまり、お婆さんの優しさは分け隔てのないものなのです。   年を重ねないと、この「老婆心」を持てないというわけではありません。ふだんから人の表情をよく見て、不安げであれば優しく声をかけ、話を聞いてあげる。若い人でも年配の人でも「老婆心」を発揮することはそう難しくありません。反対に、人に何か親切にしてもらったら、それに対して深く感謝しましょう。   「老婆心」を持つことで、これからの皆さんの日常はより慈しみ深いものになるでしょう。 一つ一つ積み重ねていくことが大事です。

野火焼不尽春風吹又生(やかやけどもつきずしゅんぷうふいてまたしょうず)とは、どういう意味ですか?

野火焼不尽春風吹又生(やかやけどもつきずしゅんぷうふいてまたしょうず)とは、どういう意味ですか?

野火とは、山焼きなどの火を指します。今でも奈良の若草山では、毎年山焼きが行なわれますが、山一面が激しい野火に包まれたあとは、すべてが焼き尽くされたように見えます。 しかし、春風が吹けば、そこには再び新しい生命が芽吹くという意味の禅語です。   今、仕事もうまくいかず、先行きが見えず、自分の人生はここで終わってしまうのではないかと不安に思っておられる方は少なくないかもしれません。今まで一生懸命に積み上げてきたものをすべて失って、まるで焼け野原に立ち尽くしているような気持ちに襲われることもあるでしょう。 しかし、いつの日か暖かな春風が吹いてくると信じて、日々を丁寧に暮らしていくことが大切だと思います。   もうダメだと思ってもそこで諦めず、小さなことでもコツコツと人の役に立つことを考えながら生きていく。そんな日々の先に、いつかきっと暖かな風が吹き、新しい芽力強く出てくるのではないでしょうか?   すべてを失ったと思っても、決してそうではないことを忘れないでください。

千里同風(せんりどうふう)とは、どういう意味ですか?

千里同風(せんりどうふう)とは、どういう意味ですか?

千里の「里」は距離の単位で、約3900キロもの距離が千里にあたります。 それほど遠く離れた異国の地にも同じ風が吹いていること、転じて世の中が太平になっていることを指す言葉です。 住む場所が遠く離れていても、そこには同じ風が吹き、同じ感情を抱き、同じ日々を過ごしている誰かがいます。 言葉が違っても、意外と同じことで喧嘩をしているのかもしれません。   近くに住んでいる相手ならすぐに会いにいけます。 でも、遠い場所にいる人のことはなかなかわかりませんし、疎遠になってしまうこともあるでしょう。 はるか千里も先にいる誰かに思いを馳せてみましょう。 ふだんから遠くにいる相手を思いやることができれば、近くにいる人のことにもより細やかな心配りができるようになるでしょう。   どれだけ離れていても、お互い同じ風を感じられるように心が通じ合っていれば、いつまでも良い人間関係を保ち続けることができるでしょう。

壺中日月長(こちゅうにちげつながし)とは、どういう意味ですか?

壺中日月長(こちゅうにちげつながし)とは、どういう意味ですか?

「壺中」はごく限られた小さな世界。 「日月長」は非常に穏やかな、のんびりとした時間がいつまでも流れているということです。 二十四時間という一日を暮らしていても、「忙しくて短い」と思う人もいれば「暇で長い」と感じる人もいます。 また、平日と休日とでは感じ方も変わるでしょう。 その人の心のありようで感じ方が変わってきます。   私たちは日常的に自分の経験から未来を考え、不安になることも多々あります。 しかし、実際に私たちが生きているのは、過去でも未来でもなく現在です。 つらい、苦しいと思うのはそんな自分なりのフィルターを通して現在をとらえてしまうからです。   ものごとに執着しすぎると目先のことだけにとらわれ、周りが見えなくなります。 今を見つめ、ものごとをありのままにとらえることで、自分が見ている壺のような狭い世界でも、充実した毎日を過ごすことができるでしょう

遍界不曾蔵(へんかいかつてかくさず)とは、どういう意味ですか?

遍界不曾蔵(へんかいかつてかくさず)とは、どういう意味ですか?

「遍界」とは、すべての世界、世の中のことです。 「不曾蔵」とは、隠していない、ありのままそこにあるという意味の言葉です。 真実を隠すものは他でもない、あなた自身の疑いという名の眼差しなのです。 真実、知りたいことはそのまま表れているものなのです。 知りたいことがどうしても見えないのだとしたら、それは自分の目が曇っているから、心が違う方向を向いてしまっているからに他なりません。   人は疑い深い生き物です。 例えば残業を手伝おうかと言われても、何か見返りを求めているのではないかなどと疑ってしまいます。 その疑念を捨てて、正直にありがとうと言いましょう。 疑いの気持ちは相手に伝わってしまいます。   疑いなく世界を見つめれば、ものごとの本質にたどり着くことも、さほど難しいことではないと思います。 誰かが何かを隠そうとしていても、そこには「隠そうとしている」という事実が見えてくるはずです。 まずは、自分の中の疑いを取り除くことから始めましょう。 疑いのフィルターを外して真実を見抜くのです。

啐啄同時(そったくどうじ)とは、どういう意味ですか?

啐啄同時(そったくどうじ)とは、どういう意味ですか?

「啐」とは鳥のヒナが卵の内側から殻を破ろうとすることで、「啄」は親鳥がそれを助けようと外側から殻をつつくことを指します。 「啐啄同時」とは、その行為が同時に起こることを言い表しています。 転じて、自分の勇気とそれを助ける行為がぴったりのタイミングで重なることを称えているのです。   禅の世界では、修行僧とその師における絶妙な関係を表す言葉としても用いられます。 まだ修行が足りないのに悟りを開こうとしても難しいですし、アドバイスのタイミングが早過ぎて心がくじけてしまうこともあります。   重要なのはタイミングです。 相手が今どの段階にあり、どういう考えで行動しているかを見極めれば、必要な時期に必要な言葉をかけることができます。 思い悩んで努力しているけれど、あと一歩が足りない。 そんな状況の誰かに、そっと声をかけてみましょう。 その声は誰かにとっての「啄」になり、「啐」を促すきっかけになるかもしれません。

鶏寒上樹 鴨寒下水とはどういう意味ですか?

鶏寒上樹 鴨寒下水とはどういう意味ですか?

一つのことを決めるのに、いつもまとまらない。 「Aでいいんじゃないの」「いや僕はBがいい」「AもBもいいと思わない」などなど、、、。 まとめ役を引き受けたなら「どうしてみんな好き勝手なことを言うの?」と、腹を立てることもあるでしょう。 人間は十人十色。 趣味趣向も異なれば、感情的な人、論理的な人など様々です。 こうした個性豊かな人々と折り合いをつけながら生きていかないといけません。   「鶏寒上樹 鴨寒下水 とりさむくしてきにのぼり かもさむきしてみずにくだる」という禅語は、鶏は寒いと木に上るけど、鴨は寒いと水に入る様子を、同じ鳥でも寒さに対する方策が違うのだから、人間も相違があっていいしゃないか、と説いています。   新しい人が仲間になった時、あなたはどんな行動をとりますか? すぐに飲み会や食事に誘って歓迎の意を示そうとしますか? それとも、相手が落ち着いてから誘いますか?   どんな行動をとったとしても、どれも正解はないのです。 いく通りもの考え方ややり方があるのですから、、、。

行雲流水(こううんりゅうすい)とは、どういう意味ですか?

行雲流水(こううんりゅうすい)とは、どういう意味ですか?

かけがえのない家族や、恋人。 念願叶って得た仕事、評価。 自分に守りたい、守るべき存在があるときに、人はとても臆病になってしまいます。 なぜなら、失ったり壊してしまうのが怖いからに他なりません。   こうした存在のために、あなたは毎日保守的になっていませんか? 挑戦してみたいことも、すべて自分の中で押し殺していないでしょうか?   「行雲流水」とは、雲のように自由で伸びやかな心と、水のようにとらわれない生き方をしなさいという意味の禅語です。 禅の修行僧は雲水と呼ばれます。 そして「行雲流水」の境地と師を求めて全国を行脚して修行をしているのです。 雲水が学ぶ師は、徳の高い高僧だけではありません。 道中で知り合った人や自然、気候などすべてが師となり得るのです。   新しい挑戦や新しい道、新しい友人。 冒険心は自分を成長させるだけでなく、あなたの目の前の世界を無限に広くしてくれます。 あなたがまだ知らない扉を恐れずに開けてみましょう。

紅炉上一点の雪(こうろじょういってんのゆき)とは、どういう意味ですか?

紅炉上一点の雪(こうろじょういってんのゆき)とは、どういう意味ですか?

寒い季節に茶席を暖めるため、次から次へと炭をおこしていたのでしょう。 煙の匂いを逃がすため開けていた窓から、真っ白な雪がはらはらと舞い込んできました。 真っ赤に炭が燃えている炉に落ちた一片の雪は、炭の熱で瞬時に消えてしまいます。   雪は邪念と考えてみてください。 その邪念を一瞬で消し去る、炭のような情熱を、あなたは持っていますか? 私たちは、意識的にせよ無意識的にせよ、一日の中で様々なことを考えて心を右往左往させています。 朝、誰かにひどいことを言われれば、その時はもちろん嫌な気分になりますし、終日不不愉快な気分のまま過ごしてしまうかもしれません。   ですが、最初のきっかけは外からやってきた出来事でも、それはほんの一瞬です。 でも、その後いつまでも繰り返し考え続けているのは自分です。 嫌な気分を自ら作り出しているのです。   そんなときは心から邪な考えを無にして、炎の上で雪がすっと溶けるよう欲や迷いもほどけるようにしたいものです。

喫茶去(きっさこ)とは、どういう意味ですか?

喫茶去(きっさこ)とは、どういう意味ですか?

「喫茶去」とは、直訳すれば「さあ、お茶を召し上がれ」というだけの簡単な言葉です。 しかし、奥の深い一言なのです。   好きな人と一緒にお茶をすることは、だれにとっても楽しいことです。 でも、苦手な人や嫌いな人にも同じように笑顔で対応できますか? 相手が偉い人でも、貧しい人でも、誰にでも分け隔てなく平等にお茶を差し出せますか?   茶道では、同じ釜のお湯から淹れたお茶を一緒に頂く人たちは、みな肩書きも地位も一切捨て去って座り並ぶといいます。 もてなす側の亭主は男女平等に扱うことが原則です。   一緒にお茶を飲んでいると、いろいろ知らなかったことが相手の口からこぼれてきます。 苦手に感じていたあの人との間に、意外な共通点が見えてくるかもしれません。 今まで知らなかった業界の裏話が聞けるかもしれません。   一杯のお茶は、心を解きほぐすのです。

一切唯心造(いっさいゆいしんぞう)とは、どういう意味ですか?

一切唯心造(いっさいゆいしんぞう)とは、どういう意味ですか?

あなたの視界に映る様々な存在や現象は、あなたの心の働きが生み出したものです。 善も悪も世界に存在しているのではなく、すべては心がつくり出した現象にすぎません。   臨済宗の僧・白隠のエピソードを御紹介しましょう。 ある武士に「地獄はあるのか」と問われた白隠は、「今さら何を聞くか」と武士をののしりました。 すると怒った武士は白陰を斬りつけようと刀を抜きます。 そこをすかさず「そこが地獄よ!」と白隠は叫びます。 八とした武士は「地獄のこと、よくわかりました」と頭を下げました。 すると白隠はその返答に「そこが極楽よ」と指摘しました。   地獄も極楽も、あなたの心の中にあるのです。 心が濁ると、どんなに美しい世界も汚れて見えます。 あなたの心の持ち方しだいです。 善悪のどちらかに偏ることなく、平常心を持ち続けましょう。

一華開五葉(いっかごようをひらく)とは、どういう意味ですか?

一華開五葉(いっかごようをひらく)とは、どういう意味ですか?

「一華開五葉」とは、中国における禅の創始者・達磨大師が授けた詩の一節です。 一輪の花が五弁の花びらを開き、やがて果実が実ることを詠んでいます。 これは、心の中に悟りという花が一輪咲けば、尊い五つの心智に分かれて花開き、立派に成就することを意味しています。 この達磨大師の言葉のとおり、禅宗は五派にわかれて栄え、多くの人々を救いました。   この「一華開五葉」の五葉について、禅宗の五派以外にも五智とする解釈もあります。 五智とは、心を開いた純粋な五つの心智のことです。   具体的には・・・   ①大円鏡智(生まれたままの無垢な心) ②法界体性智(身の回りのすべては仏の現れと知る心) ③妙観察智(平等の中に個性があると知る心) ④平等性智(すべてのものが平等であることを知る心) ⑤成所作智(思いやりを大切にする心)   この五つを持てば、煩悩や苦悩が消えるとされています。

本来無一物とは、どういう意味ですか?

本来無一物とは、どういう意味ですか?

「もともと私は何も持っていない」と思いきってみましょう。 よけいな負担がなくなって肩が楽になりませんか? そして、今まで自分の心を曇らせていた霧の正体が客観的に見えてはきませんか? あなたの気持ちが素直になると、モヤモヤの原因は自分自身の心に棲んでいたのだと気づかされます。   「本来無一物」とは、中国禅宗の第六祖・慧能禅師から生まれた言葉です。 師が後継者を募った際に、寺男であった慧能は悟りや煩悩の概念にとらわれた世界さえ否定し、「一物も無い」ことこそ極致だと指摘しました。 この言葉は学問のあるなしに関係なく、禅は万人のもとに平等であることも示しています。 善も悪も本来ないものと気がつけば、誰かを恨んだり羨ましがったりすることも意味のないこととわかります。 執着心を捨てて、ひたむきな心で物事にあたりましょう。

黙(もく)とは、どういう意味ですか?

黙(もく)とは、どういう意味ですか?

「目は口ほどにものをいう」という諺があります。 黙っているほうが、直接話すよりも伝わってしまうこともあるのです。 沈黙することが語らないことでもありません。   あなたはどれほどの「黙」に耳を傾けられていますか? 身近な人のサインを見逃していませんか? 座禅を組むときも一切話をしませんよね? でも、会話がないからといって感情がないわけではありません。 みんな己の心に問いかけています。 欲望や妄想にとらわれていたら、それを解きほぐすためにあれこれと自問自答していることでしょう。     あなたには一日の中で自分に問いかける「黙」の時間はありますか? 「黙」という言葉は重く深いです。 沈黙は無駄な時間ではありません。 あなたの一日の時間の中に組み込んでみてはいかがでしょう? 言葉では伝わらないものはたくさんあるのですから・・・。

不立文字教外別伝(ふりゅうもんじきょうげべつでん)とは、どういう意味ですか?

不立文字教外別伝(ふりゅうもんじきょうげべつでん)とは、どういう意味ですか?

「不立文字」とは文章や活字を使わないことです。 「教外別伝」とは教本からではなく、師から弟子へ実践と体験を通して伝えていくということです。 今では何かを学ぶとき、教科書やマニュアルなど文字で書かれたものに頼ります。 でも「職人」と呼ばれる人たちは、そのようなもので己の技術を弟子たちに伝えていったわけではありません。     日常生活を供にし、技術以外のことも教わりながら、師匠の所作ひとつひとつを見つめながら学んでいったのです。 この修行生活には、本には書かれていない、文字にはできない複雑な「教え」がたくさん詰め込まれていたに違いありません。   大切なことはメールや文章だけで済ませようとでず、ちゃんと会って話しましょう。 大切なことは、相手の仕草や声色に隠れていたりすることもあるのです。

白雲抱幽石(はくうんゆうせきをいだく)とは、どういう意味ですか?

白雲抱幽石(はくうんゆうせきをいだく)とは、どういう意味ですか?

青い空にぽっかりと浮かぶ白い雲。 地面に目をやれば苔むした巨石。 ふわりとした雲は、風に吹かれるままに浮かんでは消えていく。 その一方で、もう何千年も前からずっとそこに不動のままいるような巨石。 そして、のんびりと過ごしている自分。。。。。   こんな風景を心に思い描くだけで、ふっとおおらかな気持ちに包まれませんか? うつろう雲と不変の石。 あなたはどちらに自分を見出しますか? どちらの存在もありのまま、そのままの姿でそこにあります。 どちらが良い悪いという問題でないことは、もうおわかりでしょう。   雲も石も違うもの同士で、お互いの領域を邪魔せず、壮大なハーモニーを奏でています。 時には自然に任せてうつろう雲の心を。 また別の時にはじっと動かない石の心を。   どちらも上手に持ち合わせたいものですね。

一念発起菩提心とは、どういう意味ですか?

一念発起菩提心とは、どういう意味ですか?

新たに何かを成し遂げようと決意したときに使われる言葉に「一念発起」があります。 これは「一念発起菩提心」という仏教の言葉の略語です。 もともとは、覚りを求める心を速やかに起こすという意味です。   出家して修行者になるには、この「発菩提心」が必要不可欠です。 「覚りを得たい」という心がなければ修行者にはなれませんし、修行など続かないのです。 それでも途中で挫折したり怠けたりすることもあります。     一念発起して何かを始めようと思う気持ちは大切です。 あるいは、幸せになりたい、安楽になりたい、悩みから解放されたいと願う気持ちは大切でしょう。 しかし、幸せになりたいとは願うのですが、そのための努力はなかなかできないものです。 人は、できれば楽をして幸せになりたいのです。 できるだけ苦労したくないのが人間なのです。 ですから、ついつい初心を忘れ、一念発起した決意も崩れ去ってしまうのです。   初めから大きなことを狙っても息切れしてしまいます。 小さなことから一念発起すれば、怠けることもなく、挫けることなく目標が達成しやすいでしょう。 また、時には初心を思い出してみることも必要でしょう。 いつでも、一念発起菩提心です。 求めた時の気持ちをわすれないようにしたいですね。

内証(ないしょ)とは、どういう意味ですか?

内証(ないしょ)とは、どういう意味ですか?

内証の話ほど内証にならないものはありません。 「内証だけど」と断りを入れて話しても、いつの間にか広まってしまいます。 しかし、本来の内証は広まることはないのです。   内証は「内緒・内所」とも書きますが、元になっているのは仏教後の「自内証」です。 意味は「自分の心の中の覚りそのもの」です。 それは、言葉では表現できないものでしょう。 だからこそ、内証であり秘密であるのです。 内証(内なる覚り」は外へ出せないものなのです。   言葉で表現しがたいものは、覚りだけではありません。 人の気持ちも表現が難しいものです。 人の心の内そのものを伝えるということは、簡単なことではありません。 「あなたの気持ちはわかるよ」とは言いますが、本当に気持ちが伝わっているかどうかはわかりません。 多くの場合、そのあとに「でもね」がついてきます。 相手の気持ちを知ること、自分の気持ちを伝えることは大変な作業なのです。 だからこそ、言葉を尽くして根気よく、時間をかけてよく話をしないといけません。 内なる思いは言葉で簡単には伝わらないからこそ、言葉を惜しんではいけないのです。 それでも、誰もわかってくれないことがもしあったら・・・。 誰もいないお寺の本堂でご本尊様に打ち明けましょう。 内証の話でも他の人に広まることはありません。

隻手音声(せきしゅのおんじょう)とは、どういう意味ですか?

隻手音声(せきしゅのおんじょう)とは、どういう意味ですか?

隻とは「片方の」という意味です。 すなわち隻手とは、片手のことです。 この言葉は「片手で鳴らす拍手の音に耳を澄ませよ」というお題なのです。 江戸時代の有名な禅僧・白隠が出した公案です。   両手だと拍手をすればパチパチと音がしますよね? では、片手で拍手するとどんな音がしますか? もちろん片手では拍手できないので「わかりません」「聞こえません」としか答えようがないですよね。   この問題の大きなポイントは「音がしないから聞こえない」のではないということです。 それが「音なき音」「声なき声」なのです。     ふだん、声に出している感情だけが真実ではありません。 本音と建前とはよくいいますが、本音は隠しているようで、実際は読みとれたりします。 それは、相手の仕草であったり、目の動き、手の震え、声の調子など・・・。 ちゃんと相手を見つめて、向き合ってください。 そうすることによって答えは出てきます。  

名利共休(みょうりともにきゅうす)とは、どういう意味ですか?

名利共休(みょうりともにきゅうす)とは、どういう意味ですか?

この格言は、有名な茶人・千利休の名前の由来とも言われています。 名誉やお金を追い求めずに生きていくというメッセージを持っています。   織田信長や豊臣秀吉という天下人に仕えた千利休は、己を惑わす欲望を遠ざけるという意味で、これを名前にしたという説もあります。 お金・名誉など、私たちは無数の欲望を持っています。 実際のところ「名誉もお金も求めずに生きるなんて無理」と思ってしまうでしょう。 たしかに、欲望をモチベーションにして高い成果を上げている人もいます。 でも、最終的には損得勘定で動くようになり、逆にストレスばかり溜まってしまうこともあります。   欲望のない人間などいませんから、欲望を捨てろとはいいません。 それでも欲望に流されない強い心を持つことはできますよね。 今も昔も実践することが難しい「名利共に休す」。 まずはこの言葉を心の隅に置いておくことから始めてみませんか?

廓然無聖(かくねんむしょう)とは、どういう意味ですか?

廓然無聖(かくねんむしょう)とは、どういう意味ですか?

禅宗の初祖・達磨大師がインドから中国を訪れた時、国を治めていた仏教好きの武帝とのやりとりに出てくる言葉です。   武帝が「私はこれまでお寺を作り、お経を写させたりしながら僧を育ててきたが、どんな功徳があるのでしょうか?」と聞くと、達磨大師は「功徳などありません。」と答えました。   さらに武帝が「それならば仏教の大切な真理とは何か?」と聞くと、達磨大師は「廓然無聖」と答えたといいます。 功徳を求めようとしては本当の功徳にならず、そのようなことにとらわれないことが大切である、ということです。   私たちは、お参りするとどうしても御利益を求めてしまいます。 どうか希望する学校に受かりますように、良い会社に入れますように等々・・・。 わらにもすがる思いの祈願ですから、御利益を求めるのは当然のことかもしれません。 しかし、逆説的ですが、合格したいという自我が煩悩を招くのです。 それを戒めているのが「廓然無聖」です。   無心になるのは簡単ではありません。  

「目横鼻直」とは、どういう意味ですか?

「目横鼻直」とは、どういう意味ですか?

曹洞宗の教えを広めた道元禅師は、留学先の宗から日本に帰国した際、出迎えた人々に「鼻は縦について目は横に並んでいるという当たり前のことを悟り、経典を持たずに還ってきました。」と説きました。 出迎えた人々からすれば、なんて当たり前のことを言って、手ぶらなのだと思ったことでしょう。   道元禅師が言った「目横鼻直」は、当たり前のことを当たり前として受け止め、あるがままに感じることを説いています。 これが仏法の真理であると会得したから、経典を持ち帰る必要がなかったのです。 私たちは、無理な背伸びをしたり見栄を張ったりすることが少なくありません。 でも、当たり前のことを当たり前に行い、まっすぐな気持ちで生きていけばいいのです。     特別なことはなにもありません。 自分の足でしっかりと立ち、日常の何気ない衣食住にも心を配って生きる。 三食を有難くいただき、住まいを掃き清め、清潔な衣類に袖を通す。 ただ、それだけでよいのです。

無位の真人とは、どういう意味ですか?

無位の真人とは、どういう意味ですか?

臨済宗の開祖・臨済禅師は語りました。 「肉体には、時間も空間も越えて常に真実の人間性が存在し、常に君たちの五感を出入りしている。 未だにこの真人を自覚していない者は、しかと見つけよ」と。     本来のあるがままの自分のことを、臨済禅師は「無位の真人」と表現しました。 「無位」とは時間・空間・階級をいっさい取り払った自由な境地。 そして「真人」とは清らかな心のことです。   自分に正直になり、自分の純粋な姿を見つけだしていけと呼びかけているのです。 人は悩みや苦しみに見舞われたとき、自分というものを真摯に見つめていきます。 やがて、悩みの原因は自分の中にあると気づくのです。   自分自身の心を見つめて。   あなたの中にきっとある「無位の真人」を離さないでください。 もう迷いや妄想は消え去っていることでしょう。

無常迅速とは、どういう意味ですか?

無常迅速とは、どういう意味ですか?

一日は二十四時間です。 その日を振り返ってみて、あなたは一日を長いと感じましたか? それとも短いと感じましたか? 「まだ休みの日まで三日もあるよ」「あと三時間しかない」など、人によって時間の流れの緩急は感じ方が違いますよね。   「無常迅速」とは、人生はあっという間という意味です。 時間を大切に生き、一瞬を怠惰に過ごしてはいけないと、私たちに諭してくれている言葉です。 やろうと思っていることがあっても、重い腰が上がらない。 集中すれば一時間で終わるようなことも、まだ時間はたっぷりあるからと散漫な気分で過ごしてしまうこともありがちです。   誰にでも等しく、一日二十四時間が与えられていますが、一日一日を濃密に、充実した生き方、暮らし方をしてこそ意味のある三百六十五日が送れるのです。 時間とは、思っている以上に早く流れていくものです。 時は一瞬たりとも止まりませんし、戻ることもありません。 あなたは、今この時を有意義に過ごせていますか?

「一円相」とは、どういう意味ですか?

「一円相」とは、どういう意味ですか?

目の前に一枚の画用紙を出して、思うままに一筆で円を描いてみてください。 大きく、太く力強い円を思い描きながら・・・。   どのような円になりましたか? それを他の人に見せて、何に見えるか聞いてみてください。 果物、野菜、動物、太陽などなど、、、、。   同じ答えはひとつとしてないと言ってよいほど、十人十色の答えが返ってくるはずです。 あなたの心の中にも、相手の心の中にも、いろいろな発見ができると思います。   円は、欠けるところも余分なところもない完璧な形です。 始まりも終わりもなく、まさしく森羅万象を一言で表しています。   禅の書画では、円はよく描かれるテーマです。 でも、その解釈は見る人にゆだねられています。   心の中に形のはっきりしないモヤモヤが生じたら、ぜひ円を描いてみてください。 描いた円の中に、モヤモヤを解決するヒントが見えてくるかもしれません。

和光同塵(わこうどうじん)とは、どういう意味ですか?

和光同塵(わこうどうじん)とは、どういう意味ですか?

意味としては「能ある鷹は爪を隠す」とほぼ同じです。 物知りであることを鼻にかけず、聖人ぶることをやめて平凡な人として他人と打ち解けることをいいます。 日常生活では、宴会の席などで「今日は無礼講ですから、堅苦しいことはなしで『和光同塵』でいきましょう」というように「気楽に付き合う」という意味で使われているのをよく耳にします。     今の世の中は知識のある人が重用される時代です。 重用されているのをいいことに自分の才能をひけらかしたり、偉ぶる人もいます。 他人に上から目線で物を言って煙たがられている人が周りにいませんか? 能力が人並み以上にあると、他人が愚かに見えるものなのかもしれません。 しかし、それを口や態度に出すと嫌がられるのは当然ですよね。 どんなに優れた能力があっても傲慢な態度をとらず、こっそり悩みを解決してあげられる、そんな縁の下の力持ちでありたいです。

不覚とは、どういう意味ですか?

不覚とは、どういう意味ですか?

不覚にも涙を流してしまった経験はありますか? 年齢を重ねるほどに涙腺が弱くなり、思わぬ場面で涙ぐんでしまうことがあります。 しかし不覚であっても恥入る必要はありません。 人間は、そもそも不覚なのです。   しかし、その表現は正確ではありません。 人間はそもそも覚であるのに、不覚になってしまっているのです。   一切衆生は、本来覚りを得られる種をもっています。 これを「本覚」といいます。 本当は覚りを得られるはずなのに、様々な迷いや妄念、欲望が邪魔をして、本来持っているはずの覚りに気づかないのです。 これこそが「不覚」なのです。     不覚にも人前で涙を流してしまうのは、本当は不覚ではないのかもしれません。 本来持っている覚の部分に触れる何かがあったからこその涙なのかもしれないのです。   他人の前で格好をつけず、不覚の自分を見せてもいいのではないでしょうか? 油断している、隙のある自分をさらけ出すのも、周囲への優しさであったりもします。 まったく不覚のない、油断も隙もない態度は受け入れ難いものがあります。   不覚でもいいのです。 そこから、その奥に潜む覚に気づくものなのです。

無事是貴人(ぶじこれきにん)とは、どういう意味ですか?

無事是貴人(ぶじこれきにん)とは、どういう意味ですか?

私たちは常に、外に幸せや救いを求めながら生きています。 「この会社でなければ自分は評価されるのに」「もっとお金があれば幸せになれるのに」など・・・。 こうして不平不満の原因を外に向け、安心や幸福をいつまでもウロウロと探し歩いているのです。 臨済宗の開祖 臨済禅師は、人は生まれながらに仏様の性質を持っていると説きました。 それが「無事是貴人」です。 無事とは、様子伺いで使う「ご無事」とは違い、何もしないことです。 作為をせず、あるがままでも人はすべてのものが備わっているので、何もしなくてよいのだよ、という意味です。 何もしなくていいの?と驚くかもしれません。 外に向けて騒がず、いっさいの欲や妄想を捨てて、自分がなすべきことをすることこそ、心は正常平穏な状態なのです。   わがままや怒りっぽさ、涙もろさ、自分を過小評価するあなた。 あなたには自分の中に色々なあなたがいるのです。 そうしたあなた一人一人を愛してあげることからはじめましょう。

他不是吾(たはこれわれにあらず)とは、どういう意味ですか?

他不是吾(たはこれわれにあらず)とは、どういう意味ですか?

教えてほしい、助けてほしい、手を貸してほしい。 私たちは生きているとあれこれ迷ったり、誰かに助けを求めたくなります。 でも、誰かに肩代わりしてもらったことは、自分の成果につながるのでしょうか? 誰かが決めてくれた選択は、本当に自分の気持ちに沿ったものなのでしょうか? 道元禅師は留学中、典座の作業をする老師を見かけて「ご自分でなさらず、誰かに手伝わせてはいかがですか?」と声をかけました。 すると老師は「他は是れ吾にあらず」と答えました。 老師の身体を気遣ってかけた言葉ではありましたが、その作業は老師にとって大切な修行の一つだったのです。 修行は他人にさせては意味がありません。 豊かに生きるために、人生には様々な試練が待っているものです。 だからこそ、あなた自身が考えて生きる道を決めていかなければなりません。 助言はあくまで助言です。 最後にどうするか決めるのはあなた自身なのです。

「意地を張る」とはどういう意味ですか?

「意地を張る」とはどういう意味ですか?

仏教では、人間の働きを「眼によるもの、耳によるもの、鼻によるもの、舌によるもの、身体の接触によるもの」の五種類にわけます。 これを「五蘊」といいます。   眼・耳・鼻・舌・身体の働き自体には、善も悪もありません。 しかし、ここに思いが入ると「善」「悪」「どちらでもない」という感情が生まれます。 見たい見たくない、聞きたい聞きたくない、いい匂い嫌な匂い、いい味悪い味、触れたい触れたくない、または何とも思わない、という欲が生じるのです。 その欲を生じさせる元である思いのことを「意地」といいます。 意地は五蘊を支配しているのです。   仏教修行者は、この五蘊を欲の支配から解放しようとします。 見たい、聞きたい、嗅ぎたい、味わいたい、触れたいという欲をコントロールするのです。 つまり、五蘊を支配している意地を支配するのです。 ですから、修行中にうまく意地がコントロールできると「今の意地はいい」となりますし、意地がうまく扱えないと「意地が悪い」となるのです。   意地を張って頑張るのもいいことでしょう。 しかし、意地を張るならいい意地を張ってほしいものです。 自分の意見だけに固執せず気持ちをコントロールできるように意地を張れるといいですね。 くれぐれも意地の張りすぎにはご注意ください。 眼も耳も鼻も舌も身体も疲れますから・・・。

「流水、無心にして落花を贈る」とは、どういう意味ですか?

「流水、無心にして落花を贈る」とは、どういう意味ですか?

散って川に落ちた花。 それをさらりと運んで行く川の流れ。 そんなふうに身を委ねられる相手はいますか? 利害関係なく語り合える親友。 仕事の悩みを打ち明けられる先輩。 心から頼りになる家族。・・・。 無心というキーワードでつながる人間関係が、あなたにはありますか?     花は自然に散り、その花びらが落ちた川はあるがままに流れていく。 自我も見せず、下心もなく、相手と心理的な駆け引きをするでもなく、互いをただ信頼して自然に身をま任せ合う。 そんな関係を人間同士でも築ければいいですね。 そのためには、まずあなたが相手に対して心を開きましょう。 あなたが自然に落ちる花になりましょう。 私利私欲にとらわれていると、あなたを受け止めてくれる水ではなく、硬い地面に当たって誰かの足に踏まれてしまうかもしれません。

宇宙無双日乾坤只一人(うちゅうにそうじつなく けんこんただいちにん)とは、どういう意味ですか?

宇宙無双日乾坤只一人(うちゅうにそうじつなく けんこんただいちにん)とは、どういう意味ですか?

宇宙に太陽は二つとしてなく、乾坤、つまり天と地の間に一人でいる・・・。 この言葉に孤独を感じるのではなく、太陽の優しい光を想像してみて下さい。 誰にでも分け隔てなく、その暖かさを注ぐ太陽を。     自分のことよりもまず相手のこと、慈悲の心を持ってすべてに接することができれば、太陽の明るさと暖かさを求めるかのように、自然と人が集まってくるはずです。 一つしかない太陽のような存在になれるのです。   太陽が変わることなく、人々を照らし続けるのと同じように、自分の役割に誇りを持ち、自信を持って行動しましょう。 迷うことがあれば、疑うより先に飾らない心で行動してみるのもいいでしょう。 すべてを素直に感じ取り、心のままに動く。   自信をしっかり持つことができれば、それこそ太陽のように、宇宙に二つとない、本当のあなたとして生きていくことができるでしょう。   ご参考までに・・・。

「両忘りょうぼう」とは、どういう意味ですか?

「両忘りょうぼう」とは、どういう意味ですか?

私たちは思案するとき、「こうするべき? ああするべき?」と自問自答の果てにどちらか一方に決めなければならない、いわゆる二者択一に陥りがちです。   「本当にあの人はいい人なんだろうか? それとも悪い人なんだろうか?」「今、これを買わないと損するのか、得なのか?」。 勝ちと負け、好きと嫌い、生と死、美と醜、苦と楽・・・。 世の中には、いろいろなことが二つに分けられるのです。   「両忘」は、判断を迫られる局面において、こうした対立するものや相対するものを忘れ去るという教えです。 それが善なのか悪なのか、どちらかにジャッジすることをやめてみましょう。 両方捨ててもいいですし、判断がつかなければそのまま受け入れてみるのもよいでしょう。 世の中にある色は、白か黒かだけではありません。 グレーだってあるのです。 さあ、どちらか一方に決めなければならない強迫観念から解放されましょう。 心がぐっと軽くなって、新しい視野が開かれるかもしれませんよ。   ご参考までに・・・。

「白馬入蘆花はくばろかにいる」とは、どういう意味ですか? 

「白馬入蘆花はくばろかにいる」とは、どういう意味ですか? 

同じに見えて違うもの。 蘆花という白い芦の花々の仲に、白い馬が紛れ込む・・・。 どちらも白くて一見見分けがつかないですよね。 でも、花と馬は違うもの。 「白馬入蘆花」はそういった意味です。 見かけに惑わされず、お互いの違いを受け入れていく。 あなたと他の人が同じではないように、まったく同じ意見もないものなのです。 ですから、自分の考えが通らなくても、怒ったり諦めたりしないで下さい。 相手を認めることで、相手もあなたのことを認めてくれるはずです。 反対に、何でも同じと決め付けるのもやめましょう。 色が同じ白色でも、花と馬を同じものと決め付けていては、柔軟な発想も他人との連携も生まれません。 みんな違っていて当たり前です。 お互いの個性を認め合い、協力することで、より穏やかなハーモニーが奏でられれば嬉しいですね。 ご参考までに・・・。

「無我無畏むがむい」とは、どういう意味ですか? 

「無我無畏むがむい」とは、どういう意味ですか? 

人は誰でも自分を中心にして物事を考えます。 自己の知識・認識・思考・想像力を基本に世の中の出来事を判断したり、他人との関係を築いたりします。 つまり、自分の物差しで世の中を見ているのです。  そこには、かならず「自分」という「我」が存在しています。 この「我」が周囲と調和がとれているときは、何も問題はありません。 ところが、ひとたび「我」が周囲と不調和になったとき、様々な軋轢が生まれるのです。 自分の意見が通らないという不平、自分は悪くないという逃避、自己の過大評価による欲求不満、過小評価による不安、自己の物差しが周囲とずれているがために生じる疎外感など、「我」があることによって、悩みは増大するのです。 ならば、「我」を無くせば悩みは減少するはずです。 それを説いたのが「無我無畏」です。 これは「我から解放されれば畏れがなくなる」という意味です。 人は、自分という我にこだわれば、周囲との調和がうまくいかなくなります。 頑固に己に固執すると、周囲の人たちの思いや考えを受け入れる余裕がなくなるのです。 人の考えはそれぞれです。 いろいろな意見があって当然なのです。 自分の意見や行き方だけが正しいわけではないのですから、時には「我」を捨ててみましょう。 今まで気がつかなかった周囲との関係にきっと気づくことでしょう。 ご参考までに・・・。

「無我無畏むがむい」とは、どういう意味ですか?

「無我無畏むがむい」とは、どういう意味ですか?

人は誰でも自分を中心にして物事を考えます。 自己の知識・認識・思考・想像力を基本に世の中の出来事を判断したり、他人との関係を築いたりします。 つまり、自分の物差しで世の中を見ているのです。  そこには、かならず「自分」という「我」が存在しています。 この「我」が周囲と調和がとれているときは、何も問題はありません。 ところが、ひとたび「我」が周囲と不調和になったとき、様々な軋轢が生まれるのです。 自分の意見が通らないという不平、自分は悪くないという逃避、自己の過大評価による欲求不満、過小評価による不安、自己の物差しが周囲とずれているがために生じる疎外感など、「我」があることによって、悩みは増大するのです。 ならば、「我」を無くせば悩みは減少するはずです。 それを説いたのが「無我無畏」です。 これは「我から解放されれば畏れがなくなる」という意味です。 人は、自分という我にこだわれば、周囲との調和がうまくいかなくなります。 頑固に己に固執すると、周囲の人たちの思いや考えを受け入れる余裕がなくなるのです。 人の考えはそれぞれです。 いろいろな意見があって当然なのです。 自分の意見や行き方だけが正しいわけではないのですから、時には「我」を捨ててみましょう。 今まで気がつかなかった周囲との関係にきっと気づくことでしょう。 ご参考までに・・・。

「無可無不可かもなくふかもなし」とは、どういう意味ですか? 

「無可無不可かもなくふかもなし」とは、どういう意味ですか? 

「可もなく不可もなし」というと、今では「悪くないけど特に良い点もない」と解釈され、あまり良い意味では使われません。  そもそも、この言葉は儒家の創始者である孔子の『論語』が語源です。 挑戦してみる前から「これは良い結果がでる」「いや役には立たない」などと考えず、まずやってみればよいという意味です。 この考え方は、禅の精神を表す言葉として用いられてきました。 新しい挑戦をするとき、失敗することへの不安が大きくのしかかってくるものです。 あなたも、何かチャレンジをしようとしているときに「自分には無理」「うまくいくわけない」など、何かをする前からあきらめていませんか? やってみないとわからないことは多いものです。 失敗しても、またやり直せばいいのです。 最初から悲観的にならず、まずは何でも思い切って挑戦してみることが大切です。 「私にできるはずない」なんて決めつけず、あなたの未来の可能性を信じましょう。 ご参考までに・・・。  

「百花春至為誰開ひゃっかはるいたって たがためにかひらく」とは、どういう意味ですか? 

「百花春至為誰開ひゃっかはるいたって たがためにかひらく」とは、どういう意味ですか? 

ふとした拍子に「何のために生きているんだろう」と考えたことはありませんか?人は、生まれた瞬間から与えられた命を全うしようとして生きていきます。 そして自分の存在価値や存在する意義、生きている意味について考えるのです。 「百花春至為誰開」という言葉は、直訳すれば「美しく咲く春の花は、誰の為に咲いているのか」となります。 厳しい冬から暖かな春が来て至るところに花が咲きます。 しかし、花は誰の為に咲くのでしょう。 花は誰の為でもなく、ただ無心に咲き誇り、そして無心に散っていきます。 与えられた場所で、ただありのままに咲くだけなのです。 私たちは自分の存在する意味ばかりに気をとられがちです。 誰かに認めてほしい、理解してほしい、、、つまり無心に生きることができないのです。  身勝手な期待や、不平・不満・自我意識を捨てて、与えられた命を精一杯生きてみませんか? あなたの人生はあなたの為にあるのです。 ご参考までに・・・。

「逢茶喫茶 逢飯喫飯ほうさきっさ ほうはんきっぱん」とは、どういう意味ですか?

「逢茶喫茶 逢飯喫飯ほうさきっさ ほうはんきっぱん」とは、どういう意味ですか?

最近はスマートフォンやパソコンを操作したり、本などを読みながら食事をしている人をよく見かけます。 時間の節約と思っているかもしれませんが、仏教の考えからすれば逆に非効率なことです。 「逢茶喫茶 逢飯喫飯」。 お茶が出されたらお茶を飲み、ご飯が出されればご飯を食べる。 ごくごく当たり前のことですが、時間に追われていると食事だけに集中するのは難しいですよね。  ついつい「ながら食べ」をしてしまったり、他の事を考えてだらだらと食べてしまったり・・・。 しかし、生きるのにとても大事な食事に集中できないのであれば、自分がやるべきことに集中できるはずがありません。 食事のときは、食事のことだけを考えましょう。 お茶で一服、というときも同じです。 休むときはしっかり休み、食べるときはきちんと食べる。 自らの行動を律していくことが重要なのです。 ご参考までに・・・。

「無功徳むくどく」とは、どういう意味ですか?

「無功徳むくどく」とは、どういう意味ですか?

人に何か手助けをしたら、無意識の内にでも何か見返りがあるかなと期待してしまいます。 何かお礼ぐらいあってもいいのに・・・と。 功徳とは、善い行ないに対する報酬のようなものです。 しかし、功徳を得るために下心をもって善い行ないをしても、功徳は遠ざかっていってしまいます。 善行はあなたの利益のために行なうものではありません。 見返りを期待せずに無心で行なうことが大切なのです。 ボランティアの精神です。 それを表した言葉が、達磨大師の「無功徳」です。 六世紀前半、梁の武帝が達磨大師に「寺を建てて僧を多く養成した。 どんな功徳が得られるのか」と聞いて、達磨大師は「何もありません」と答えたそうです。 功徳があると信じて善い行ないをしても、それを吹聴すると意味がないというのですね。 「功徳」は「無功徳」にも通じるのです。 今日した善い行ないが巡り巡って自分に有益な何かにつながると思うのではなく、善い行ないに出会えた縁に感謝しましょう。 ご参考までに・・・。

「喫粥了きっしゅくりょう」とは、どういう意味ですか?

「喫粥了きっしゅくりょう」とは、どういう意味ですか?

「食事を済ませたなら、お茶碗は洗った?」、これが「喫粥了です。 作って食べて片付ける。 これは遥か昔から変わりません。 食べることが当たり前ならば、そのお茶碗を洗うことも当たり前ですよね? 皆さんは、当たり前のことを、当たり前にできていますか? 「修行」というと、滝に打たれたり山奥でひたすらお経を読み上げたり、何か特別な行動を起こすと思いがちです。しかし、修行とは日常そのものなのです。 男だとか女だとか、子供だとか年寄りだとか、そんなことは関係ありません。 食べることと同じように、お茶碗を洗うことも当たり前のことのはずなのです。 あなたは、自分を変えたいと思ったとき、ついつい張り切って無茶な目標を立ててしまったことはありませんか? もちろん、挑戦することは大切なことです。 でも、長続きしなければそれは意味をなしません。 まずは身の回りの「当たり前」から挑戦してみてはいかがでしょう。 ご参考までに・・・。

「月落不離天つきおちててんをはなれず」とは、どういう意味ですか?

「月落不離天つきおちててんをはなれず」とは、どういう意味ですか?

夜の空を見上げると、青白く輝く月があります。 やがて夜明けとともに西の空に沈んで見えなくなりますが、月はなくなったわけではありません。 夜になれば再び煌々と輝くのです。 ちょろちょろと流れる川の水も、やがては大海へとたどり着きます。 始まりや流れの速さは違っても、行く先は一つの海であり、一つに交わるものです。 「月落ちて天を離れず」とは、仏法は特別な場所にあるのではなく、常に私たちのそばにあるという禅語です。 人生の途中でさまざまな姿や形に変えていっても、最後には真理に帰っていくことを説いています。 人は、自分の決めた目標や進路に向かって歩き続けます。 けれども人生において悩んだり、迷ったりしたとき、ちょっとした道草を繰り返し、やがて元の行くべき道に戻っていきます。 人の心も笑ったり、泣いたり、怒ったり、まるで川の流れのように絶えず変化していきます。 人それぞれ歩く道は違っても、最後に行く先は同じなのです。 ご参考までに・・・。

「竹に上下の節せつあり」とは、どういう意味ですか?

人との相性に悩んだときは、この言葉を思い出してください。この言葉には「松に古今の色なし」という続きがあります。 竹は上下の節を持ち、松は季節が変わっても色を変えない植物です。 上下の節を持つものもあれば、いうtも変わらぬものもある。 その違いをそのままに受け入れようという意味です。   夫婦を例に考えてみましょう。 男尊女卑はよくありませんが、仲の良い夫婦であってもそこには元から男と女という変えられない違いがあります。 それに加え、物事に対しての考え方が違うこともあるでしょう。 お互いに得意なこと、苦手なこともあるはずです。  しかし、その違う部分を受け入れて認め合い、足りない部分を支えあって生きていくのが理想的な夫婦の関係です。 まったく違って見える竹と松が自然の中でありのままの状態で共存しているように、まず男女という違いがある夫婦の関係も尊重しあっていくことが大切なのです。 ご参考までに・・・。  

「松樹千年翠しょうじゅせんねんのみどり」とは、どういう意味ですか?

「松樹千年翠しょうじゅせんねんのみどり」とは、どういう意味ですか?

格式のある日本庭園を訪れると、必ずと言ってもよいほど立派な松ノ木に出会いませんか? 松は一年中緑色の葉をつける常緑樹です。 日本では昔から、不老長寿のシンボルとしておめでたい意匠に取り上げられてきました。 春のお花見、秋の紅葉と季節によって変わっていくものの美も素敵です。 しかし、目まぐるしく変わっていく日常の中で、著しい変化のものだけに目を奪われがちなことも否めません。 それらに比べると、松の木は長生きの象徴ではあるけれども、あまり目を引く存在ではないのかもしれません。 ですが、「千年の翠」と表現されるように、いつも同じ緑色ではありません。 季節や年代によって、少しずつ変わっているものなのです。 小さな変化かもしれませんが、一度じっくりと松に視線を向けてみてください。 松の持つ、松だけが持つ悠久の美しさにハッとさせられることでしょう。 ご参考までに・・・。

「八風はっぷう吹けども動ぜず」とは、どういう意味ですか?

「八風はっぷう吹けども動ぜず」とは、どういう意味ですか?

人生には様々な「風」が吹きます。 逆風が吹くこともあれば、思わぬ追い風が吹くこともあるでしょう。 「八風はっぷう」とは、それらを総称した、人の心を揺り動かす状況のことを指します。  誰でも陰口を言われれば傷つきますし、褒めてもらえば調子に乗ってしまうかもしれません。 調子が悪ければ落ち込みますし、うまくいけば油断することもあるでしょう。 重要なのは、それらの風が吹く度に、ふらふらと揺れないようにしっかりと自分の足場を固めておくことです。  褒めてもらったら感謝しましょう。 いわれのない陰口には対抗しても構いません。 自分の中に確固たる信念を持って立ち向かいましょう。 自分はこうだ、という強い想いがあれば、風に惑わされることなく、自分の思う正しい道を進むことができるはずです。  人生は常に風にさらされています。 辛いことも楽しいことも、たじろがず、油断せず、強く歩んでいきたいものです。 ご参考までに・・・。  

火葬後のお骨上げで最後に拾うのは誰ですか?

火葬後のお骨上げで最後に拾うのは誰ですか?

食事の作法では、食べ物を箸から箸へと渡す「渡し箸」はお行儀が悪いとされています。 これは、遺骨を拾う「骨上げ」の際、長い竹の箸を用いて箸から箸へ遺骨を渡すことから、縁起が悪いとされているのです。  そもそも、骨上げで渡し箸をするようになったのには、二つの理由があるそうです。 一つめは、死への恐怖から、一人で遺骨を拾うとその人に悪霊が取り付くのではないかという考え、もう一つは、そこに集まった人々が悲しみを分かち合うためです。 いずれにせよ、一人ではなく大勢の人間で行うことで、故人の骨を拾うという行為の禍々しさを少しでもやわらげようとしたのです。 では、この骨上げで骨を拾う順番ですが、どのように決まっているかご存知でしょうか? まず、足の骨を拾い、腕、腰、背、肋骨、頭骨と上半身へ移っていきます。 そして最後に拾うのがのど仏(第二頚骨)なのです。 この部分は、故人ともっとも血縁の濃い人が拾うことになっています。 のど仏は、仏様が座っておられる姿に似ていて「舎利」とも呼ばれています。 そこから仏様が宿ると考えられているからです。 しかし、実際には火葬場の懸かりの人の指示通りに拾っていけばいいのです。 また、一応拾う順番は決まっていても、最後ののど仏を除いて、どの部位の骨か見分けるのは難しいので、中間の順番にこだわる必要はないとされています。 ご参考までに・・・。

「瓦を磨いて鏡となす」とは、どういう意味ですか?

「瓦を磨いて鏡となす」とは、どういう意味ですか?

これは「仏になるために座禅をする」と考えてしまっている若い僧を戒めた言葉とされています。 瓦を磨いても鏡にはなりません。 でも、座禅をするだけで仏になれるのでしょうか? 私たち人間は、どうしても利害関係ばかりを考えて行動しがちです。 「これをやっておけば後々有利だ」「あれをすると自分に不利になるからやめておこう」などです。 損得勘定で行動すると、これは正しいのか間違いなのかと迷いがちになります。 そうなると、思い通りの結果が得られなければ徒労感だけが残ってしまいます。 反対に、自分の気持ちに素直に行動してみたとします。 たとえ、その結果が失敗だったとしても「自分のやりたいことをやれた」という達成感や満足感を得ることができるでしょう。  お金や地位、名誉など、人間が持つ欲求は無限にあります。 それに振り回されず、あなたのペースで気楽に進んでいきましょう。  ご参考までに・・・。

「百不知百不会ひゃくふちひゃくふえ」とは、どういう意味ですか?

「百不知百不会ひゃくふちひゃくふえ」とは、どういう意味ですか?

知識を得て、周りから認められるようになると、その知識を自慢したくなるものです。 手に入れた情報や知識を誰かに話すことで「そんなことを知っているなんてすごいね」と、褒めて認めてほしくなるのです。 おごりたかぶらず、謙虚でい続けるのは難しいものです。 人は、ついつい知ったかぶりをしたくなります。 知らないことを知らないと、はっきり言える人は意外と少ないものです。 「百不知百不会」。 ここでいう「百」とは単なる数字のことではなく、制限のない「いろいろ」という意味合いです。 「八百万の神」の「百」と同じ意味です。  知っていること、知らないことの数量などにこだわらない、そんな超越した人間を目指したいものです。 知恵があっても地位が高くても、謙虚な心を忘れないようにしましょう。 ご参考までに・・・。

「平常心是道」とは、どういう意味ですか?

「平常心是道」とは、どういう意味ですか?

ふだん私たちが使う「平常心」と、仏教における「平常心」は少し違っています。 かつて、中国の僧が師に「仏の心へ続く道はどういうものか」と尋ねたとき、師は「ふだんの心が道だ」と答えたそうです。 ふだんの心とは、平常心のこととも思えますが、ここでは「日常の小さなことでもおろそかにしない心」を意味しています。 ふだんの生活での心がけこそが、仏の道に通じるということを指しているのです。  特別なときだけいい顔を見せようとするのではなく、ふだんから自然に周りへの気遣いを心掛けましょう。 しっかりとした生活を組み立て、乱れない心をつくることができれば、自然と誰にでも真心を持って接することができるようになるはずです。 人に優しくするのはごく当然のこと、そう思えるようになったときこそ、ここでいう「平常心」が身についた、開かれて平穏な心で過ごせるようになることでしょう。 ご参考までに・・・。

仏教での「まんじゅう」は、どういう意味ですか?

仏教での「まんじゅう」は、どういう意味ですか?

「まんじゅう」の語源は、中国の「饅頭」であるというのが通説ですが、意外にも「まんじゅう」はインドが元であるという説もあります。 「まんじゅう」は、サンスクリット語の音写で、中国語ではないのです。 元は「マンジュー」。 つまり文殊菩薩と同じで、やわらかいという意味です。 文殊菩薩は智慧の菩薩様で有名です。 「三人寄れば文殊の智慧」という諺は、皆さんもご存知でしょう。 その名前は、サンスクリット語名をそのまま音写しています。   元は「マンジュ シリー ボーディーサットバ」です。 マンジューは柔軟な、シリーは吉祥、ボーディーサットバは菩提薩堆です。 そのまま音写して「文殊師利菩薩」と呼ばれています。 意味をとれば、柔軟な智慧を持った吉祥をもたらす菩薩となります。 皆さんもおまんじゅうを食べるときは、文殊菩薩様の智慧を頂いて、やわらかい頭になるのだと思って食べてください。  ご参考までに・・・。

泥仏不渡水でいぶつみずをわたらずとは、どういう意味ですか?

泥仏不渡水でいぶつみずをわたらずとは、どういう意味ですか?

泥仏、つまり泥で作った仏様がいたとしたら、きっと本当の仏様のように水の上を渡ることはできないでしょう。 姿形をどれほど似せて作ったとしても、それは泥の塊にすぎないのです。  形にこだわっていると、ものごとの本質を見失ってしまいます。 形あるものはいつか壊れます。 形ばかりに心を注いでいては、壊れたり失われたりしたときに心のよりどころがなくなってしまうでしょう。 外見ばかりに執着してはいけません。 自分のことを思い返してみて、思い当たるところはありませんか? 高価な服やブランド品で着飾ることを否定しているのではありません。 大切なのは、それらを持っている自分自身の内面を磨いていくことなのです。  綺麗な服を着ていても、マナーが悪ければ美しくは見えません。 高価な道具を使って練習しても、心も鍛えなくてはスポーツは上手にならないでしょう。 まずは、ありのままの自分に自信を持ってください。 ご参考までに・・・。

拈華微笑ねんげみしょうとは、どういう意味ですか?

拈華微笑ねんげみしょうとは、どういう意味ですか?

「拈華微笑」とは、お釈迦様の故事の一つです。 お釈迦様が説法の際に一輪の花をつまんで悟りの境地を示したところ、多くの弟子たちが沈黙しました。 そんななか、迦葉かしょうという弟子が一人だけ、その意味を理解して微笑みました。 そこから「言葉によらず、心から心へ伝わる」ことを示す禅語となりました。 言語を超越して悟りを開く、禅宗の起こりの説話でもあります。 大切な気持ちを伝えるとき、人は言葉や贈り物を手段として思い浮かべます。 けれども、ただにっこりと微笑むだけで気持ちは相手に伝わるものです。 無言の中に言葉では語りつくせないものを込めることができるはずです。 このような、心を心で伝える以心伝心のような関係は、決して親子や恋人、夫婦、親友のような親しい間柄だけに成立するものではありません。 ご参考までに・・・。

行住坐臥ぎょうじゅうざがとは、どういう意味ですか?

行住坐臥ぎょうじゅうざがとは、どういう意味ですか?

最近は若い女性を中心に、自分磨きと称してお稽古事や資格取得をすることが定着しつつあります。 英会話や陶芸、着付けなど時間をやりくりしながら今の自分に新しいスキルを加えようとする向上心は、とても素敵なことです。 しかしその一方では、電車の中でお化粧をしたり、ところかまわず大きな声ではしゃいだりする、公共の場のマナーの悪化も問題視されています。 美しい心、美しい生き方はどこにあるものなのでしょうか? 「行住坐臥」とは、日常の振る舞いのことで、規律と作法にのっとった行動を尊んでいます。 禅宗では食事や歩くこと、座ること、掃除をすること、この日常生活の全てが修行と考えているからです。 皆さんは、自分を美しく装うこと以外に、箸の上げ下ろしや座るときの所作などに気を配っていますか? どんなに見た目を装っても、日常生活の立ち居振る舞いがだらしなかったり、無作法では、せっかくの魅力も半減してしまいます。 美しい人生のために、ちょっとした動作にも心を配ってみて下さい。  ご参考までに・・・。

非思量ひしりょうとは、どういう意味ですか?

非思量ひしりょうとは、どういう意味ですか?

不安や苛立ち、不満でいっぱいになると、相手を思いやる余裕もなくなり不安定になりますよね? そんな時は心を無にして、ちょっと時間を置いてみてください。 心を無にするって、どうやって?と思いますよね? この言葉はもともと座禅の心得を説いたアドバイスです。 曹洞宗の開祖である道元が発した言葉に由来します。  座禅は身なりを整え、まっすぐに座り、息を整えるだけです。 すると自然に心が整ってきて、自分を迷わせていた雑念の存在が客観的に見えてきます。  座禅を続けている間に、あらゆる雑念が消え去って、心が澄み渡ってくるのです。 だからといって、無理に座禅を組む必要はありません。 今、目の前にある物事から、少しの間でもいいので離れてみましょう。 目を閉じて呼吸を落ち着かせれば、心もリセットできるはずです。  ご参考までに・・・

和敬清寂わけいせいじゃくとは、どういう意味ですか?

和敬清寂わけいせいじゃくとは、どういう意味ですか?

仕事の会議や友人との会話で、時には意見がぶつかることがありますよね? 議論を交わすことは大切ですが、話が平行線をたどり始めたら要注意です。 そんな時には「和敬清寂」を思い出して下さい。 “敬う”ということは、相手に合わせて単に「うん」と頷けばいいというものではありません。 相手の意見を認め、また同時に自分の意見も聞いてもらう。 お互いに譲り合って関係をつくっていく。 ここから「和」という状態が生み出されるのです。 敬うことでお互いに寄り添えば、そこに穏やかな調和が生まれる・・・。 「和敬清寂」とは、そういう意味なのです。 会議で二つの案が出たとすれば、対抗して悪い部分ばかりを指摘するのではなく、良い部分は良い部分として認め、歩み寄っていくことで、より良いアイデアが生まれることもあるでしょう。 意見は人それぞれで、同じではありません。 だからこそ、その違いを尊重していくことで、「和」を創りだすことができると考えてみてはいかがでしょうか? ご参考までに・・・。

閑古錐かんこすいとは、どういう意味ですか?

閑古錐かんこすいとは、どういう意味ですか?

あなたは、自分より歳が下の人と話しているときに「この人は若いなぁ」と感じたことはありませんか? 若さゆえの理由のない自信・情熱・まっすぐな気持ち。 こうしたものを感じると「若いなぁ」と思うものですね。 とかく若い頃というのは、勢いや気力で尖ってしまうものです。 恐れなどなく挑戦し、失敗しても平気だった。 それは、誰しもが通ってきた破天荒な時期なのです。 「閑古錐」とは、使い続けられて先端が丸くなった錐のことです。 切れ味が悪くなった古い錐は、道具として役には立たないものです。 されど長い間、穴を開ける役目を果たして丸くなった刃先、手に馴染みやすいなど、新品の錐にはない魅力があるというものです。  人間にも、この古い錐と同じことがいえます。 若い素直さや勢いも魅力ですが、歳を重ねてこそ身につく風格や威厳、渋味があるのです。困難や苦労をくぐり抜けて歳を経た者が持つ、穏やかな中にある力強さと円熟味。 そうした魅力に気付いて下さい。 そう考えると、歳を重ねていくのも悪いものじゃありません。 円熟した魅力も素敵なのですから。   ご参考までに・・・。

我逢人がほうじんとは、どういう意味ですか?

我逢人がほうじんとは、どういう意味ですか?

意味からすると「自分が人と出会う」ということで、単純です。 日々過ごしていれば、誰でも誰かと出会います。 ありふれたことだからって、ないがしろにしていないでしょうか?  自分を信じて、自分の判断で状況を乗り越えて行く際に、自分では気づいていなかった問題に助言をもらったり、助けてもらったり・・・。 その関係はどのようにして生まれましたか? 出会ったことがそもそもの発端ですよね。 一つ一つの出会いは、取るに足らない偶然と思えてしまうかもしれません。 今、この出会いがどのような道筋につながるかわかりません。  嫌いな人との出会いが、何かの縁につながるかもしれません。 出会いそれ自体が、あなたの人間としての成長につながることもあります。 他人はみんな自分とは違う考えを持って生きています。 それを吸収し、自分の考えを分け合い、お互いに伸ばし合っていく・・・・・。 出会いからすべてが始まるのです。 皆さんも、たくさんの出会いがある一年でありますように。 ご参考までに・・・。

「善知識ぜんちしき」とは、どういう意味ですか?

「善知識ぜんちしき」とは、どういう意味ですか?

知識はないよりもあったほうがいいです。 しかし、知識があればいいというものでもありません。 なぜなら、知識には善と悪があるからです。  仏教では、知識は友人や修行仲間のことを意味します。 ですから知識に善と悪があるのです。 善い友人のことを「善知識」、悪い友人のことを「悪知識」といいます。 知識を持つことは大切です。 それは現代の言葉の意味でも仏教用の意味でもです。 しかし、知識も友人もあればいい、というものではありません。  善い知識、善い友人を求めるべきでしょう。 悪い知識や悪い友人ならば、ないほうがいいのです。 お釈迦様は「悪い友と行くくらいなら、一人孤独にいるほうがよい」と説かれています。 本当の友人ならば、悪の道へ行こうとすれば止めるべきでしょうし、悪の道へ引きずり込むようなことはしません。 悪への道を共にしたり、周囲の人を悲しませるような行為をしたりする友人といるならば、一人孤独に過ごしたほうがよいのです。 善知識を求めましょう。 そして、自らも善知識であろうとしましょう。 身につける知識も友人も善であるほうがいいのです。 周囲の人たちを悲しませてはいけないのです。 ご参考までに・・・。

「三昧魔さんまいま」とは、どういう意味ですか?

「三昧魔さんまいま」とは、どういう意味ですか?

三昧といえば、何かに夢中になっていること、集中していることを意味しています。 例えば、贅沢三昧・映画三昧・読書三昧などです。 この「三昧」は、サンスクリット語の「サマーディ」の音写です。 意味は、静かに集中することです。 禅定と同じ意味を持っています。 したがって、三昧は心が安定し、穏やかな状態になっていなければなりません。 しかし、三昧の中でも厄介な三昧もあります。 それが「三昧魔」です。 三昧にとらわれ、三昧の意味を見失うことです。 つまり、集中しようとして集中できなくなり焦ってしまう、落ち着こうとして落ち着けなくなり焦りだす。 そんな状態を三昧魔といいます。 また、三昧に執着しすぎて夢中になってしまうことも三昧魔に入ります。 本来の三昧は心が穏やかに安定した状態でした。 ところが、三昧魔は夢中になってしまうのです。 同じ集中した状態でも三昧魔は心穏やかではなく、やや興奮状態にあるのです。 何かに夢中になっているとき、周囲のことが耳に入らなくなってしまいます。 それは、集中しているようで、集中ではないのです。 魔にとらわれているだけなのです。 自分の好きなことのみに集中する場合、それは集中ではなく夢中になっているのです。 集中しているときの心は、穏やかで静かなるものなのです。 三昧魔に心を奪われないようにしてください。 ご参考までに・・・。

「一心いっしん」とは、どういう意味ですか?

「一心いっしん」とは、どういう意味ですか?

「一心不乱」という言葉があります。 他のことに目を奪われず、集中している人の気迫は周りの人をも動かします。 すべての物事の原動力は心なのです。 想うことは力になります。 スポーツ選手もよく「心技体そろってこそ結果が出せる」と言っています。 精神力・技術力・体力すべて三位一体でそろってこそ、勝負に打ち勝てるのです。 ただ、鍛えた筋肉や身体を動かすのは心なのです。 勝ちたいという熱意が身体の潜在能力を引き出し、反対に、負けるかもという弱気がここぞというときの勝負を決するのです。 難しく考えることはありません。 普段の笑顔や声も心の現れです。 一口に笑顔といっても、どんな感情で笑っているのかすぐにわかりますよね? 物事の結果を左右するのは、あなたの心の持ち方次第です。 当たり前のことですが、当たり前だからこそ人は忘れがちになるのです。 ご参考までに・・・。

「知足ちそく」とは、どういう意味ですか?

「知足ちそく」とは、どういう意味ですか?

私にはこれが欠けている、あれもこれも欲しいと所有欲に囚われていませんか? それは本当に必要なものですか? 「私は満ち足りている」と口に出してみると、心が穏やかに広く感じられてきます。 「足ることを知る」ということです。 健康やダイエットなどを気にしている人なら「腹八分目」という戒めをご存知でしょう。 満腹になるまで食べ続けるのではなく、ほどほどの量に控えるという意味ですが、その方が身体に良いことは実証されています。 美味しいものを食べて、気持ちも満たされたのに、なぜ「もっともっと」と思ってしまうのでしょうか? もう充分満たされているはずなのに・・・。 欲望の芽が出てきそうな予感がしたら、この言葉を呟いてみて下さい。 本当に必要なものが何か、本当に不足しているのか、振り返るきっかけになるでしょう。 ご参考までに・・・。

「脚下照顧きゃっかしょうこ」とは、どういう意味ですか?

「脚下照顧きゃっかしょうこ」とは、どういう意味ですか?

お寺の玄関やお手洗いなどで、この文字を見かけたことはありませんか? 「靴をそろえましょう」ということですが、転じて「足元を見なさい」「あなたの原点を見直しなさい」という、心に呼びかける意味でも使われています。 「自分の足元を見て自分の心を振り返り、現在の立場をよく見極めて行動しなさい」という深い意味が隠されているのです。 現代に生きる私たちは、時間に追われすぎて自分を見つめ直す時間を確保できません。 その割に他人の嫌なところには目がいってしまったり、気になったりします。  けれども、まずは自分のことを見つめてください。 理想を高く持つならば、なおさら自分の足元をしっかり見つめ直す必要があります。 日常生活も修行の一つです。 どんなに忙しくても、自分の脱いだ靴はしっかり揃えるくらいの心の余裕は欲しいものです。 そして、自分の靴を揃えられるようになれば、他人の靴も揃えてあげようという心の余裕も出てくるはずです。 ご参考までに・・・。

「相好そうごうを崩す」とは、どういう意味ですか?

「相好そうごうを崩す」とは、どういう意味ですか?

相好という言葉は顔かたちや容貌という意味ですが、これは「三十二相」と「八十種好」という、仏教語の組み合わせからできています。 この言葉は、仏陀となったお釈迦様の身体的特徴を表しています。 完全なる悟りを得た仏陀は、三十二種類の身体的特徴と八十種類の細やかな特徴を有するのです。 ここでその全てを紹介する事はできませんが、三十二相の中から少し紹介しておきます。「頭頂部の肉が盛り上がっている」「体毛の全てが右に渦巻いている」「眉間に白い毛が右回りに生えている」舌が長く顔を覆うことができる」「肩が丸い」「腋にへこみがない」「身体が黄金に輝いている」「手が長く、立っていると膝まで届く」「手のひら、足の裏に法輪の模様がある」などです。仏像をよく見てみますと、そうした特徴が表現されています。 なお、古い仏像は黒い色をしていますが、元は金箔が施してありました。  同じご本尊をお参りしても、お参りする方によって仏様の表情が違って見えるといわれますが、もちろん仏様のお顔が変わるわけではありません。 お参りをされている方の心が、仏様の表情に反映しているのでしょう。 まるで、仏様が己の心を見透かしているようです。 できれば、相好を崩した仏様のお顔をお参りできるようになりたいものです。 ご参考までに・・・。

「極楽ごくらく」ってどこにあるのですか?

「極楽ごくらく」ってどこにあるのですか?

上方落語の「浮世根問」の中に、極楽のありかを問うくだりがあります。 物知りの御隠居に屁理屈な男が極楽はどこにあるか尋ねるのです。 御隠居は「地獄の近所だ」と答えます。 「じゃあ地獄はどこに?」と問われ「極楽の近所」と答えます。 そのうちに「西のほうに行けばあるか?」とか「西明石のほうか? もっとずっと西か・・・?」などと屁理屈をこね始めます。  極楽といえば、阿弥陀如来の西方浄土が有名ですが、極楽はそれだけでなく他にもあります。 たとえば、東にはあしゅく如来の妙喜浄土、薬師如来の瑠璃浄土があり、すべてを包括する大日如来の密厳浄土があります。 また、この地球はお釈迦様の娑婆浄土でもあります。 「阿弥陀経」によると、西方浄土は十万億の仏国土を過ぎた彼方にあると説かれていますが、具体的に想像がつきません。 では、極楽はどこにあるのでしょうか? 冒頭でお話した落語に出てきた御隠居さん、実は間違ってはいないのです。 極楽は地獄の近所にあるのです。 しかも、その場所はごく近所です。 人に対し怒っている時の心、辛く当たっている時の心、それが地獄そのものでしょう。 人に対し優しくしてあげている時の心、他人の喜びを心から祝福している時の心、それが極楽なのです。 地獄も極楽もすべて自分自身の中にあるのであって、遠くにあるものではないのです。 「道歌どうか」に次のようにあります。  「極楽は 西にもあらで東にも 北(来た)道探せ 南(みな身)にぞある」地獄も極楽もすべて、己の中にあるのです。 ご参考までに・・・。

「洗心せんしん」ってどういう意味ですか?

「洗心せんしん」ってどういう意味ですか?

洗心とは心を洗うと書きますが、心を洗うと言われてもピンときませんよね? 身体の汚れは毎日お風呂に入れば落とせますが、心に浮かんだ疑い・迷い・妄想・・・あなたの目を曇らせる様々な汚れはどうやってとり払いましょうか?  禅の教えの中では座禅を組んで心を鎮め、邪念や妄想を身体の中から追い出します。 座禅を組み、警策と呼ばれる木の板で肩を叩いてもらうと、気分が改まるのは先月の仏事Q&Aでもお伝えしました。 しかし、気分を改める方法は座禅だけではありません。 「解決できない悩みや問題ならば、忘れてしまうのも一つの方法です。 スポーツをしたり、映画を観たり、美味しいものを食べたり、リフレッシュの方法は人それぞれです。 気持ちが一新されると、今まで悩んでいたことを小さく感じることもあります。 大切なことは、心の汚れをいつまでも残しておかないことです。 ついてしまった心の汚れは、なるべくその日のうちに洗い流しましょう。 ご参考までに・・・。

「日々是好日にちにちこれこうじつ」ってどういう意味ですか?

「日々是好日にちにちこれこうじつ」ってどういう意味ですか?

「日々是好日」という言葉は、床の間に飾ってある掛け軸などで、目にしたことがある方も多いのではないでしょうか? 「日々是好日」とは禅の言葉で、新鮮な気持ちで一日を大切に生きることで好日をもたらすと説かれています。 例えば、昨日一日を振り返ってみてください。 あなたはどんな一日を過ごしましたか? カバンに入れっぱなしのはずの定期券を家に忘れた、わけもなく上司の言動にイライラしてしまった、買い置きしてあると思ったシャンプーがなくて困った等々・・・こんなことが続いたら、その日はブルーな気分でついていない一日だと思ってしまいますよね。 では、気分のいい一日とはどんな日なのでしょうか? いつも満員電車で立ちっぱなしの通勤なのに運よく座れた、疎遠になっていた同級生とばったり会えた、近くにおいしいランチのお店を見つけた等々・・・些細なことでも嬉しいことがあれば、その日はなんとなくいい一日といえるではないでしょうか? 生きていれば楽しいことばかりでなく、嫌だなぁと思うこともあるでしょう。 でも、たとえどんな一日であってもくよくよせず精一杯生きれば、毎日はとびきりのいい日になるはずです。 ご参考までに・・・。

「身心脱落しんしんだつらく」ってどういう意味ですか?

「身心脱落しんしんだつらく」ってどういう意味ですか?

座禅を体験したことはありますか? 静かな空間に身を置いて座禅を組んで瞑想するだけで、心身とも軽やかになってきます。 身体は動かさないのに不思議なものですね。 中国に渡って、師の如浄のもとで修行した道元は、焼香や礼拝・念仏・読経などよりも、日々の所作への心遣いのほうが修行として重要だと述べました。 そして、座禅を続けて精神統一することが、身心の脱落に通じるとも述べたのです。 「身心脱落」という言葉は、座禅を重要視する道元がすべての束縛から解き放たれ、悟りの境地に達した日、師に告げたものです。 身も心も澄み切った境地を表したものなのです。 座禅は難しくても、朝のちょっとした時間にストレッチして身体をほぐしてみるのもよいでしょう。 身体の疲れやコリをほぐして温めれば、気持ちも軽やかになります。 まさに身も心も解きほぐされるのです。 ご参考までに・・・。

「維摩居士ゆいまこじ」ってどういう意味ですか?

「維摩居士ゆいまこじ」ってどういう意味ですか?

維摩経というお経があります。 主に空を説いたお経です。 このお経は、維摩居士という大商人が主役です。 維摩居士は、お釈迦様がいらした当時の都市バイシャリーの大商家の主人でした。 商人ですから俗人です。 俗人ですからお酒も飲みます。 賭け事もします。 色町に通ったりもします。 服装も流行物を身につけています。 富と名声があり、国王とも顔見知りです。   しかし、威張ったところは一つもなく、相手がどんな身分であろうが平等に接します。 もちろん嫌味なところなど一つもありません。 地域の発展のために進んで協力します。 ボランティア活動にも参加します。 仏教の篤い信者であり、仏教教団に多くのお布施もします。 さらには、仏教にも精通しています。 お釈迦様の弟子など太刀打ちできないぐらい「空」を理解しています。 他人の苦しみをよく理解し、正しい道へ導くこともします。 俗人であり、俗な遊びをするにもかかわらず、その心はいつも覚りの境地に漂っているのです。 族にありながら俗に染まっていないのです。 俗人であり、俗世間の遊びをしていても、他人に対して分け隔てなく、何のこだわりもなく、生きることはできるのです。 維摩居士は、理想の人間像です。 誰もが維摩居士になれる可能性があります。 金持ちでなくても構いません。 その精神が大事なのです。 2015年は維摩居士の心を目標にしてみてはいかがでしょうか? ご参考までに・・・。

「七佛通戒毛偈しちぶつつうかいげ」ってどういう意味ですか?

「七佛通戒毛偈しちぶつつうかいげ」ってどういう意味ですか?

仏陀は、お釈迦様が初めてではありません。 お釈迦様の前に六人の仏陀がいたと、お釈迦様自身が説いています。 ただし、お釈迦様の前の仏陀が現存したのは、何十億年も前のことだそうです。 その過去の仏陀からお釈迦様に至るまで、共通の戒律があります。 それが「七佛通戒毛偈」です。 ・諸悪莫作(もろもろの悪をなすことなく)・諸善奉行(もろもろの善をなし)・自浄其意(自らの心を浄せよ)・是諸仏教(これが諸仏の教えである) 簡単に言えば、「善い事をして悪いことはしない・清浄なる心を持て・これが昔からの仏陀の共通の教えである」ということです。 そして、これは仏教の基本でもあるのです。 しかし、何が善で何が悪なのでしょうか? 自分にとって善い事でも、他人にとっては悪い場合もあります。 仏教でいう善とは「周囲の人々を喜ばせ、安心させ、悲しませないこと」です。 また、悪とは「周囲の人々を苦しめ、不安を与え、悲しませること」です。 自分にとっての善や悪という観点から判断するものではないのです。 周囲からの視点で善悪を決めるのです。 あなたがあなたの周りの人々を安心させたり、喜ばせたりできれば、それは善なのです。 周りの人々を悲しませたり、不安にさせたり、苦しめたりすれば、それは悪なのです。 あなたにとって善なる行為でも、他人が苦しむことならば、それは悪い行為なのです。 ご参考までに・・・。

「三明さんみょう・六通ろくつう」ってどういう意味ですか?

「三明さんみょう・六通ろくつう」ってどういう意味ですか?

仏教の説話を読んでいますと、神通力がよく出てきます。 神通力とは、覚りを得たものが手に入れることのできる超能力のことです。 それは「三明・六通」と呼ばれています。  ①行きたいところへ自由に行ける神足通②自分や他人の未来を見通す天眼通③普通の人が聞こえない音を聞く天耳通④他人の心を読む他心通⑤自分や他人の過去世を知る宿命通⑥煩悩を取り去る能力である漏尽通 この中でも、天眼通・宿命通・漏尽通を三明といい、六通の中でも重要な神通力とされています。 このような神通力があったら大変便利です。 特に三明は、修行すれば得られるということでしたら、望む人は多いのではないでしょうか? しかし、そんなに甘くはありません。 超能力や霊能力が得られるといって入信を勧める宗教もあるかもしれませんが、これは本末転倒なのです。 神通力は求めるものではありません。 覚りを求める修行をしているうちに、心の強さとともに自然と身につくものなのです。 最初から神通力を求めるのは邪道です。 覚りを求める修行をして、心のコントロールができるようになって初めて仕えるものなのです。 自分自身の心をよく制御する強さを身につけることが必要なのです。 ご参考までに・・・。

「玄関げんかん」ってどういう意味ですか?

「玄関げんかん」ってどういう意味ですか?

玄関のない家はありません。 玄関はその家の出入り口であり、家の顔といっても過言ではないでしょう。 玄関とは「玄妙なる道にはいる関門」のことを意味していました。 「玄妙なる道」とは、奥深く思いが及ばない深遠なる真理のことです。 特に仏教を示した言葉ではなく、真理全般に用いられていました。 それを禅に取り入れ「玄関」として使用しました。 碧厳録に「奥深い仏道への入口」という意味で説かれています。 すなわち、寺院の玄関を通ることは、深遠なる仏道に入ったという意味でもあるのです。  お寺巡りをしたときなど、有名寺院の山門をくぐり、本堂の玄関に入り、靴を脱いで中へと入って行きます。 それは、深遠なる仏法の真理への入口を通ったことでもあるのです。 そう思って玄関に入れば、寺院内での過ごし方も変わるのではないでしょうか?  玄妙なる道の関門を通ったのですから、ただの観光で終わるのではなく、何か一つでも仏陀の教えを持って帰ってみてはいかがでしょうか? また、自宅に戻ればどなたも厳寒を通ることでしょう。 それは、家庭という人間世界の入口でもあるのです。 会社の玄関を通れば、これも複雑な人間関係が渦巻く世界の入口でもあるのです。 そう思って自宅や会社の玄関を通ると、また違った見方ができるのではないでしょうか。 つまらない、ありきたりの見飽きた玄関も、自分の思い一つで新しい玄関に生まれ変わるのです。 ご参考までに・・・。

「迷倒自纏めいとうじてん」ってどういう意味ですか?

「迷倒自纏めいとうじてん」ってどういう意味ですか?

道に迷うと、自分がどこにいるのかさっぱりわからなくなり、ますます迷ってしまうことがあります。 悩み事も同じで、一つ抱えると、次から次へと悩み事が重なって、どう対処していいのかわからなくなってしまいます。 「迷倒自纏」とは、源空の「撰択集せんじゃくしゅう」にある言葉で、迷い迷って自分を縛ってしまうことを意味しています。 つまり、出口のない迷路に迷い込んでしまったように、自分でどうしたらいいのかわからなくなり、自分を追い込んでしまった状態のことです。  どうしていいのかわからない、でもこのままじゃいけない、焦燥感・イライラ・身の置き場のない辛さ・八方塞がり・疑心暗鬼・・・。 こうなってしまうと、見えるものも見えなくなりますし、小さな出来事も大きな不安になってしまいます。 しかも、なかなか抜け出せません。 まるで蜘蛛の巣にかかった虫のようです。 一体どうすればその罠から抜け出せるのでしょうか? 最も簡単な方法は、考えることを止めることです。 どうにでもなれ、なるようになるさと開き直ってしまうことです。 迷路から飛び出すのです。 蜘蛛の巣を切ってしまうのです。 そうすれば気がつかなかった抜け道や見えなかった道に気付くこともあるでしょう。 かならずどこかに抜け道はあるのです。 逃げ道はないと決め付けて絶望するより、どうにでもなれと開き直ったほうが楽なのです。 ご参考までに・・・。

「真仮大勢しんかだいせい」ってどういう意味ですか?

「真仮大勢しんかだいせい」ってどういう意味ですか?

難しいことをそのまま話しても、理解は得られないものです。 また、いきなり高度な話をしても誰も話を聞いてはくれないでしょう。 仏教も同じで、いくら良い教えであっても、難しい言葉をそのまま説いても誰も理解してくれません。 例えば「空」の思想を「有るものではなく、無いものでもない」などと説いてもなかなか理解は得られません。  お釈迦様は様々な例え話をして教えを説きました。 日常の話題や身近な事柄を取り上げ、そこから深い教えへと導いたのです。 この方法のことを「真仮大勢」といいます。 真実を日常的な事柄を借りて説き明かすという意味です。 いくらいい教えであっても、いくら深遠なる教えであっても、難しい話は心に響きにくいのです。 むしろ、自分の経験したことや世間の出来事を例えにして話したほうが、人の共感を呼ぶものです。 人は指導する立場にある方、教え導く方、部下を指導する必要のある方、あるいは親も教師も、「真仮大勢」を心掛けることが大切でしょう。 いくら正論であっても、堅苦しく生真面目に話をしても、なかなか聞いてはもらえません。 話を聞かない人を責めるのではなく、聞いてもらえるような話し方をすることも大事なのです。 ご参考までに・・・。

「迷信」ってどういう意味ですか?

「迷信」ってどういう意味ですか?

迷信は、誤った信仰から生まれた縁起担ぎや根拠のない言い伝えがほとんどだそうです。 「大日経住心品」では「迷信とは心が迷って精神が錯乱しているため、自分が望んでもいないことをしてしまう心のこと」と説いています。 このようなことは、誰にでもしばしばあることではないでしょうか?  たとえば、気持ちとは裏腹についつい口が滑ってしまったり、相手を傷つけてしまったりしたことはないでしょうか? 「そんなことを言うつもりではなかった」「こんなことをしたいわけではなかった」というように、自分の意思とは裏腹のことを言ったりしてしまうことが、本来の「迷信」です。  迷信とは、自分がどうしていいのか迷ってしまい、どれを信じていいのか、誰を信じていいのか不安にさいなまれてしまった心のことです。 その結果、自分が望んでいたこととは別の行動をしてしまい、状況を悪化させてしまうのです。 迷信に陥ると、悪循環を起こしてしまうのです。 そういう時は、一度心をリセットすることです。 原点に返ってみるのです。 誰が何を言っていたのか、それは事実かどうか、自分は何がしたいのか、自分の気持ちはどうなのか、それは伝わっているのか、誤解はないのか・・・。 ゆっくりと心を整理してみるのです。 そうすれば迷いの心から脱出することができるでしょう。 ご参考までに・・・。

大悲三念住(だいひさんねんじゅう)ってどういう意味ですか?

大悲三念住(だいひさんねんじゅう)ってどういう意味ですか?

人は差別をします。 自分を慕ってくれる者を優先したり、庇護したりします。 逆に自分にとって不都合な相手には冷たくしたりします。 人は人に対して、その関係に差をつけるものなのです。 ところが、悟りを得た者にはこの差別はありません。 すべては平等なのです。  仏教を信じ信仰を深く持つ者に対しても、仏教を全く信じない無信心な者に対しても、半信半疑の者に対しても、如来や菩薩は平等に接し、常に正しき智慧を念じているのです。 これを「大悲三念住」といいます。 「三」は、信仰の篤い者、無信仰の者、半信半疑の者の三種の衆生のことを表しています。 どのような相手に対しても、如来や菩薩は平等に接する、大いなる慈悲心を持っているのです。 普段、敵対している相手が相談を持ちかけてきたとき、あなたはどう対応するでしょうか? 聞く相手が違うと拒否しますか? あるいは、何を今さらと冷たくあしらったり、罠かもしれないと疑ったりするのでしょうか? あなたが嫌う相手でも、敵対する相手でも、仲良くない相手でも、もし相談を持ちかけられたり救いを求めてきたりしたならば、その時は話を聞いてあげるといいでしょう。 友人でなくても友人と同じように平等に話を聞いてあげましょう。 差別や区別をしない態度こそが大切なのです。 ご参考までに・・・。

山川草木悉有仏性(さんせんそうもくしつうぶっしょう)ってどういう意味ですか?

山川草木悉有仏性(さんせんそうもくしつうぶっしょう)ってどういう意味ですか?

大乗仏教が興り始めた頃、悟りは誰でも得られるのか?ということは大きなテーマでした。 「涅槃経」の一節に「一切衆生悉有仏性」という文があります。 意味は「すべての生あるものは、みな悉く悟りを得る素質を持っている」ということです。 「仏性」とは「仏陀になれる素質」すなわち「悟りを得ることができる素質」のことです。 涅槃経のこの言葉によると、誰もが悟れることになります。 人だけではありません。 命あるものすべてが悟れるのです。 そうした意味から「草木国土悉皆成仏」という言葉が生まれました。 草も木も大地もみんな悟れるのだ、という意味です。 そしてさらに「山川草木悉有仏性」という言葉が生まれたのです。 「山も川も草も木も、命あるものすべてに仏性がある。 すべてが悟れるのだ」つまり、悟りを得る能力のないものはいない、ということです。 誰しも皆平等に悟りを得る素質を備えているのです。 では、なぜ悟れないのでしょうか? それは、自分にも悟りを得られる素質があるということを知らないからなのです。 せっかく持っている素質でも、知らなければ生かすことはできません。 あなたは今、あなた自身の中に悟りを得られる能力があることを知りました。 それをぜひ活用してください。 そうすれば悩みや苦しみから解放され、心穏やかに過ごせるでしょう。 あなたも悟れるのです。 ご参考までに・・・。

用心ようじんってどういう意味ですか?

用心ようじんってどういう意味ですか?

物騒な世の中、何かと用心するに越したことはありません。 用心とは「よく注意をする」という意味です。 そもそもは、心を働かせること、心配りの意味でした。 「用」は仏教では「ゆう」と読みます。 受け入れることを意味しており、「受用じゅゆう」という言葉で使います。 用事といえば「ゆうじ」と読み、「受け入れ楽しむ」ことを意味しています。 用意は「ようい」で、読み方は現代と同じですが、意味は心構えを意味しています。 「用意しなさい」と言われれば、「心の準備をする」だけでいいのです。 さて本題の、「用心」です。 これも読み方は現代と同じですが、意味は「心配りをすること。心掛け。気遣い」となります。 昔の修行者の間で「用心しなさい」といえば、「気遣いしなさい。心配りをわすれないように。」という意味だったのです。 現代でも「用心しなさい」といった場合、ただ「注意しなさい」という意味だけでなく、注意の上にも注意を重ねよ、もっと慎重になりなさいという強調が込められています。 何かと用心が必要な世の中です。 特に人間関係には本来の意味での用心が必要です。 周囲への心配りや気遣いを忘れないようにしたいものです。 人間関係にこそ、御用心、御用心。 ご参考までに・・・。

如行雲流水にょこううんりゅうすいってどういう意味ですか?

如行雲流水にょこううんりゅうすいってどういう意味ですか?

仏教思想の中で、最も知られているのは「空くう」ではないでしょうか? 「空」を説いたお経としては、般若心経が代表的です。 しかし、空思想は知られている割には理解されていないものです。 「空」の思想は難しく、多くの僧侶が自問自答しながら説いてきました。 「如何が空かー空とは何か」 答えの一つに「如行雲流水」があります。 「空」とは、空を行く雲の如し、流れる水の如し、という意味です。 禅の修行者を雲水といいますが、その語源がこの「如行雲流水」です。  雲は流れに任せて形を変えていきます。 何かに引っかかることもなく、何かにこだわることもなく、ただただ流れていきます。 同じく、川を流れる水も、ただただ高きより低きに流れるだけです。 雲も水も自分で止まろうとはしません。 雲が一ヶ所に留まり続ければ、日が射さなくなり植物も育ちません。 水も一ヶ所に留まってしまえば、澱んで濁ってしまいます。 「空」とは、雲や水のように、何のこだわりもなく、執着もなく、留まることなく流れるように自然に生きていくことです。人が「空」で生きていけば、悩みなどは生まれてこないでしょう。 地位や名誉、立場、物や金銭に執着を持ったり、他人の言動を気にしたり、見栄を張ったりするから悩みは生まれてくるのです。 手に入るときが得られるとき、手に入らないのは縁がないから、と何のこだわりもなく、行く雲の如く、流れる水の如く生きていけば、苦しみも悩みもなく生きられるものなのです。 ご参考までに・・・。

依度作意えたくさいってどういう意味ですか?

依度作意えたくさいってどういう意味ですか?

仏教が生まれた頃のインドでは、シヴァ神(大自在天)に祈る宗教が主流でした。 人々は自分達の幸福を大自在天に祈願し、いろいろな儀式をしたのです。 しかし、仏教は神に祈るということを教えません。 むしろ自らの幸福は自ら得よ、と説きます。 それは、出家者であっても一般の人々に対してでも同じです。 仏陀が説いた究極の幸福とは覚りです。 一般の人々においては心の安定を得ることです。 それを手にするためには、神に祈るのではなく自分で追い求める必要があります。 「依度作意」とは、それを示した言葉です。 現代でも、人々は様々な神仏に祈願をします。 願い事を叶えてもらうため、お寺や神社に参拝します。 それは決して悪いことではありません。 大乗仏教においては祈願を否定はしません。 しかし、祈願だけで終わってほしくはありません。 神仏の力を知ったのでしたら、その奥にある教えにも触れてほしいのです。 そして、祈る必要がないような心の安定を得てほしいのです。 そのためには、ただ祈願だけをしていればいいのではなく、仏教的生き方を学ぶことが必要でしょう。 神仏に祈ることも大切です。 祈りを捧げることもいいことです。 しかし、最終的には自分自身なのです。 自分の人生は自分で決めていかねばなりません。 最も頼りになるのは自分自身でなければならないのです。 ご参考までに・・・。

仏教でいう「宴」は「宴会」と同じ意味ですか?

仏教でいう「宴」は「宴会」と同じ意味ですか?

「うたげ」とは読まず「「えん」と読みます。 もちろん、俗に言う宴会の意味ではありません。 しかし、楽しいことではあります。 「宴」は「宴座」の略です。 「宴座」は、「阿含経」や「維摩経」などの経典に登場します。 「宴」の意味は「安らか。座禅をすること」です。 「宴座」となると「心身ともに安らかに座禅すること」となります。 すなわち、座禅を楽しむことです。  一般的に修行は、苦しく厳しいものと思われています。 確かに、修行には規律や規制があり、睡眠時間も短く、肉体的にも精神的にも厳しいものです。 そうでなくては修行にはなりません。 しかし、苦しいだけではないようです。 ある修行僧は、修行のはじめに伝授をしてくださる大阿闍梨様から「修行が苦しいと思ったら、その時点で修行をやめよ。修行は楽しいものじゃ」と言われたそうです。 その修行僧は、修行が始まったばかりの頃は、この意味がわからなかったそうです。 しかし、修行が進むにつれ、意外にも楽しさがわかってきたのです。 まさに「宴座」です。 一見、苦しいと思われることでも、実行してみると意外にそうでもないことは、皆さんも経験したことがあるでしょう。 また、苦しいことでも少し見方を変えれば楽しくなるものです。 苦しみを「宴」に変えることもできるのです。 ご参考までに・・・。

縁起って担ぐものなのですか?

縁起って担ぐものなのですか?

「本来の縁起は担ぐものではありません。 いいとか悪いとか気にするものでもありません。 縁起は、知ることが大切なのです。 縁起とは、原因と結果の関わりを説いた教えです。 それは、このように説かれます。「これがあれば、かれがある。 これが生ずれば、かれも生ずる。 これがなければ、かれはない。 これが滅すれば、かれも滅する。」世の中のすべての現象には必ず原因があります。 その原因があったればこそ結果が生まれるのです。  ならば、その原因がなければ、それに伴う結果はなくなります。 世の中の現象や物事はすべてお互いに関わり合って結果を生じているのです。 そして、その結果が原因となって次の結果を生んでいくのです。 縁起は、起きたことの原因を知りましょうという教えなのです。 悩みの原因・苦しみの原因を知って、その原因を解決すれば悩みも苦しみもなくなるのです。 苦しみの原因が滅すれば、苦しみも滅するのです。 悩みや苦しみの原因を探ってみましょう。 どうしてそうなったのか、ゆっくり考えてみましょう。 あなたの悩みにも必ず原因があるはずです。 その原因を知れば、悩みや迷いから解放される方法も見つかることでしょう。 縁起は担ぐものではなく、苦しみの原因を知り、そこから解放される教えなのです。 ご参考までに・・・。

「如何菩提いかんぼだい」って、どういう意味ですか?

「如何菩提いかんぼだい」って、どういう意味ですか?

悟りとはどのようなものか、ということについては、お経にも様々な言葉で説いてあります。 しかし、これほど端的に答えた言葉はないのではないでしょうか? 「如何菩提いかんぼだい==悟りとは何か」「如実知自心にょじつちじしん==実の如く自心を知ること」 人は誰しも、自分の心を知っているようで知りません。 知っていても、認めないこともあります。 自分の性格や性質、長所、短所など、客観的につかめているかどうか、疑わしいものです。 ましてや、心の奥深く、深層心理がどのように働いているかは、なかなか気付けないし、気付いても認められないことが多いのではないでしょうか? それは、他人から短所を指摘されたとき、怒りの気持ちがわくことからも証明されます。 自分の心を全て知り尽くすということは、大変難しいことなのです。 嫌な面、良い面を客観的に分析し認めることは、なかなかできるものではありません。 他人から指摘されても「その通りです」と素直には言えないのが人間なのです。 だからこそ、自分の心を把握することは大切なのでしょう。 自分はどんな性格か、どんな心の持ち主なのかをよく知り、嫌なところを認めることができれば、自分自身が変われるのです。 自分自心の真実を知り、素直に認めることは、まさに悟りなのです。 ご参考までに・・・。

「自灯明法灯明」とは、どういう意味ですか?

「自灯明法灯明」とは、どういう意味ですか?

  私達は苦しい時、不安な時にはつい他人を頼りがちです。でも、人生の主役はあなたであり、人生を有意義にできるのも無意義にできるのも、あなただけです。 未来に向かって歩くためには、先が見えなくても手探りで進んでいかなければなりません。 お釈迦様が亡くなる直前、嘆き悲しんだ弟子の一人が「師亡き後、何を頼りに生きたらよいのでしょう」と問うと「自らを灯りとせよ、法を灯りとせよ」と諭したといいます。 自分自身を頼りに、信じるものを拠りどころとして前に進んでいく。ともすれば、突き放されたような気分になる厳しい言葉です。 私達は、家族や友人、同僚など人と人とが支え合って助け合いながら暮らしています。けれども人間は生きていくうえで、自立していかなければなりません。 ただし、支え合うことと、誰かを頼る強い依頼心や依存心は異なるものです。 道に迷いながらも自分で考え、自分の足で一歩一歩着実に歩いていきましょう。  

「大欲得清浄だいよくとくせいせい」って、どういう意味ですか?

「大欲得清浄だいよくとくせいせい」って、どういう意味ですか?

仏教では、欲のあることは悪いことであるように思われがちですが、それは誤解です。 欲自体は純粋なものです。 悪いのは、欲にこだわることなのです。 例えば、異性を好きになったとします。 異性を好きになること自体は、自然の行為であり善でも悪でもありません。 それは純粋な思いであり、清浄なものです。 ただ、そのあとが問題なのです。 異性を好きになると、その異性に対し独占欲が出てきます。 それが満たされないと悩みが生まれ、満たされれば失うことを恐れます。 こうして、最初の純粋な欲は苦しみを生む悪い欲へと変貌していくのです。 これを避けるため「欲を制御しなさい」と説くのです。  しかし、欲は簡単には制御できません。 人を好きになる、人に好かれたい、大金が欲しい、有名になりたい、楽な暮らしがしたい、、、などと思うことは、自然な気持ちなのですから。 ならば、その欲を大きくしてしまったらどうでしょうか? 全人類を好きになり、全人類に好かれ、世界一の金持ちを目指し、世界的な有名人を望み、世界一安楽を求める。 小さな欲ではなく、大きな欲を持つのです。 そして、その実現のために努力をするのです。 大欲は清浄を生みます。 これが密教の経典「理趣経」に説く「大欲得清浄」です。 一人に好かれるのではなく、全人類に好かれることを望む。 全生徒に好かれる先生を目指す。 全人類を導けるような政治家を目指す。 誰もが美味しいと言ってくれる料理人を目指す。 大きな欲を持てば、自然に自分自身を根底から変えることができるのです。 我欲にこだわらず、大きな欲を持ちましょう。 ご参考までに・・・。

「自性清浄心じしょうしょうじょうしん」って、どういう意味ですか?

「自性清浄心じしょうしょうじょうしん」って、どういう意味ですか?

人間の心は汚れているのでしょうか? 悪の心でしょうか? 人間の心は善の心だけを持っているわけではありません。 悪い心も持ち合わせています。 善の心も悪の心も兼ね備えているのが人間です。 しかし、仏教では、その善悪は別として人間の心は本来清らかなるもの、清浄なるものと説きます。 これを「自性清浄心」といいます。 大乗仏教が興り始めたころ、多くの仏教論書に説かれ始めました。 人間の心は本来清らかなものなのです。 ではなぜ、人間は悪いことをしてしまうのでしょうか? 本来の心が清浄ならば、悪いことはできないはずです。 そう思われるのも当然でしょう。 しかし、人間には欲があります。 その欲が悪いことをする原因なのです。  人間の心は本来清浄なのに、いろいろな欲により、本来の清浄さを覆ってしまうのです。 清らな水が数滴の泥水で濁ってしまうように、清らかな心もわずかな欲望により、その清らかさが隠されてしまうのです。 たとえば、意地悪な心や人よりも勝りたいという欲求・妬み・羨み・怨み・怒りといった数滴の汚れた思いで、心の清らかさが濁ってしまうのです。 その妬みや羨み、意地悪、怨み、怒り、貪りといった数滴の汚れた心を減らしていけば、人々の心に本来の清らかなる心が現れてくるのです。  あなたの心は本来清らかなのです。 そこに気付いて下さい。 ご参考までに・・・。

「無貪著むとんじゃく」って、どういう意味ですか?

「無貪著むとんじゃく」って、どういう意味ですか?

何事も気にしない、周囲に気配りができない人のことを「無頓着な人間」といいます。 「無頓着だね」といわれれば、決して褒められているのではありません。 ところが、本来は褒め言葉だったのです。 そもそも「無頓着むとんちゃく」は「無貪著むとんじゃく」と書きました。 読み方も異なっています。 意味は「貪著しない」ことです。 「貪著」とは「貪り求めること。 貪りに執着すること」です。 したがって「無貪著」は「貪り求める心がない、執着心がないこと」です。 それは修行者にとってはもちろんのこと、一般の人々にとっても理想の姿でしょう。 無貪著になることができたならば、それは悟りの境地でもあります。 しかし、平安の世の頃には、すでに「頓着」という文字になり、意味も「深く心に気にかける」という良い意味での執着心にすり替わってしまいました。 確かに、気配りをすることは一種の執着心でもあります。 無頓着な人は、ひょっとしたら悟りに近いのかもしれません。 執着心が少ないといってもいいかもしれません。 ですから、無頓着な人に出会っても、それは責めることではなく、感心したほうがいいのでしょう。 また、「無頓着だね」と言われても気にしない方がいいのでしょう。 無頓着な人は、執着心が少ない人なのです。 ご参考までに・・・。

「微妙みみょう」って、どういう意味ですか?

「微妙みみょう」って、どういう意味ですか?

「開経偈かいきょうげ」と言われる、お経を読む前に読むお経があります。 無上甚深微妙法 百千万劫難遭遇我今見聞得受持 願解如来真実義 (無上で甚深なる微妙の法 百千万劫の間も遭遇し難しわれ今見聞きし受持すること得たり 願わくば如来の真実義を解したまえ) この偈文の中に「微妙」という言葉が出てきています。 これは「びみょう」ではなく「みみょう」と読みます。 意味は「人間は思いもよらぬほど優れている。 大変不思議で、理解の及ばないほど優れている」というものです。 ですから「微妙法」といえば「人間の理解が及ばないほどの教え」となるのです。 しかし近頃は、何か感想を求められると「微妙びみょう」と答える方が多くなりました。 その一言で片付けられてしまいます。 どのように微妙なのか、説明はありません。 質問した方も、それ以上の意見を求めません。 「微妙」だけで会話が終わってしまうことがよくあります。 その時の微妙とは、どう微妙なのでしょうか? 「大変素晴らしい、優れている」という本来の意味の微妙なのか、「表現が難しい」という意味の微妙なのかよくわかりません。 なんでも微妙で片付けないで、感想をしっかり持ちましょう。 言葉を惜しまず説明しましょう。 そこから、お互いの理解が深まるのです。 ご参考までに・・・。

「喝かつ」って、どういう意味ですか?

「喝かつ」って、どういう意味ですか?

「喝」という言葉は一般によく知られていますが、これは禅の言葉です。 唐の禅師・臨済の言行録である『臨済録』には、「師、すなわち喝す」と書かれています。 禅の師匠が、集中力を失い、修行に身が入っていない弟子に向かって「喝!」と叱るのです。 「喝!」、それだけ。 それ以上、何も言いません。 弟子にしても師匠の「喝!」の一言で、師匠が何が言いたいのか全てを理解します。 子供が「こらっ!」と母親に一喝されて、一瞬で悪さをやめるのと同じようなものでしょう。 禅の叱り方の良いところは、この「余計なことは何も言わない」という点ではないでしょうか? 「おまえのここの点が悪い。 この前も同じ失敗をしたじゃないか。 何度言ったら解かるのだ? なぜ、こうしないのか」などと、どこが悪くて、どう改善すればいいのか、くどくど並べ立てれば、叱られている人はやる気を失くします。 叱るときは、一言で叱るほうが効果が出る場合が多いのです。 相手の理解力を信じて、一言で叱ってみてください。 ご参考までに・・・。

「律儀無表りちぎむひょう」って、どういう意味ですか?

「律儀無表りちぎむひょう」って、どういう意味ですか?

義理堅く、実直で真面目な人のことを「律儀」な人といいます。 この「律儀」とは、もともとは仏教の言葉で「りつぎ」と読み、自分の行いを抑制することを意味しています。 つまり、悪いことをせずよい行いをするよう、自分自身をコントロールすることを「律儀」というのです。 そこから、悪いことをせず、実直で堅い人間を「律儀な人」というようになったのです。 「倶舎論」に「律儀無表」という言葉があります。 漢字だけを見ると、律儀でないことのように思えますが、そうではありません。 「無表」とは、表面に表さない「無表情」ということではなく、「習慣」となることを意味しています。 従って「律儀無表」とは「律儀が習慣づく」ということを意味しているのです。 真の律儀な人とは、善い行いをしようと誓って、それを毎日実行し、習慣化してしまった人のことをいうのです。 善行も、しなければいけない、やってみよう、したほうがいいかな・・・と思っているうちは、本物ではないのでしょう。 知らず知らずのうちに、善い行いをしているというのが本物なのです。 それは、誰しもふとした時に行っていることではないでしょうか? 無意識のうちに善い行いをしているというのは、よくあることです。 善い行いをした時は、その意識すら持たないこともあるでしょう。 つまり、誰もが「律儀無表」なのです。 ご参考までに・・・。

「対一説たいいっせつ」って何ですか?

「対一説たいいっせつ」って何ですか?

「対機説法」とは、ブッダの説法の方法を表した言葉です。 ブッダは相手によって説法の仕方を変えたといいます。 子供になら、、子供にもわかるような簡単な言葉で説法し、知識の豊富な人には、そのレベルの高さに合った話し方で説法しました。 また、農家の人に説法するなら、農家の人がよく理解できるよう農作業に例え、商人には商売に例えるといった工夫をして人々に理解しやすく説法したのです。 一方「対一説」という説法の方法も実践したとされています。 これは、ブッダが「誰に対しても同じことを説き続けた」ことを意味します。 一見、矛盾するように思える「対機説法」と「対一説」。 これら二つの方法ですが、本当にブッダが実践したのはどちらだったのでしょうか? 実は、どちらも正しいのです。 ブッダは相手に合わせてその人が理解しやすいよう、例え話や使う言葉を変えましたが、説法の内容や教えようとした真実そのものは、終始一貫していたのです。 だからこそ、その言葉には説得力があり、多くの人から理解され、信頼され、敬愛されたのです。 Aさんの前では「あなたを尊敬しています」と言いながら、Bさんの前では「あのひとは愚かだ」というように、相手によって話す内容がころころ変われば、どんなに上手な話し方ができる人でも周囲の信頼を失ってしまうでしょう。 話し方を変えるのは構いませんが、話す内容を変えないように心がけましょう。 ご参考までに・・・。  

「老婆親切ろうばしんせつ」って何ですか?

「老婆親切ろうばしんせつ」って何ですか?

曹洞宗の開祖・道元は、優秀な弟子に対してよく「老婆心が足りぬ」と叱ったと伝えられています。 この「老婆心」は「老婆親切」という禅語と同じ意味です。 直訳すれば「お婆さんは、孫をかわいがる」となるのですが、これはお婆さんを非難する言葉ではありません。 禅語には、一見非難しているように見えて、実はそれを勧めるという言葉が少なくありません。 「老婆親切」もその一つで「祖母が孫をかわいがる心には、仏が人間を愛する気持ちと通じるものがある。 誰に対しても、祖母が孫をかわいがるような愛情を持って接しなさい」ということなのです。 禅の修行者は、ともすると人より多くの知識を得ることや、理屈で人を打ち負かすことに熱中してしまう傾向があるといいます。 とくに、優秀な修行者ほどその傾向にあるようです。 しかし、禅の本来の目的は、知識や理屈にこだわることではなく「老婆心」つまり「無条件に人を愛する心を養うこと」にあると道元は諭したのです。 わたしたちも、例えば学歴や勤め先・仕事の結果などによって、幸せの度合いが決まってしまうと思いがちです。 ですから「頭のいい人」になれば、すべてがうまくいくと考えてしまうところがありますが、それだけでは幸せになれません。 愛情の豊かさや、人を思う心が、あなたを本当の幸せに導きます。 「頭のいい人」よりも「愛情豊かな人」を目指しましょう!   ご参考までに・・・。

「悪の権化」って何ですか?

「悪の権化」って何ですか?

あなたの周りに悪の権化のような人はいるでしょうか? 悪の権化というと悪い意味でとられがちですが、もともとは「如来や菩薩が神通力によって人々の前に現れた種々の化身」のことです。 「権現さん」などと称し、その地域の神を祀る場合もありますが、この「権現さん」も「権化」と同じです。  有名なところでは、蔵王権現があります。 蔵王権現は、目を三つ持ち、憤怒の形相で力強く立っている姿をしています。 どちらかというと恐ろしい容姿です。 この姿には伝説があります。 役行者が吉野の金峰山に篭っていたときのことです。 瞑想中の役行者の前にお釈迦様・観音菩薩・弥勒菩薩が現れたそうです。 役行者が「今の世は乱れている。 そのような優しい姿では誰も救えぬ」と祈ると、三仏が合体して蔵王権現が現れたのです。 蔵王権現は姿は恐ろしいですが、実は慈悲の化身・慈悲心の権化だったのです。 悪の権化だと言われるような人でも、その心は単にまっすぐで純粋なのかもしれません。 融通のきかない不器用な人なのかもしれません。 あるいは、あえて嫌われ役を買って出ているのかもしれません。 悪の権化のような人が、実は善の権化かもしれないのです。 また、神の権化かと思えるような善人が悪事を犯すこともあります。 外見が恐ろしげな善人、優しそうな悪人。 権化にも善と悪があります。 外見で判断することは危険なのです。 ご参考までに・・・。

「御利益ごりやく」って何ですか?

「御利益ごりやく」って何ですか?

「利益」と書けば「りえき」と読みます。商売や企業で追及するものです。 しかし、この「利益」に「御」をつけると「御利益ごりやく」と読みます。 「神仏のおかげ」という意味です。 御利益を求めて初詣に行かれた方も多いでしょうが、「御利益」は「利益」と違い、追求するものではありません。 商売や企業なら、これだけのことをしたらこの程度の利益が見込めるという計算をします。 その計算が成り立たねば商売も企業も継続はできません。 利益を追求してこその商売や企業です。 しかし「御利益」となると、その計算は成り立ちません。 これだけお参りしたから、この程度の御利益が得られる・・・という計算は無意味なのです。 神仏に御祈願ををいたします。 確かに何らかの御利益はあることでしょう。 しかし、これだけ祈願したからこの程度の御利益は頂かないと・・・という御利益の追求は間違っています。 また、これだけ御祈願したのに御利益が少しもない・・・と考えるのもおかしな話です。 祈るだけで簡単に報われるなら、誰も努力はもちろん働くことさえしません。 神仏への祈願の御利益は、努力する者に力と勇気を貸して下さるというものなのです。 そして、日々の信仰の御利益は毎日無事に生きていられることなのです。 それこそが最大の御利益なのです。 すなわち、それは生かされているという謙虚さを知ることでもあるのです。 神仏に祈っても御利益なんてない、と思うのは間違っています。 しかし、神仏に御利益を追求するのもいけません。 「おかげ」という謙虚さを知ることこそが最大の御利益なのです。 ご参考までに・・・。

「厭障観えんしょうかん」とは、どういう意味ですか?

「厭障観えんしょうかん」とは、どういう意味ですか?

俗に言う厭世観とは異なります。 厭世観は人生には幸福はない、人間の精神的進歩はない・・・などという棄て鉢的な人生観のことです。 厭世観のような言葉は仏教経典にはありません。 「厭障観」は、投げやりな人生観ではなく、悟りへ至るための瞑想法の一つなのです。 一つには、人間の本性は煩悩に覆われていることを思います。 本来、私たち人間は清浄なる魂を持っています。 しかし、それが様々な欲望や煩悩により汚されているのです。 いわば、電球に埃が溜まっている状態だと思ってください。 その溜まった埃を捨てるように煩悩を捨てていく様を瞑想します。 次に、人間は肉体に縛られていることを思います。 人間は生きているうちは肉体から離れることができません。 絶えず、肉体の欲求や痛み・苦しみに悩まされます。 その肉体的欲求や痛み苦しみを厭い、捨て去るのだと瞑想します。 つまり、肉体からの解放を瞑想するのです。   ほんのひと時でもいいのです。 大きく息を吸ってゆったりしましょう。 そして、自分の心に溜まった欲望や妬み・憂い・怒り・羨みといったゴミを捨て去ると思いましょう。 一つ一つゴミ箱に捨てるのです。 心が軽くなったなら、身体から心を離してみましょう。 たまには、心を解放してみるのもいいのではないでしょうか? ご参考までに・・・。

「十善戒じゅうぜんかい  」とは、どういう意味ですか?

「十善戒じゅうぜんかい 」とは、どういう意味ですか?

キリスト教の十戒はご存知の方も多いと思いますが、仏教の十戒はご存知でしょうか? 仏教にも十戒はあるのです。 もっとも仏教の場合は「十善戒」と言いますが。 元は、十種類の善い行いということで、観無量寿経かんむりょうじゅきょうや大智度論だいちどろんなどに説かれていました。 それを人が守るべき戒として説いたのは、江戸時代の滋雲じうん尊者です。 滋雲尊者は、十善戒を人の人たる道として解いたのです。  十善戒とは、①殺生しない ②盗まない ③性において淫らな行為をしない ④嘘を付かない ⑤意味のない流行言葉を使わない ⑥悪口を言わない ⑦二枚舌を使わない ⑧貪らない ⑨愚痴らない・怨みや妬み羨み怒りの心を持たない ⑩愚かな考えをおこさない、のことです。 皆さんは、これら全てを守ることができるでしょうか?  この十善戒、確かに人として守るべきルールだと思いますし、多くの方がほぼ守れているのではないかと思います。 しかし、完全には無理でしょう。 細かいことを言い出したら、きりがありません。 特に、愚痴をこぼしたり、妬みや羨みの気持ちを持ってしまうことはありますし、ちょっとした嘘や流行語なども使います。 十善戒を完全に守るというのは無理な話です。 でも、それでもいいのです。 なるべく守ろうと思う気持ちが大切なのですから。 もし十善戒を完全に守ることができ、さらに慈悲の心が備われば、仏陀になれます。 お寺の御本尊様の横に鎮座できます。 それくらい、十善戒を守ることは難しいのです。 ご参考までに・・・。

「我利我利亡者がりがりもうじゃ」とは、どういう意味ですか?

「我利我利亡者がりがりもうじゃ」とは、どういう意味ですか?

我利我利亡者という言葉は、最近ではあまり聞かれなくなりました。 痩せている人のことを「ガリガリ」と表現しますが、その語源となっているのが「我利我利亡者」なのです。  我利我利亡者とは「我が利益、我が利益と追い求めるばかりで、正しい心を失った者」という意味です。 「亡者」とは「死者」のことですが、この場合は生きている人に対して言うので「人間としての心を失った者」という意味になります。 簡単に言えば「自分の金儲けのためなら何でもする」という人のことです。 そういう人のことを、仏教では「餓鬼」とも呼びます。 餓鬼界とは、六道輪廻のうち地獄に次いで悪い世界です。 生きているとき、自分の利益に執着し、なりふり構わず自己利益に執念を燃やした者が餓鬼になるのです。 その姿は醜く、喉はやせ細り満足に食を得ることもできず、手足は骨に皮のみという状態です。 まさにガリガリにやせ細った姿なのです。 それは、我欲により執念と妄念にとりつかれたなれの果てなのです。 何かに一生懸命取り組むことは大切です。 お金儲けも大事でしょう。 ダイエットや美貌を保つこと、健康を維持することも大切です。 しかし、どんな場合でも限度がありますし、バランスが悪くなってはいけません。 物事に執念を燃やしすぎれば我利我利亡者となり、餓鬼へと変貌してしまうのです。 何事も執着しすぎないようほどほどに、を心掛けましょう。 ご参考までに・・・。

「応機接物おうきせつぶつ」とは何ですか?

「応機接物おうきせつぶつ」とは何ですか?

現在の仏道修行は、数名から数十名でまとめて行われる場合が多いそうですが、本来は個人指導が基本でした。 師が弟子一人一人を指導していくのです。 その場合、師は弟子の素質を素早く判断し、その弟子の素質にあわせて指導します。 そうでないと、正しい指導はできません。  「応機接物」とは、相手に応じて正しい対し方をするという意味です。 機・物は人々や修行者のことで、応・接は相手に応じて指導することをいいます。 つまり、弟子の素質に応じて接し方を変え、より良い指導をしていく、ということです。 また、接する相手に応じて臨機応変に正しい接し方をする、という意味でもあります。 世の中には、いろいろな性質の人がいます。 さっぱりした人・粘着質な人・明るい人・暗い人・愚痴っぽい人・正義感の強い人・・・など、様々です。 そうした種々の性質の人たちに、画一的な対応をしていると、誤解を生じたり理解されなかったりなどというトラブルを起こしかねません。 できれば、相手の性格や素質に合わせて、こちら側も対応を変えるほうが良いのでしょう。 「相手によって態度が違う」などと揶揄する人もいますが、どんな相手にも同じ対応をすることのほうが無理があるのです。 他人との正しい接し方というのは、相手の性質に応じて接し方を変化させることなのです。 ご参考までに・・・。

なぜ、仏事を延ばしてはいけないのですか?

なぜ、仏事を延ばしてはいけないのですか?

昔から結婚式などのお祝い事は延期してもかまわないが、年忌法要などの仏事は延ばしてはいけないといわれています。 なぜなのでしょうか? 実は、仏事の中でも延ばしてはいけないのは七七日、つまり四十九日の法要なのです。 人が亡くなってから四十九日の間は中陰ちゅういん(中有ちゅうう)といわれ、この期間、死者の霊は成仏しないでさまようといわれています。 ですから七日ごとにお経を読んで供養し、霊が無事成仏することを願うのです。 そして、四十九日を「満中陰まんちゅういん」といい、この日に死者はめでたく無事成仏することになります。 しかし、この期間に七日ごとの供養を怠ったり、供養の仕方を誤ったりすると、死者の霊は悪霊となってさまよい続けると考えられています。 したがって、火葬したお骨は、四十九日の法要がすんだ後に納骨します。 それ以前に納骨すると、霊が迷い墓所に安住することができない可能性があるからです。 そして四十九日の法要を終え、納骨も済ませたあとに香典返しをするのが一般的です。 その場合、香典返しの品に同封された挨拶状に「無事、満中陰を済ませました」などという文章が必ず書かれています。  ただし、近年では都市部を中心に葬儀に引き続いて四十九日の法要をまとめて済ませてしまうことが多く、四十九日の満中陰を待たずに納骨をされることが増えています。 このように、四十九日の満中陰の法要は非常に重要な意味を持っています。 そしてこの法要を延ばしてはいけないというのには次のような理由があります。 たとえば、四月の十三日までに亡くなった場合、四十九日目は五月の末日以前で、その期間は二ヶ月以内に収まります。 しかし、同月の十四日以降に亡くなった場合には、六月一日以降が四十九日になって中陰の期間が三ヶ月にまたがってしまいます。 これを「始終苦が身につく」といって禁忌するのです。 つまり、始終苦(四十九)が身につく(三月にわたる)、苦しみが年がら年中つきまとうという意味です。 ですから、たとえば四月十四日に亡くなった人の四十九日法要は、これを繰り上げて五月の末日までに行わなければならないのです。  これはもともと語呂合わせの俗信ですが、いつの頃からか民間に広く浸透するようになったのです。 そして、後には四十九日ばかりでなく、仏事全般を延ばしてはいけないということが常識となったのです。 ちなみに、亡き人の霊は三十三年経つと完全に成仏し、仏となって生きている者を守ってくれるといわれています。 ですから、三十三回忌が最後の法要となります。 ご参考までに・・・。

「四摂事ししょうじ」とは何ですか?

「四摂事ししょうじ」とは何ですか?

「四摂事」とは、誰もが日常生活を送る上で簡単にできる、四種の修行法です。 ①布施=他人に与えることです。 与えるものは金品だけではありません。 労働力や知識も与えられます。②愛語=優しい言葉遣いです。 乱暴なものの言い方をしないこと、人を傷つけるような言葉を使わないことです。③利行=十善を実行することです。 暴力を振るわない・盗まない・性において乱れない・嘘をつかない・ふざけた言葉を使わない・悪口を言わない・二枚舌を使わない・貪らない・妬みや愚痴、羨み、怨みの心を持たない・よく考える、の十種の善行を実践することです。④同事=周囲の人の立場をよく理解し、同じように振舞うことです。 自分に高い能力があったとしても、それを隠して周囲と同化することです。 つまり、一人だけ突出しないで周りと合わせるということです。 この四種の行為を日常で行えば、自然にあなたを取り囲む環境が良い方向に向かっていくことでしょう。 また、周囲の人々はあなたを頼るようになるでしょう。 その時は、この四種の行為を周囲の人に伝えればよいのです。 「私はただ、この四つの事柄を心掛けているだけですよ」と。 もちろん、すぐに結果が出る行為ではありません。 しかし、少しずつでも長く続けることが重要です。 やがて習慣化すれば、あなたも周りも心の安らぎが得られるでしょう。 それが「四摂事」の救いなのです。 ご参考までに・・・。

「凡聖不二ぼんしょうふに」とは、どういう意味ですか?

「凡聖不二ぼんしょうふに」とは、どういう意味ですか?

「凡聖不二」とは、凡人も聖者である仏陀も本質的には同じであるという意味です。 お釈迦様が入滅して以降、お釈迦様と同じような悟りを得る修行者がいなくなりました。 そのため、お釈迦様のような仏陀になるには、何度も生まれ変わって善行を積まないといけないという教えが主流になりました。 一般の人々も修行者も、凡人は聖者である仏陀とは程遠いのだ、ということです。 ところがその後、大乗仏教の台頭により、衆生は仏陀とかけ離れたものではない、という思想が主流になったのです。  普通の生活をしている凡人(仏教では凡夫といいます)でも、仏陀になることができる種をもっているのです。 なぜなら、仏陀であるお釈迦様も凡夫と同じ人間だからです。 お釈迦様は超人ではなく我々と同じ人間なのです。  同様に、世の中の人間もみな本質的に平等で同じなのです。 みんな同じ人間なのです。 そこには差別も区別もありません。 個性の違いや性格や性質の違いがあるだけなのです。 凡人であっても、才能あふれる人であっても、本質的には同じ人間なのです。 凡人だからといって悲観することはありません。 凡人が聖人に成ることだってあり得ます。 凡も聖も同じだということを忘れないでください。 ご参考までに・・・。

「断見だんけん」とは、どういう意味ですか?

「断見だんけん」とは、どういう意味ですか?

どうせ一度きりの人生なのだから、何をやってもいいではないか、楽しめばいいのだ、と思っている方は多いのではないでしょうか? しかし、それは大きな間違いです。 こうした思い違いをすることを「断見」といいます。 断見は初期経典によく見られる言葉です。 輪廻や因果の教えを否定し、何をやっても報いは来ないと信じることをいいます。 つまり、「バチなど当たらない」ということです。 その結果、他人への迷惑など顧みず、自分勝手な行動をすることになります。 輪廻を信じる、信じないは自由です。 また、因果の教えを信じないのも自由です。 しかし、これっきりの人生と思うよりも、生まれ変わりがある、因果の教えはある、と信じたほうが人生に余裕が生まれてくるのではないでしょうか? 人生は一度きりではありません。 遣り残したことは来世に引き継げばいいのです。 また、来世のために何かやっておくこともいいかもしれません。 人生は何度でもできる。 そう思えば何も焦ってする必要もないのです。 ゆったり生きればいいのです。 今は次の人生のための準備なのだ、という考え方をすればいいのです。 今やり遂げなければならない、ということはないのです。 ご参考までに・・・。

「成仏じょうぶつ」とは、どういう意味ですか?

「成仏じょうぶつ」とは、どういう意味ですか?

成仏とは、「仏陀に成る」という意味です。 したがって「成仏した」といえば、すなわち「仏陀になった」という意味なのです。 仏陀に成るというのは難しいことです。 簡単にできることではありません。 しかも、仏陀に成ることができるのは、生きている人間だけなのです。 死者は仏陀にはなれません。 仏陀になろうと思えば、もう一度人間に生まれ変わってこなければならないのです。 地獄・餓鬼・畜生の世界は三悪道ともいわれ、生きているときの罪を清算する世界です。 修羅の世界は戦いに明け暮れる世界です。 修行どころではありません。  天界は快楽の世界です。 修行もできますが、苦が少ない世界ですから修行する必要がありません。 人間界は苦しみや安楽・快楽が混在する世界です。 修行すれば苦から解放され安楽を得られます。 その究極的姿が仏陀なのです。 成仏できるのは、人として生きている人間だけなのです。 亡くなってからでは遅いのです。 死後に望むのは、成仏ではなく、安楽な場所への生まれ変わりだけです。 生きているうちに成仏を目指して下さい。 心の安楽を得て下さい。 成仏は死後に願うものではないのですから。 ご参考までに・・・。

「無住所涅槃むじゅうしょねはん」とは、どういう意味ですか?

「無住所涅槃むじゅうしょねはん」とは、どういう意味ですか?

涅槃とは、サンスクリット語のニルバーナを音写した言葉です。 本来の意味は「火を吹き消した状態」です。 これが「煩悩をすべて消した状態」を意味するようになり、悟りの境地を涅槃というようになりました。 涅槃とは、すべての煩悩を吹き消した、心が静かな状態のことなのです。  涅槃に至ることは、悟りの世界に入ることです。 そこは迷いの世界ではありません。 涅槃に至った心は、迷いの世界にはないのです。 しかし、そうした涅槃は真実の涅槃ではありません。 なぜなら、「悟りの世界・迷いの世界」という区別があるからです。  真の涅槃には、その区別がないのです。 つまり、真の涅槃に至ると、その心はどこにも住まいがなくなるのです。 これを「無住所涅槃」というのです。 転勤や転校など、住まいが変わることはよくあることです。 その事情は様々ですが、移動した先で居場所がないと感じることはあるでしょうか? あるいは、転勤や転校などでなくても、居場所がないと感じてしまうことはあるでしょうか? 居場所がないということは、辛く寂しいことです。 しかし、居場所にこだわる必要はありません。 そもそも居場所などないのです。 真の涅槃に至れば、どんな場所にも住しないのです。 それは裏を返せば、すべての場所が居場所でもあるということなのです。 この世には心の居場所がありません。 しかしそれは、この世のすべてが心の居場所であることと同じなのです。 居場所がないのではなく、すべてがあなたの居場所なのです。 ご参考までに・・・。

「心身脱落しんしんだつらく」とは、どういう意味ですか?

「心身脱落しんしんだつらく」とは、どういう意味ですか?

世間ではよく「脱落してはいけない」と言われます。 脱落するということは、敗者になることを意味している場合が多いようです。 しかし、仏教ではまったく逆の意味になります。 脱落者は尊敬されるのです。 また、「脱落せよ」と指導されるぐらいなのです。 そう言われると驚かれる方も多いでしょうが、仏教でいう脱落とは、解脱と同じ意味合いがあり、一切の苦しみや煩悩・束縛から解放されることを示しているのです。  禅では「心身脱落」と言います。 座禅を通し、身も心も何の囚われもない、自由自在の境地に至るのです。 それが脱落なのです。 仕事でも勉強でも必死になって先頭集団にいることも素晴らしいことですが、たまには脱落してみてもいいのではないでしょうか? 肩の力を抜き、張っていた気を緩め、休んでみるのもいいものです。 先頭にいては見えないものが、脱落することによって見えてくるでしょう。 先頭では味わえない、ゆっくりとした気持ちも味わえるでしょう。 走りっぱなしでは疲れてしまいますし、気持ちもギスギスしてしまいます。 たまには仕事や勉強・生活から脱落して、心に余裕を持ってみてはいかがでしょうか? ご参考までに・・・。  

「休息万事きゅうそくばんじ」とは、どういう意味ですか?

「休息万事きゅうそくばんじ」とは、どういう意味ですか?

休息とは、元は禅の言葉で、全く執着のない安らぎに至ることです。 それを極めたのが「休息万事」です。 休息万事とは、自らがすべてを「やめる」ことなのです。 一切の執着心や囚われをすべて捨ててしまい、何ものにも囚われない、完全なる自由な境地を休息万事というのです。  私たちは生きていくうえで、実に様々なものに囚われています。 人間関係・家族・会社・学校・生活・・・。 まるで蜘蛛の巣にかかった虫のように、いろいろな縁の糸に絡まって生きているのです。 もちろん中には良い縁の糸も、喜ばしい関係もあるでしょう。 しかし、多くは心身ともに疲れさせてしまう縁の糸なのではないでしょうか?  その縁の糸をプッツリ切ってしまい、自由になることができたらどうでしょう? 実に軽やかなのではないでしょうか? しかし、すべての糸を切ってしまうわけにはいきません。 ならば、一時的に休息万事してみてはいかがでしょう? 一時的に、一切の縁の糸を切って自由になるのです。 これは自室でもできることです。 すべてのしがらみを一時的に断ち切り、さらにはやるべき仕事もすべて忘れ、まったくの自由な状態になるのです。 これこそが本当の休息です。 ただ、身体を休めるのではありません。 休みだからといってどこかへ出かけ、余計に疲れて帰ってくるのでもありません。 真実の休息をするのです。 ご参考までに・・・。

「金輪際こんりんざい」とは、どういう意味ですか?

「金輪際こんりんざい」とは、どういう意味ですか?

「金輪際あなたとは会いません」と言われたことはありますか? 言われたことのある方は、大変ショックを受けられたかと思いますが、そのショックがさらに大きくなるような意味なのです。  古代インド人は、宇宙に大きな円筒状の層があると考えました。 その層は高さが160万由旬、直径が0.3阿僧祇由旬あります。 (由旬ゆじゅんは約7キロメートル) 現在の大きさに換算すると、高さ1120万キロメートル・直径2.1×10の64乗となります。 この、円筒状の層を風輪ふうりんといいます。 その上に高さ80万由旬、直径120万3450由旬の円筒が乗っています。 これを水輪すいりんといいます。 さらに、その上に同じ直径で、高さが32万由旬の円筒が乗っています。 これを金輪きんりんといいます。 その金輪の上に乗っているのが、地獄の住人から神々が住まうという須弥山しゅみせんです。 これが、古代インド人の宇宙観です。  金輪際というのは、金輪と水輪の境のことです。 金輪際は地獄の下32万由旬にあります。 我々が住んでいる大地から地獄の底までの距離は15万由旬なので、この地上から金輪際までの距離は47万由旬あることになります。 換算しますと、329万キロメートル離れているということになります。 「金輪際あなたとは会わない」と言われたら、それは329万キロメートル離れるという意味になるのです。 そう考えると、遠すぎませんか? 金輪際会いたくないと言われた方は、きれいさっぱり諦めましょう。 また、金輪際という言葉を使う時は、確固たる決意をもって使いましょう。 金輪際はあまりにも遠すぎますから・・・。 ご参考までに・・・。

「億劫」とは、どういう意味ですか?

「億劫」とは、どういう意味ですか?

人は誰でも年をとると何かと億劫になりがちです。 億劫は、そもそも仏教の言葉で「おくこう」と読みます。 それが詰まって「おっくう」となったと言われています。億劫は「億」と「劫」という言葉からできています。 「億」は皆さんがよくご存知の数の単位です。 「劫」も同じく単位です。 一辺が160kmの巨大なサイコロを想像してみて下さい。そのサイコロは、すごく固い石でできています。 百年に一度、天女が下りてきてその巨大な石を天女の衣で擦ります。それを繰り返すうちに、やがてその石はなくなります。 大変長い、気の遠くなるような時間がかかりますが、必ずなくなります。そうです。その石がなくなるまでの時間が「一劫」なのです。 別の言い方をすれば、「一劫」は宇宙の一生の時間とも言われています。 「億劫」というと、この「一劫」の一億倍となります。 「億劫」はとてつもなく長い時間なのです。「億劫だな」と思うということは、とてつもなく長い時間を過ごすという意味でもあるのです。何事にも億劫がっていると、ますます年をとってしまいます。 面倒なことでも時間をかければ成し遂げることができるのです。天女が一劫をかけて石をなくしてしまうように・・・。 ご参考までに・・・。

お坊さんが頭を剃っているのはどうしてですか?

お坊さんが頭を剃っているのはどうしてですか?

お坊さんが剃髪ていはつ(頭の毛を剃ること)するのは、仏教の創始者であるお釈迦様がそうしていたことを真似ているからです。お釈迦様は、悟りを得るためには外見的な虚飾を捨て去り、精神性を高めることが必要としました。 髪を伸ばし、髪型についてあれこれ考えることも煩悩を招く原因になり、修行の妨げになると考えられたのです。 このお釈迦様の精神が伝わり、世俗と決別する決意を表すものとして、剃髪の風習が始まったと言われています。 ただし、日本では髪を伸ばすことを禁じていない宗派も少なくありません。 例えば、浄土真宗を開いた親鸞上人の教えには「非僧非俗」という考え方があります。 これは、僧侶・俗人の区別を超え、自由な立場で念仏を唱えようとするものです。 浄土真宗では、この教えに基づき、剃髪という「形」よりも、「心」の純粋性を重んじるため、髪を伸ばすことは禁じられていません。 その後、明治以降は浄土真宗以外にも有髪うはつの僧が多くなりました。 今日では、日本の宗派は剃髪する宗派と、しない宗派の二つに大きく分かれています。 剃髪派は、真言宗・禅宗・日蓮宗などで、浄土宗・浄土真宗は有髪派です。 ご参考までに・・・。

古くなったお守りはどうすればいいですか?

古くなったお守りはどうすればいいですか?

交通安全や家運繁盛・学業成就など、神社やお寺で授かったお守りも、何年かすればふるびてしまうものです。 では、新しいお守りを授かったとき、古いお守りは処分してもいいものなのでしょうか? お守りのルーツは、古代人たちがつけていた勾玉まがたまをはじめとする玉類です。 古代人たちは、玉類を肌身離さずつけていると、精霊の加護が得られると信じていました。 神社やお寺のお守りは、この玉類の代用です。 お守りには、神社やお寺の名や祈祷文が書かれ、庶民はこれを有難く頂いたのです。 しかし、そのお守りの力は永遠ではないという考え方もあります。 毎年暮れになると、神社やお寺から新しい「お神札(おふだ)」を授かりますが、一方で古いお神札は神社やお寺に納められ、翌年の左義長やどんど焼きで焚き上げられます。 これは、神の力が永遠に続かないという考え方の表れといえるでしょう。 ただし、その一方で、お守りを持つ人の信心が強ければ、お守りの力もそれだけ強くなるという考え方もあります。 その考え方に立てば、古びたお守りであっても、神の力は衰えていないとも考えられます。 いずれにせよ、お神札であれば、翌年神社やお寺に返せばいいですが、古くなったお守りはどうすればいいのでしょう? これもお神札とおなじでw、授かった神社やお寺に返せばいいのです。 あとは、社寺のほうで焚き上げてくれます。 では、旅行に出かけたときに、その土地で有名な社寺を訪れて授かったお守りはどうすればいいのか? この場合も、原則は授かった社寺に返すことになりますが、それが難しければ近くの社寺に相談してみて下さい。 預かって焚き上げてくれる社寺もあるはずです。 ご参考までに・・・。

未在みざいを知るとは、どういう意味ですか?

未在みざいを知るとは、どういう意味ですか?

もうこれで十分だ、自分には学ぶことはもうない・・・と思うのは、大きな勘違いです。 どんな道でも極めることは難しいものです。 もう学ぶことはない、と思った時点でその人の成長は止まってしまいます。  悟りへの修行も終わりはありません。 修行者が「もう悟った。 これで自分の修行は終わった」と思うのは、うぬぼれであって正しい悟りではありません。 そういう者は増上慢ぞうじょうまんと非難されたり、「未在を知れ」と叱咤されたりしました。 「未在」とは、「まだまだ学ぶべきことがある」という意味です。 一度は悟りを得ても、さらなる悟りがあるものなのです。  それを知らねば、再び迷いの世界へと転じてしまうものなのです。 悟りへの修行ばかりではありません。 いかなることに対しても学ぶことに終わりはないのです。 これでもう十分、学ぶことはないなどと思えば真実に至ることはありません。 「未在・未在・さらに修行」 一生修行であり、一生学びであり、一生現役なのです。 まだまだやることはあるのです。 ご参考までに・・・。

妙観察智みょうかんざっちとは、どういう意味ですか?

妙観察智みょうかんざっちとは、どういう意味ですか?

その昔、街行く人を観察する人間ウォッチングなるものが流行ったことがありました。現代では、人間の行動を観察してデータを取り、産業に役立てることもビジネスとして成り立っています。如来の智慧の一つに「妙観察智」という智慧があります。 「絶対的客観の立場から物事を見て考察する智慧」という意味です。絶対的客観とは、感情を一切入れず、自分の意見や感想を含めず、予測や推測・期待なども含めないで、ただそれ自体を「見ること・聞くこと・嗅ぐこと・味わうこと・触れること」です。 人は、見るときも、聞くときも、匂いを嗅ぐときも、味わうときも、触れるときも、自分自身の好き嫌いを含めて判断します。なかなか客観的になることはできません。 様々な感情が含まれてしまうのです。客観的に判断しているようで、その実、主観が入っているものです。 特に、自分自身のこととなると尚更、客観的に自分を観察することは難しいものです。 自分自身を含めて人間を客観的に眺めてみましょう。 ワガママで身勝手で感情的で、推測で判断したり、噂を鵜呑みにしていたり、妬んだり、怨んだり、欲深く、ちょっと意地悪で意地っ張りで・・・などなど、いろんな姿が見えてはきませんか? そして、実は優しくて、親切で、恥ずかしがり屋で、甘えん坊で、愛らしい・・・などという姿も見えてくることでしょう。 客観的に自分や周囲の人を見る智慧をつけましょう。 意外と誤解していることが多いことに気付くのではないでしょうか? ご参考までに・・・。

信解しんげとは、どういう意味ですか?

信解しんげとは、どういう意味ですか?

信じるものを持っている人は強いものです。 いざという時に頑張りがききます。信じる心は強い力を与えてくれるのです。 戦国時代、織田信長は一向宗の一揆に手を焼きました。一向宗の人々は意外な強さと粘りを発揮したのです。 阿弥陀如来の救いを信じ理解し、極楽浄土へ往生できる喜びを感じていたからこそ、命すら捨てることができたのです。これこそが信仰の力なのです。 信解とは、仏教を信じて理解することです。 そして向上を求め力強く突き進むことです。他の人と組んで仕事をしたり活動したりする場合、相手を信じ理解することが大切です。信頼関係を築くことができなければ、協調性が失われることになります。 しかし、お互いに信じ合い、理解しあって信頼関係ができたならば、それは大きな力を生むのです。 信じることは力を生みます。 友人を信じ、同僚を信じ、そして何よりも自分自身を信じましょう。自分自身にある力や可能性、将来性を信じましょう。 誰もが何かを成し遂げる力を持っているのです。それを信じ、己を理解し、さらなる向上を求めましょう。 ご参考までに・・・。

挨拶とは、どういう意味ですか?

挨拶とは、どういう意味ですか?

「挨拶」とは、軽く触れるという意味の「挨」と、強く触れるという意味の「拶」からできています。 つまり「挨拶」とは「軽く、そして強く触れ合う」という意味なのです。では、軽く、そして強く触れ合うものとは何なのでしょうか? それは、人と人なのです。 「挨拶」とは、もともと禅寺で行われていた禅問答のことでした。その昔、禅寺では師と弟子、あるいは修行僧同士が出会うと禅問答を始める習慣があったそうです。 師が弟子に軽く尋ねます。「問う、◯◯とはなんぞや」弟子は即座に力強く答えます。「答う。◯◯とは□□なり」禅の修行では、軽く問う、そして力強く即座に答えるという問答・・・挨拶が、そべての修行の始まりだったのです。 やがて、私たちが知り合いに会った時に交わす言葉や、初めて会った時に交わす言葉が「挨拶」と呼ばれるようになりました。 それは、挨拶が修行僧の問答のように大切な言葉だからでしょう。 挨拶があるからこそ、人と人の触れ合いが始まるのです。 挨拶ができなければ、人間関係も始まりません。 たとえ小さな声でもいいのです。 恥ずかしがらずに挨拶してみましょう。 軽く「おはようございます」「こんにちは」でいいのです。 もちろん微笑みの会釈でも構いません。 そこから、あなたと周りとの関係が始まるのです。 ご参考までに・・・。

仏事の場で心得ておかなければならないことは何ですか?

仏事の場で心得ておかなければならないことは何ですか?

まず服装についてですが、お葬式や御仏事・お祝い事の初参式や仏前結婚式など仏事も様々ありますが、それぞれの儀式に応じた正式な服装(式服)にこしたことはありません。 ただ、主催者側がお参りに来られる方々にあまり負担がかからないように平服で・・・という場合もありますので、案内を頂いたら主催者側に問い合わせるのもよいでしょう。 ただ、お通夜は他の仏事とは少し異なります。 ご葬儀もご法事も○時から○時までという限定された儀式ですが、お通夜は○時からお勤めが行なわれるだけで、その後は夜を通して縁ある方々が亡き方を偲ぶ場です。 ですから、お仕事や時間の都合などで式服に着替える余裕がなければ平服でもかまいません。 そして、どのような仏事の時でも忘れてはならないのがお念珠です。 お念珠は仏様に礼拝するときに忘れてはならない仏具です。 蓮如上人は「お念珠を持たずにお参りすることは、仏様を素手でわしづかみにする無作法なことだ」と諭されています。 基本的な作法は、普段は左手で持って、拝む時は両手に通すということです。 最期になりましたが、どのような仏事でも大切な意義があります。 社交辞令やお付き合いというような気持ちで参ることはもってのほかです。 その仏事の意義に心をとどめて静かに仏様にお参りし、仏様の教えに耳を傾けることが大切です。 また最近、携帯電話をお持ちの方が多いですが、仏事の途中でコール音が鳴ると、せっかくの厳粛な場が台無しになりかねません。 会場に入ったら必ず電源を切ることを忘れないようにしましょう。 ご参考までに・・・。

「上品・下品」とは、どういう意味ですか?

「上品・下品」とは、どういう意味ですか?

「上品・下品」は通常「じょうひん・げひん」と読みますが、仏教語では「じょうぼん・げぼん」と読みます。 さらには、一般にはない中品(ちゅうぼん)もあります。 「品」という字がつきますが、もともとは品位を表わした言葉ではありません。 極楽へ行けるかどうかを表わした言葉なのです。 観無量寿経かんむりょうじゅきょうというお経があります。 阿弥陀如来の極楽浄土について説いたお経です。 その中では、極楽浄土へ生まれ変わる者を九種類に分けて説いています。 一、上品上生・上品中生・上品下生二、中品上生・中品中生・中品下生三、下品上生・下品中生・下品下生 一の上品の組は、死後すぐに極楽へ行くことができます。 生前、仏教への信仰が厚く、規律正しい生活を送った方がこの組です。 二の組は、信仰はごく普通にあり、常識的な生活を送った方で、死後一度別の世界に生まれ変わってから極楽へ行ける組です。 三の組は、戒律や社会のルールを守ることなく、大きな罪を犯した者の組で、死後地獄へ堕ちてから、いずれ極楽へ生まれ変わるという者たちの組です。  生きている時の品性は、死後にも大きく影響します。 できることなら信仰を持って、心穏やかに上品に生きたいものです。 ご参考までに・・・。

「刹那」とは、どういう意味ですか?

「刹那」とは、どういう意味ですか?

「刹那」とはサンスクリット語の「クシャナ」の音写で、最も短い時間の単位のことです。 「大毘婆沙論だいびばしゃろん」の説をもとに現在の時間に換算すると、一刹那は七十五分の一秒に相当するそうです。 また、別の説には、一刹那は指を弾いた時の音の六十五分の一とあります。 いずれにせよ、極めて短い時間(一瞬)のことです。 仏教では、この一刹那の間に人の生滅があるとか、一刹那の間に悟りを得るのだと説きます。 「一瞬の間に人生を見よ」という教えです。 それは即ち、「一瞬たりとも修行を怠るな」という意味でもあります。 「一瞬一瞬を精一杯大切に生きよ」、「刹那を充実して生きよ」ということです。  それがいつの間にか、今が楽しければいい、という刹那的生き方を表わすようになってしまいました。 過去も未来もあるものか、今この瞬間が楽しければいい、という刹那主義的生き方は、長続きさせることはできません。 必ず行き詰ります。 楽ばかりしては生きられないのです。 なぜなら、人には過去も未来もあるからです。 この瞬間を快楽に過ごせば、次に来るのは苦なのです。 人生は苦楽の繰り返しなのです。 だからこそ、唯今の時間を悔いのないように生かしていくことが大切なのです。 この「今」という瞬間の積み重ねが、明るい未来へと繋がっていくのです。 「刹那を生きる」とは、この一瞬、唯の今のこの時間、この短い時間を大切に生きるということなのです。 ご参考までに・・・。

「精進料理」とは、何ですか?

「精進料理」とは、何ですか?

「精進」とは、努力する・励むという意味です。 精進料理をそのまま解説すると、「努力するための料理」となってしまい、意味のわからない変な料理です。 仏教が中国に伝わる以前は、精進料理はありませんでした。 初期仏教では各家庭を托鉢して食事を得ました。 その料理は家庭料理ですから、肉や魚介類が入っています。 それを食べるので、肉や魚介類を食べてはいけないという戒律はなかったのです。  ところが、仏教が中国に伝わるにつれ、托鉢はなくなり、寺院内で食事を作るようになりました。 殺生ができないため、肉や魚介類を使わない料理となります。 それは修行僧の食事であり、清らかな料理とされました。 こうしてお寺で食べる肉や魚介類を使わない料理は、いつしか修業して心身を清める料理という意味を込めて「精進料理」と呼ばれるようになったのです。 仏教の戒律には、肉や魚介類を食べてはいけないという戒律はありません。 しかし、お寺では精進料理が一般的です。 特に修行期間中は精進料理で一汁一菜です。 ですが、僧侶といえども肉や魚介類を食べてもかまわないことも確かです。 禁止されているわけではないのですから・・・。  精進料理はいかにも心身を清めそうな料理です。 身体のことを考え、たまには肉料理を離れて、精進料理もいいのではないでしょうか?  ご参考までに・・・。

「阿吽の呼吸」とは、どういう意味ですか?

「阿吽の呼吸」とは、どういう意味ですか?

「阿吽」は、「阿」と「吽」からできています。 これは「悉曇しったん(インドの古い言葉)」の五十音の初めと終わりの文字です。 悉曇は日本語の五十音の元になったという説もあり、「ア」から始まって「フーン」で終わっています。 このことから、阿吽とは「初めから終わりまで」を意味するようになりました。 そしてそれは、人生の初めから終わりでもあるのです。  一般的に、人は産まれる時「あー」と泣いて産まれてきます。 そして亡くなる時には「ふーん」と息を吐いて亡くなります。 つまり、「あ」から「うん」までには、その人の一生があるわけです。 密教では、「阿」はすべての源であると説きます。 「阿」からすべては産まれ出るのです。 それは発菩提心でもあります。 そして、「吽」は最終的に至る境地、すなわち悟りを表わしています。  この世に産まれ出て、悟りを求める心を起こし、そして涅槃に至る・・・それが「阿吽」の意味でもあります。 大きな寺院の山門には金剛力士像がありますが、その像は口を開けた「阿形」と、口を閉じた「吽形」となっています。 また、狛犬も阿形と吽形とがあります。 これらは、いずれも生から死まで、初めから終わりまで、初菩提心から悟りまでを表わしているのです。 ご参考までに・・・。

「四無量心」とは、何ですか?

「四無量心」とは、何ですか?

本来、人間には「慈しみの心」「悲しみを理解する心」「喜びを分かち合う心」「こだわりを捨てる心」という美しい心が備わっています。 この四つの美しい心が無量にあることを、『四無量心しむりょうしん』といいます。 自分以外の人々や生き物に対し、誰もが慈しみの心を持っています。 かわいい・大切にしたい・安らぎや楽しみを与えたい・・・そう思う心は誰にでも備わっています。 また、他人の悲しいこと・辛いことを理解できる心も持っています。 他人の悲しみがわかる心です。 他人の喜びを祝福する心も持っています。 自分の喜びを分け与える心も持っています。 そして、嫌な思い出や辛い過去・悲しみを捨てることもできます。 新しいことに挑戦し、古いことは捨て去ることができるのです。 ところが、逆の心も持っているのが人間の厄介なところです。 慈しむこともできれば、憎むこともできます。 悲しみを理解してあげることもできれば、蔑むこともできます。 他人の喜びを祝福することができれば、妬むこともできます。 過去を捨てることもできれば、過去にこだわることもできるのです。 人の憎しみは、慈しみの心の裏返しです。 蔑みは悲しみの心・妬みは喜びの心・こだわりは捨て去る心の裏返しなのです。 誰もが本来持っている美しい心の裏側が出てしまっているだけなのです。 人間の真実の心は「慈・悲・喜・捨」の四つの美しい心であることを忘れないで下さい。 ご参考までに・・・。

「機根不同きこんふどう」の意味を教えて下さい。

「機根不同きこんふどう」の意味を教えて下さい。

人の素質は、それぞれ異なります。 一を知って十を覚る者もいれば、十を知って一しか理解できない者もいます。 弘法大師の「般若心経秘鍵」という書の中に「機根不同きこんふどうにして性欲しょうよく即ち異なり」という句があります。 「機根」とは理解力のことをいいます。 「機」はきっかけ、「根」は素質のことです。 「性欲」とは、現代で使われている意味ではなく、人それぞれの性質による欲望のことです。 「機根不同にして性欲即ち異なり」とは、「一つのきっかけでどの程度理解できるかは人によって異なり、人によって求めるものも異なる」という意味なのです。 人は個性豊かです。 そして、理解力もそれぞれ異なります。 「打てば響くような」といいますが、誰もがそうあるわけではありません。 打てば響くのか、打っても響かないのか、時間が経ってから響くのかは、ひとによって異なります。 また、求めるものも趣味も欲しいものも異なります。 それが人間です。 ですから、その人それぞれに違いがあることを認めることが大切なのです。 理解力がないから、打っても響かないから、空気が読めないからといって、その人の個性を否定したり、排除してはいけません。 この広い世の中、いろいろな人がいて当然なのです。 ご参考までに・・・。

「三界に家なし」とは、どんな意味ですか?

「三界に家なし」とは、どんな意味ですか?

「三界に家なし」という言葉の三界とは、「欲界・色界・無色界」の三つの世界のことです。 欲界とは「欲のある者が住む世界」のことで、地獄から神々が住む天界の一部の世界です。 色界とは「肉体と精神は存在するが、欲の無くなった世界」で、梵天が住む世界から大自在天の住む世界までのことです。  無色界とは「欲も肉体も消滅した世界」です。 つまり、精神世界です。 その中で最も清浄なる精神が行き着く世界が有頂天です。 したがって、三界とは、地獄から有頂天までの世界のことなのです。 「三界に家なし」とは、地獄から有頂天まで安楽に住むことができる世界はないという意味なのです。  なぜなら、これらの世界は輪廻する世界だからです。 お釈迦様は次のように説いています。 「この世は、苦の世界である」 地獄から有頂天に至る神々まで、すべての命が苦しみを抱えて生きているのです。 人間だけが苦を抱えているのではありません。 三界に家がない・・・安楽に過ごせる場所がないのは、人間ばかりではないのです。 神様でも安楽に過ごせる場所がないのです。 そう思うと、我々人間も少し気楽ではないでしょうか? 地獄の住人も神々も苦しみを抱えた者同士なのですから。 ご参考までに・・・。

「道徳」って何ですか?

「道徳」って何ですか?

「道徳」というと、小学校の授業で習うような、社会的常識やモラルと思われるでしょう。 ところが、仏教でいう道徳は少々意味が異なります。 道徳とは、覚りへの道筋のことを意味しているのです。 修行する過程において、正しい生き方を得る・身につけるということが道徳なのです。 そのために、八正道という修行法があります。  ①正見:正しく見ること。 偏った見方をしない。 すべてを平等にあるがままにみること。②正思惟:感情を入れず、偏った考えをしないこと。 正しく見たことを素直に受け入れること。③正語:正しい言葉遣いをすること。 嘘をつかない。 悪口を言わない。 乱暴な言葉を使わないなど。 ④正業:正しい行動をすること。 暴力をふるわない。 殺生しない。 盗まない。 性に乱れない。 姿勢を正し、胸をはることなど。⑤正命:自分の命を生かすこと。⑥正精進:努力すること。 自分を生かすために怠けず努力をすること。⑦正念:思いを正しくすること。 妬まない。 怨まない。 羨まないなど。⑧正定:いつも冷静さを心掛けること。 これら八種の事柄を心掛ければ、自ずとモラルは守られていきます。 それどころか、徳のある好人物になっていくことでしょう。 やがて、覚りに至ることとなるに違いありません。 他人を思いやる気持ちが薄れている現代社会、八正道のうち例え一つでも、できることから挑戦し、自分の徳を磨くのもいいのではないでしょうか ご参考までに・・・。

「無財の七施」とは何ですか?

「無財の七施」とは何ですか?

「無財の七施」とは、誰にでもすぐにできる布施にことで、日本で生まれた造語です。 仏教の修行者として布施行は絶対に外せません。 仏教修行の第一といえば、布施以外にないのです。 なぜなら、惜しみなくものを与えるという行為は、人間にとって最も難しいことだからです。 布施というと金品を与えることと思いがちですが、実はそれだけではありません。 「無財の七施」とは・・・ ①眼施がんせ:優しい眼差しを他人に向けることです。 相手を睨んだりしないことです。 悪い目つきは布施にはなりません。②和顔悦色施わがんえっしきせ:和やかな顔で、いつも微笑みを絶やさないことです。 それだけで周囲を明るくします。③言辞施ごんじせ:優しい言葉で話すことです。 イライラした口調や乱暴な言葉遣いは相手に恐怖を与え、悪い行いになります。 ④身施しんせ:労働力や手を貸してあげることです。 ⑤心施しんせ:周囲に気配りすることです。 心を施すことは最も重要でしょう。⑥床坐施しょうざせ:座るところや寝る場所を提供することです。 公共の乗り物で席を譲ったりすることです。⑦房舎施ぼうしゃせ:住まいを清潔に保つことですが、自分の住まいだけでなく、家の周辺や近所を清掃すればもっといいのではないでしょうか。 この「無財の七施」は、お金や物がなくても、誰にでも今すぐに始められる布施行です。 一度に七つは難しくても、一つ一つ始めてみてください。 実行すれば、心に溜まった塵を捨てられることでしょう。 ご参考までに・・・。

帰依三宝とは何ですか?

帰依三宝とは何ですか?

三宝とは、三つの大切なものという意味です。 その三つとは、仏・法・僧のことです。 仏教は、この三つを信じることから始まります。 仏とはいうまでもなく仏陀のことで、お釈迦様のことです。 法は、お釈迦様が説いた教え、僧は、出家してお釈迦様の教えを実践している修行者のことです。 帰依とは、信じ従うことを意味しています。 「帰依三宝」とは、お釈迦様とその教えと、教えを実践する修行者を信じ従うことを意味しているのです。 出家しようとする者はもちろんのこと、救いを求める者は、まず三宝に帰依することから始まります。 それはこのように言い表します。 「弟子某甲でしむこう 尽未来際じんみらいさい 帰依仏きえぶつ 帰依法きえほう 帰依僧きえそう」 これを三度繰り返します。 仏法僧を信じ従うことを誓う言葉なのです。 お寺に行き、本堂でご本尊に向かって心静かに手を合わせること、これは帰依仏にあたります。 仏教書を読んだり、法話会に参加したりして仏教を学ぶことは帰依法です。 お坊さんに話を聞くこと、教えてもらうこと、お経をあげてもらうことは帰依僧です。 まずは信じてみることです。 救いの道は必ずあります。 それを見つけるまで、仏法僧を信じて従ってみることです。 仏教は八万四千の法門と言われています。 数多くの生き方が説いてあるのです。 一人一人にあった道が必ずあるのではないでしょうか? ご参考までに・・・。  

干支によって決まっている守護本尊とは何ですか?

干支によって決まっている守護本尊とは何ですか?

子・丑・寅・・・などの干支は中国で生まれたものですが、いつの頃からか仏教と結びつき、生まれ年によって守り本尊が決められるようになりました。 仏教オリジナルの習慣ではありませんが、日本では大衆に受け入れられ信仰されるようになりました。 今日でも、自分の守護本尊を熱心に信仰している人は少なくありません。 まず、子年生まれの人の守護本尊は千手観音です。 この観音は千本の手と、その手のひら一つ一つに千個の眼を持ち、人々の様子をつぶさに観察して、千本の手に象徴されるあらゆる手段で救ってくださいます。 この観音の縁日は毎月十七日です。 この日にお参りすれば御利益は倍増だといわれています。  丑年と寅年の守護本尊は虚空蔵菩薩です。 この菩薩は虚空(どこまでもひろがる空間)のように、広大無辺に慈悲で信仰する者を優しく包み込んでくださいます。毎月十三日が縁日です。 卯年生まれの人は文殊菩薩が守護本尊になります。 「三人よれば文殊の智慧」といわれるように、智慧に優れた菩薩です。 研ぎ澄まされた智慧で、信仰する者を自在に救ってくださいます。 縁日は毎月二十五日です。 辰年と巳年生まれの守護本尊は普賢菩薩です。 普賢菩薩は修行を得意とする菩薩で、信仰する人を正しい道に教え導き、悟りに至らせてくださいます。 毎月二十四日が縁日です。 午年生まれの人の守護本尊は勢至菩薩です。 この菩薩は人々を悟りに至らせる種を植えてくださいます。 つまり、この菩薩を信仰すれば、黙っていてもやがて悟りの境地に至ることができるのです。 縁日は毎月十七日です。 未年と申年生まれの守護本尊は大日如来です。 大日如来は密教の教主(教えを説く人)で、仏・菩薩をはじめすべてのものはこの如来から生まれます。 したがって、その加護のもとにいれば、つねに安泰というわけです。 毎月八日が縁日です。 酉年生まれの守護本尊は不動明王です。 この明王は大日如来の化身で、その恐ろしい顔ですべての煩悩を打ち破ってくださいます。 仏教の教えに背いたり、言うことを聞かない者には、きわめて厳しい態度でのぞまれますが、仏教を信仰し精進する者には従順に従って何かと世話を焼いてくださいます。 毎月二十八日が縁日です。 戌年と亥年生まれの守護本尊は阿弥陀如来です。 よく知られているように、この如来の名を唱えれば必ず極楽浄土に連れて行ってくださいます。 毎月十五日が縁日です。 守護本尊は、私達が生まれてから死ぬまで守り続けてくださいますので「一代守り本尊」といわれています。 また、縁日はそれぞれの守護本尊と縁を結ぶ日です。 ご参考までに・・・。

本堂の天蓋は何のためにあるのですか?

本堂の天蓋は何のためにあるのですか?

本堂に吊るされている天蓋は、もともとインドで強い日差しを避けるために用いられた日傘でした。 王侯貴族が用いる日傘は特に豪華に作られ、常に侍者がこれを差し掛けて従い、天蓋が一つの権威の象徴だったのです。   これが仏教に取り入れられ、帝釈天が常に天蓋を差し掛けてお釈迦様に従ったという伝説があります。 このことから、後にはお釈迦様の姿をモデルにしてできあがった仏像の荘厳(装飾)として用いられるようになったのです。 インドの天蓋はパラソルのようなものでしたが、仏像に差し掛けられる天蓋は、方形や六角形・八角形・円形で、天井から吊るすようになりました。 材質も金属や木が主流になり、様々な彫刻や装飾が施されるようにもなりました。 また、大きな法要などで僧侶に特大の番傘が差し掛けられますが、これも天蓋の一種です。 ご参考までに・・・。

浄土宗と浄土真宗はどう異なるのですか?

浄土宗と浄土真宗はどう異なるのですか?

浄土宗と浄土真宗は、どちらも「南無阿弥陀仏」を唱えて極楽往生を願う信仰です。 両宗とも他力本願、つまり念仏さえ唱えれば阿弥陀如来の慈悲の力(他力)によって救われると説いています。 しかし、浄土真宗の親鸞上人の他力は、浄土宗の法然上人のそれをさらに徹底したもので、絶対他力と呼ばれています。  親鸞上人は阿弥陀如来を信じる心(信)さえ起こせば、極悪非道の人間でも極楽往生できると説きました。 そして、法然上人が念仏を唱えれば唱えるほど極楽往生が確実なものになると説いたのに対して、親鸞上人は念仏の回数に関係なく「信」さえ起こせば往生できると説いたのです。 ご参考までに・・・。

如来像を見分ける要点とは?

如来像を見分ける要点とは?

如来は釈迦が出家した後の姿をモデルにしているから、一枚の衣をまとっただけで、装身具や持物はいっさい身につけていません。 「如来の通相」といって、すべての如来がほとんど同じ姿に造られるので見分けはつきにくいですが、見分け方のポイントはいくつかあります。  薬師如来は薬壺という万病を治す薬の入った小さな壺を持ち、阿弥陀如来は親指と人差し指・中指・薬指のいずれかで輪を作った来迎印という印を組んでいることから、その種類を判別することができます。 また三尊像の場合は、中尊の如来に従う脇侍の菩薩が決まっているから、これが如来の種類を見分ける手がかりになります。 釈迦如来は文殊菩薩と普賢菩薩、阿弥陀如来は観音菩薩と勢至菩薩、薬師如来は日光菩薩と月光菩薩が脇侍として従いますが、この如来と脇侍の菩薩の組み合わせは古いものでは必ずしも一定ではありません。 文殊菩薩は獅子、普賢菩薩は像に乗っています。 日光菩薩は上に日輪(太陽)を載せた蓮の花を、月光菩薩は月輪(三日月)を載せた蓮の花を持っています。 観音菩薩は頭頂の宝冠に阿弥陀如来の化仏(小さな仏像)を、勢至菩薩は宝冠に水瓶をつけています。 ご参考までに・・・。

仏教は、どのようにして日本に伝来したのですか?

仏教は、どのようにして日本に伝来したのですか?

インドで興った仏教は、シルクロードを通って中国に伝えられ、そこから朝鮮半島を経由して日本に伝来しました。 欽命天皇七年(五三八)、百済の王が金銅の仏像と経典類を使者に託して、日本に仏教を信奉するように伝えてきました。 これが日本の仏教公伝です。(あくまでも公伝で、それ以前にも朝鮮半島から来た渡来人が仏教などをもたらし、私的にまつって仏教を信仰していたものと思われます。朝鮮半島に仏教が伝来したのは四世紀頃です。その頃から日本に百済や高句麗の人々が渡来しています。)  この時、仏教受け入れ賛成派の蘇我氏と反対派の物部氏の間で大論争が持ち上がり、天皇もその結論を出すことができませんでした。 そこで、天皇は賛成派である蘇我氏の首領・蘇我稲目の招来した仏像を下賜し、試みにまつらせました。 稲目はこれを持ち帰り、自宅にまつって礼拝しました。 その後、疫病が大流行して、多くの人が亡くなりました。 反対派の物部氏は、これを外来の宗教を受け入れたことによる、日本の八百万の神による祟りだとして、蘇我氏の館を焼き討ちにして仏像を川に流してしまったといいます。 その後も蘇我氏と物部氏の間で仏教の受け入れをめぐる争いが続きましたが、やがて勢力を拡大した蘇我氏が物部氏を圧倒し、仏教は日本の風土にしっかりと根をおろしていったのです。 ご参考までに・・・。

仏教には、なぜ多くの宗派があるのですか?

仏教には、なぜ多くの宗派があるのですか?

仏教は、およそ二千五百年前にお釈迦様の教えに基づいて成立した宗教です。 もともとの教えは、お釈迦様が一人で説いたものです。 お釈迦様が生きていた頃、すでに多くの信者が集まって、その教えに従って修行する僧侶もいました。 初めは、お釈迦様のもとに集まった信者は一つにまとまっていて、派閥はありませんでした。 ところが、お釈迦様が亡くなってしばらくすると、お釈迦様の教えについての解釈の違いから教団が分裂しだしたのです。 これが、宗派の始まりです。 仏滅後、百年頃から次第に分裂が顕著になり、西暦紀元前後には二十派ほどに分かれていたことが知られています。 紀元一世紀の中頃に中国に仏教が伝わると、多くの宗派が成立しました。 そして、唐代(七世紀)頃までには成実宗・律宗・華厳宗・天台宗・禅宗・浄土教(阿弥陀如来の極楽浄土に往生することを願う仏教の一派)などの宗派が成立し、奈良時代に日本に伝えられました。  したがって、日本の宗派のルーツは中国にあり、それを日本の高僧たちが日本的にアレンジしたものなのです。 とくに平安時代以降は、日本独自の体系を作りあげていったものが多く、鎌倉時代になると浄土宗や浄土真宗や日蓮宗のように、日本のオリジナルといってもよい宗派が成立しました。 お釈迦様の教えは一つなのに、なぜこのように多くの宗派が成立したのでしょうか? 一つは、お釈迦様の教えは八万四千の法門(教え)といわれるほど多く、しかもそれが方便(相手に分かりやすいように時と場合に応じて説くこと)をもって説かれているからです。 したがって同じことを説いても、その解釈によって違いが生じてくるのです。 そうした解釈の違いが、様々な宗派を生み出したといえるでしょう。 さらに、後世の仏教徒は膨大なお釈迦様の教えの中から、自分が最も正しいと思うものを選び取りました。 例えば、日蓮上人は『法華経』だけを最高の教えとし、法然上人は念仏によってのみ救われると考えたのです。 その結果、多くの宗派が生まれ、その教えに共感した人たちがそれぞれの信仰集団を作りあげたのです。   ちなみに、「宗」は真言宗とか浄土真宗といった大きな集団を指します。 「派」は「宗」がさらに分派を形成したもので、真言宗豊山派・浄土真宗本願寺派や大谷派などがこれにあたります。 ただ、一般にはこれらを一まとめにして「宗派」といっています。 日本の宗派は一口に「十三宗五十六派」といわれました。 華厳宗・法相宗・律宗(以上、奈良時代)・天台宗・真言宗・融通念仏宗(以上、平安時代)・浄土宗・浄土真宗・時宗・臨済宗・曹洞宗・日蓮宗(以上、鎌倉時代)・黄檗宗(江戸時代)が十三宗です。 教義の解釈の違いなどから、細かい流派に分かれ、戦後に宗教法人ができると、多くの分派が独立し、現在では約百六十派あるといわれています。 ご参考までに・・・。

火伏せの守護神とは何ですか?

火伏せの守護神とは何ですか?

東大寺大仏殿の屋根の両端には、長靴を逆にしたような飾りがついています。 これは鴟尾しびと呼ばれ、魚の尾をデザインしたものです。 日本の寺院建築は木造が主流で、火気に弱い。 消火設備が未発達の時代、ひとたび火事になれば、ほぼ全焼は免れない。 そこで古人は、火事を防ぐために様々な工夫をし、祈りを込めたのです。 その一つが 鴟尾しび です。 水中を自由に泳ぎまわる魚は水を自在に操って、火を消すことができると考えたのです。 つまり鴟尾しびは火伏せの守護神だったのです。   ちなみに、天井に描かれた竜にも防火の願いが込められています。 もともと竜は「竜神」で、雨を司る神です。 この神を天井に描いて、火がでたら雨を降らして消してくれることを願ったのです。  平安時代になると鴟尾しびは姿を消し、鬼瓦が取り入れられました。 こちらは火伏せだけではなく、寺院に降りかかるあらゆる災難を避けるためのものです。 さらに、後世には、名古屋城の「金のシャチホコ」でおなじみの鯱が登場します。 しかし、これは寺院には用いられず、もっぱら城郭の屋根を飾りました。 ご参考までに・・・。

「山門」と「三門」の相違点とは何ですか?

「山門」と「三門」の相違点とは何ですか?

法隆寺や東大寺など、飛鳥・奈良時代に建立された初期の寺院は、都の平坦地に建てられました。 これが、平安時代になると、比叡山や高野山などの山岳地帯に寺院が建てられてるようになりました。 それにともなって、寺院に「○○山」という山号がつけられ、寺院の門も「山門」と呼ばれるようになったのです。 そして時代が下がると、平地に建てられた寺院にも山号がつけられ、その門も山門と呼ばれるようになりました。  また、禅宗寺院などでは「山門」の字を使わず、「三門」と書く場合もあります。 これは、「三解脱門」の略で、迷いから解放されるための三つの道を門に例えたもので、やはり寺院の正門を指します。 三つの道とは空・無相・無願で、どれも物事にとらわれないことを意味します。 そこから三門は五間三戸(柱の間が五つで、入り口が三つ)に造るのが基本ですが、実際には三間一戸のものもあります。 このように「山門」と「三門」はどちらも寺院の正門を表わしますが、前者が門のある場所を表わすのに対し、後者は仏教の教えを象徴する名前です。 例えば、知恩院や東福寺の三門は、常に入り口を開放してあり、三つの解脱の道にいつでも自由に入っていくことができることを表わしています。 また、三門の両側には築地塀などがありません。 これは、三門が大門や総門のごとく、みだりに部外者が入らないようにする防犯上の門ではなく、仏教の教理を表わす象徴的な門であることを示しています。  いずれにしても、重層(二階建)の堂々たる門を「三門」、こぢんまりとした門を「山門」と書くのは、それぞれにふさわしいと思います。 ご参考までに・・・。

仏具の三点セットとは、何ですか?

仏具の三点セットとは、何ですか?

仏具には実に様々なものがありますが、中でもロウソクを立てる燭台・花を生ける華瓶けびょう(花瓶)・香を焚く香炉は欠かすことのできないものです。 この三点が備わっていれば仏具として必要十分であるという意味で、三具足みつぐそく(具足は十分に備わっているという意味)といい、また、華瓶と燭台を二つずつ対にする場合には五具足と呼びます。 逆にいうと、どんなに立派な仏具を備えても、三具足がなければ不完全なのです。  慰霊祭などの法要は屋外で行なわれることが多いですが、この場合も三具足さえあれば法要を営むことができるというわけです。 三具足や五具足は寺院の本尊の前などに必ず供えられ、また、家庭の仏壇にも不可欠の仏具です。 ただ、家庭の仏壇の場合には、香炉には線香を立てることから、線香を入れておく線香立を供えます。 仏前の中央に香炉(線香立)、向かって右に燭台、左に花瓶を並べます。 五具足の場合は、中央に線香立、左右に燭台、外側に花瓶を据えます。 燭台に灯明を灯すのは、仏道を照らすためだといいます。 つまり、我々が仏様の教えに従って生きていくことができるように、歩むべき道を照らすのです。 花瓶に花を供えるのは、仏様を鑽迎するためです。 これは、昔、お釈迦様の説法に感動したインドの神々が、天から様々な花を降らして讃えたという伝説にちなんでいます。 最期に、香(線香)は仏様の食べ物です。 悟りの境地に達した仏様は、香だけを食べていると考えられているのです。 また、香を焚くことによって、我々の心身を清めることができると言われています。 ご参考までに・・・。

護摩にはどんな御利益があるのですか?

護摩にはどんな御利益があるのですか?

護摩はサンスクリット語でホーマといい、「焼く」という意味があります。 もともとイランなどで行なわれていた拝火教(ゾロアスター教)の儀礼ですが、早くからインドに伝えられて盛んに行なわれるようになったといいます。 これが中国に伝えられ、平安時代に弘法大師空海が日本に伝えて大成しました。 信者が奉納した護摩木という神聖な薪を、護摩壇の炉の中で勢いよく燃やし、その中に護摩百味と呼ばれる、五穀をはじめとする様々なものを投じます。 護摩を焚くときに本尊となるのは不動明王です。 護摩の火は不動明王の深遠な智慧を表わし、護摩木は煩悩を表わすといいます。 つまり、不動明王が背負っている火炎が、そのまま護摩の炎となって燃え上がるのです。  つまり、不動明王の智慧の火で煩悩(護摩木)を焼き尽くすことが、護摩を焚く目的なのです。 煩悩がなくなって清浄になった我々の願いは、不動明王が悉く叶えてくれるといわれています。 護摩の御利益は息災・増益・調伏といわれるものです。 息災は災いを除くこと、増益は幸福をもたらすこと、調伏は悪を退散させることです。 ですから、護摩を焚くことによって、すべての御利益にあずかることができるのです。 真言宗や天台宗の寺院では、毎月二十八日の不動明王の縁日に護摩が焚かれます。 また、とくに参詣者の多い寺院では毎月二・三回護摩供養が行なわれます。 さらに、新年の護摩供養はとくに御利益があるといわれ、多くの参詣者が訪れます。 ご参考までに・・・。

境内に見られる仏教ゆかりの樹木って何ですか?

境内に見られる仏教ゆかりの樹木って何ですか?

蓮の花は、仏教を象徴する花としてよく知られていますが、蓮の他にも寺院の境内には仏教ゆかりの植物がいくつか見られます。 その代表が菩提樹と沙羅で、この二つを植えているお寺も少なくありません。 まず、菩提樹はお釈迦様が三十五歳の時にこの木の下で悟りを開いたことから、その名があります。 菩提はサンスクリット語のボーディを音写したもので、「悟り」の意味です。 ただし、日本のお寺で見られるのは、インドの菩提樹とは異なり、中国原産のシナノキ科の樹木です。 沙羅の木は、お釈迦様がこの木の下で入滅(亡くなること)されたことから、仏教で珍重されます。 インドではシャールと呼ばれる二十メートル以上に成長する樹木で、各地でよく見られます。 日本の沙羅の木はナツツバキというツバキ科の樹木で、シャールとは異なります。 しかし、仏典にはお釈迦様が入滅された時に、木々が季節はずれの花を満開にしたと説かれています。 そして、ナツツバキが真夏の花の少ない季節に花を咲かせることから、沙羅になぞらえたものと思われます。 また、沙羅は「沙羅双樹」ともいわれます。 双樹は二又の意味で、これも経典に、お釈迦様が二又の沙羅の木の間に寝台をしつらえて横になり、最期を迎えたといわれていることから、双樹といわれるのです。 また、マンジュシャゲは、もともと天界に咲くといわれる架空の花です。 日本では秋のお彼岸頃に咲くことから、ヒガンバナの名で親しまれています。 さらに、仏事などでよく用いられるシキミという常緑樹がありますが、これは葉の形が蓮の花の花弁に似ているため、仏教で珍重され、芳香を含む葉はお香の原料にもなります。 また、この香りをオオカミが嫌うので、土葬の時代にオオカミが遺体を掘り起こしたりしないよう墓地に植えられたという説もあります。 ご参考までに・・・。

なぜ、寺院の境内に稲荷神社があるのですか?

なぜ、寺院の境内に稲荷神社があるのですか?

平安時代の始めに、天台宗の開祖・伝教大師最澄は比叡山を開くにあたって、この土地に古くから鎮座する地主神である、比叡(日枝)の神を丁重にまつった。 これが現在、滋賀県にある日吉神社の起源である。 最澄が比叡山の開創に先立って、比叡の神をまつったことは、神仏習合の魁となるできごとでした。 そして、平安時代の中頃になると、神社の境内には神宮寺というお寺が建てられ、僧侶が神前でお経を唱え、いっぽう寺院には神々をまつる神社が建てられるようになりました。 つまり、外来の宗教である仏教と日本古来の神道の神が、同じ敷地の中で仲良く暮らすようになったのです。 この不思議な現象を神仏習合といい、時代が下がるとますます盛んになっていきました。 例えば、愛知県の豊川稲荷の基になるのは妙厳寺という曹洞宗のお寺です。 もともと妙厳寺の鎮守としてまつられたお稲荷さんが信仰されるようになり、江戸の末期から爆発的な信仰を得ました。 その結果、本体の妙厳寺よりも有名になってしまったのです。 このように神仏が共存する状態は、江戸時代の末まで続いたのです。 しかし、明治になって維新政府が神道を国教と定めると、「神仏判然令」というものを作りました。 それまでごっちゃになっていた神社と寺院を引き離して、神道の本拠地である神社の存在をはっきりさせようとしたのです。 その結果、寺院内の神社や寺院内の神宮寺は境内の外に出され、神仏の共存に終止符が打たれたのです。 とはいっても、どうしても神社と寺院を切り離せないケースもありました。 例えば、日光東照宮は二荒山神社、輪王寺とともに二社一寺が渾然一体となっていて、完全に切り離すことは不可能だったのです。 そのため、現在でも東照宮の入り口には五重塔が建ち、境内のは薬師堂や鐘楼などが残されているのです。  第二次世界大戦後は神道が国教ではなくなり、神仏を共にまつることも各寺院の裁量に任されました。 その結果、かつて神仏判然令で移転させられた神を再び勧請したり、さらには稲荷などを新たに勧請して社を構える寺院が多くなったのです。 ご参考までに・・・。

故郷の家に仏壇があるのですが、今の家にもまつるのでしょうか?

故郷の家に仏壇があるのですが、今の家にもまつるのでしょうか?

お仏壇はすべての家におまつりするべきです。 お仏壇は仏様をおまつりするところであって、お位牌壇ではないのですから、実家でご先祖様のおまつりをしているから、実家を出た者はいらないと考えるのは間違いです。 お仏壇はご先祖様のお位牌をおまつりするところではなく、仏様・ご本尊をおまつりするところ、つまり仏様の浄土なのです。 お仏壇の中にお位牌を安置するのは、常に仏様のおそばにいられるようにという心のあらわれなのです。 この頃の若い人たちにお家の宗旨は?と聞いても、答えられる人は十人の内一人か二人です。 後は「わかりません」「家には先祖がありませんから仏壇はありません」という答えが返ってきます。  ご先祖様がないはずはないのですが、おそらく、お仏壇はお位牌をまつるところと思い違いをしているところから、そういう答えになるのでしょう。 いずれにしても、自分の信仰をもたないことは残念なことです。 そこまではっきりしていなくても、ご自分の家にお仏壇をまつり、朝夕家族で手を合わせるようにしたいものです。 そこには、他人を思いやる心・ものを大切にする心・すべてに感謝する心が自然と生まれてきて、あたたかい家庭が作られます。 ご参考までに・・・。

形見わけには、どんないわれがあるのですか?

形見わけには、どんないわれがあるのですか?

亡くなられた方が、普段使っていた品物や着ていた着物などを、身近な親しい人々に遺品として分けてあげることを『形見わけ』といい、葬儀が終わったあと、しばらくして落ち着いたところで行ないます。 形見わけは、いただいた品を手にするたびに、亡くなられた方のことを思い出して、その遺徳をしのび、生前に行なっていた立派な行いをまねて、少しでも善行をつむように務めようとする心をおこさせることと、遺産分配の一つの形式でもありました。 昔は着物には霊が宿ると考えられていて、着物の形見わけは重要な儀式の一つであったようです。 ことにお坊さんの間でお師匠様の衣を遺品としていただいた時は、師匠の教えを受け継いで守っていくという誓いを新たにするわけで、「衣鉢をつぐ」という言葉があります。  また、形見わけは、亡き人の持ち物を分かち与えるということで、布施の功徳をつみ、その形見をもらった人にも同じように、自分の持っている品物を他に分かち与えようとする心をおこさせ、さらに物に対する執着心・貪欲の心を少しでもなくすようにするために行なうのが「形見わけ」です。 ある時お釈迦様が故郷の城に来られた時、実の子ラーフラは母のヤショダラにうながされて、お釈迦様に「われに家の財産を与えたまえ」と申し出ました。 お釈迦様は黙ってラーフラを弟子の舎利弗尊者の許に連れて行き出家させました。 「財産を与えて下さい」といった子に対して、お釈迦様は、教えという心の宝を与えて「法の後継」となるようにと諭されたのです。 お釈迦様の生まれた国は、やがて隣国に攻め滅ぼされました。 どんなに多くの財宝や地位・名誉があっても、必ず栄枯盛衰あって滅び去ってしまうものです。 すべて仮の相のものなのだから、それに囚われることなく、他人によって滅ぼすことも奪うこともできない“心の宝”を大事にし、それを分かち与えられたのです。 子供は親の生きている生き方を見て育っていきます。 「子は親の鏡」という言葉があるように、親子の仕草・考え方は似ています。 我が子に与える形見は、どんなものを残したらよいか、よく考えてみてはいかがでしょうか? ご参考までに・・・。

戒名に「信士」「居士」などありますが、どう違うのですか?

戒名に「信士」「居士」などありますが、どう違うのですか?

戒名の下に「居士こじ・大姉たいし」あるいは「信士しんじ・信女しんにょ」とあるのは、「位号」といって、位階をあらわす尊称です。 「信士・信女」は、仏の教えを信じ、定められた戒を守っている在家の信者という意味で、経典にでてくる優婆塞うばそく・優婆夷うばいの訳です。 出家せず、普通の生活を行なっている在家の者ではあるが、五戒(不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不飲酒)あるいは、十善戒(①生き物を殺さない。 ②盗まない ③姦淫しない ④嘘を言わない ⑤二枚舌を使わない ⑥悪罵しない ⑦駄言を弄しない ⑧貪らない ⑨怒らない ⑩邪見にふけらない)を守って、精神的にも生活面からしても清潔な生活をし、信心の深い人を「清信士・清信女」あるいは「信士・信女」とよんでいます。 ですから、どんな人でもいいというものではありません。   「居士・大姉」は、「信士・信女」よりさらに信心が深く、仏教を身に実践し、人徳を備えて誰からも尊敬されている人に対して送られます。 はじめは居士は一般的に富豪をさす名称として用いられ、仏教特有の言葉ではありませんでしたが、しだいに仏教の内部の称号として使われるようになりました。 居士に対する女性の場合の称号として使われるのが、大姉です。 もともとこれは、比丘尼びくにをさす言葉でしたが、現在では居士と同格の意味で使われています。 このうえさらに一段上位をあらわす尊称として、「大居士・清大姉」があります。 近頃、この「居士・大姉」をつけたがる人が多くなっていますが、これは自ら望んでつけるものではありません。 まず、誰から見てもその称号に相応しいような生き方をすることが大切です。 立派な戒名をつけさえすれば、供養の誠が尽くされといった考え方は、改められるべきでしょう。 ご参考までに・・・。

ご遺体にかけるのは、普通の着物ではいけないのですか?

ご遺体にかけるのは、普通の着物ではいけないのですか?

看病の甲斐もなく亡くなられた方の遺骸を、悲しみのうちにも遺族や親戚などの身内の人々が集まって、湯水で清め(湯灌)、用意した白衣を着せてあげます。 この白衣を経帷子とか、無常衣とか浄衣・行衣といっています。 この衣は、身近な女性たちが幾人かで白木綿あるいは麻布をハサミを使わずに切り、引っ張りあって同時に縫います。 あるいは、手甲・脚絆などは片方ずつ別の人が縫って、糸尻は留めないでおくという風習があります。  この白衣を死装束ともよんでいますが、霊山浄土への死の旅立ちの装束でお坊様の姿になぞらえているのです。いずれ死ななければならない身です。 お互いに生前からその用意をしておきたいものです。 こう申し上げると、縁起でもないと怒られる方もいらっしゃいましょうが・・・。  お釈迦様・お祖師様・一切の諸仏菩薩様方や、ご先祖様方がおられる場所にいく時に、せめて服装ぐらいは自分できちんと誂えたものを着ていったならば、少しは恥ずかしい思いをしなくてもすむのではないかと思います。 各菩提寺のお上人に白衣(行衣)にお曼茶羅を書いていただくのもいいですし、あるいはお願いするとできているものを取り寄せていただけます。 これをご霊蹟のときなどに着ていって、朱印や法印をいただいておくとよいと思います。 これまで述べてきましたように白衣の行衣がもっとも好ましい服装ですが、生前好んでいた着物など着せてあげたいのは人情です。 着せてあげても差し支えありませんが、その時は、上に覆うようにして白衣をかけてあげて下さい。 なお念のため申しますと、着物や白衣を着せてあげる時は左前にして着せますが、この白衣は真宗では用いません。 ご参考までに・・・。

「引導をわたす」というのは、どういうことですか?

「引導をわたす」というのは、どういうことですか?

「引導」とは、人を導いて仏様の教えに引き入れるということで、「引導をわたす」というのは、人生の最後である臨終の一番大事な時に、仏様や宗祖の残された教えや言葉を示して、教えの肝心や冥途に赴く時の心構え、その時の不安がないようにと、亡くなった方に伝え教えてあげることで、現在は仏教の葬儀で一番大事な儀式となっています。 人間というものは、自分でもある程度わかっていても、いざという時になると、自分の一番信頼している人からもう一度確認してもらいたいという心境になるのではないでしょうか。 わかっていることでも、念をおされると一安心しますし、ましてやどうなることかと自信が無く不安な時には、その一言を聞いて安心できるものです。 ちなみに、葬儀の時に中心となられて儀式を司って下さるお坊様のことを「導師」というのは、仏様の教えへと導いて下さる方ということから名がつけられています。 ですから、引導をわたして下さる導師は常日頃から教えを受けている菩提寺のご住職がつとめて下さるわけです。 正しい教えに導いて下さるご住職を導師として信頼し、仏様のお弟子となった証としての法号を授けていただき、そして冥途に旅立つ時の導きをいただくのが、お葬式の儀式なのです。  ご参考までに・・・。

まもる人がいなくなったお墓は、どうしたらいいのですか?

まもる人がいなくなったお墓は、どうしたらいいのですか?

最近は子供が少なくて、一人っ子同士の結婚で、どちらかの名籍を継ぐ人がいなくなってしまう例が多くなってきました。 昔は家督相続とか「家」という意識を大切にしてきたのですが、最近ではこの「家」意識が消えて個人中心の考え方になってきました。 これは、家族の相互間の意識ばかりか、今までの日本人の意識までも変えてしまうような大きな問題をはらんでいます。 若い時は墓地のことなど考える余裕もないかもしれませんが、いずれ必ず自分の埋葬される墓地が必要になってくるのです。 その時になって改めて墓地を探したところで、よほどの遠隔地でなければなくなってしまうのではないでしょうか。 お寺様からすると、無縁としてしまうよりも、できればご縁のある方が引き継いでお墓をお詣りし、ご先祖様をご供養していただくことが、一番望ましいことなのです。 もし、不幸にしてどなたも後を継ぐ人がいない時は、お寺様に永代経をお願いして将来にわたってご回向していただくしかないでしょう。 この永代経の回向料については、それぞれのお寺様で内容が異なるので、よくご相談下さい。 もし、身寄りが一人もいない場合、財産はすべて国庫の中に組み入れられてしまいますので、遺言してお寺様に永代料として寄付しておかれるのもよいと思います。 ご参考までに・・・。

改宗を機にお墓を改葬したいのですが、どうしたらいいですか?

改宗を機にお墓を改葬したいのですが、どうしたらいいですか?

まず、今までの菩提寺に行って、ご住職にご自身の改宗の意思をはっきり申し上げ、ご先祖のお墓を改葬したい旨を申し出て下さい。 次に、墓地の所在地の区役所あるいは町役場に行き、改葬許可申請書をもらって、それに所定の事項を書き込みます。 この時、現在埋葬されている遺骨の火・埋葬許可証があれば一番いいのですが、菩提寺にお聞きして、もし保管してあればそれをいただき、ない場合は菩提寺のご住職に亡くなった方の法号(俗名)・死亡年月日を書いて、お寺の墓地に埋葬してあることを証明していただきます。  これらを持って役所に行き、改葬許可をもらいます。 これはあくまでも現在埋葬されている墓地を掘って遺骨を取り出してもよいという書類です。 これを持って菩提寺に行き、ご住職立会いのもとに墓地から遺骨を取り出します。 もし土葬ならば、その遺骨は改めて火葬にしなければなりません。 いずれにしても、お骨を墓地から取り出したならば、お経をあげていただきましょう。 そして、今まで長い間お世話になったわけですから、ご供養していただいた御布施とは別に、すこしまとまった額の「祠堂金」をお納めしてお礼の心を表わして下さい。 新しい墓地に埋葬するときは、もちろん新しく菩提寺としてお願いしたご住職にお願いして、ご供養していただくと同時に、墓地に埋葬します。 この時は、旧墓地からあなたのお家のご先祖の全部の過去帳を書き写していただいたものを、新しい菩提寺に提出します。 埋葬するときは、もちろん役所でもらった改葬許可証を新しい菩提寺に持参しなければなりません。  お墓は、いくら自分の家の墓地とはいえ、自分勝手にいじることはできません。 必ず、改葬の許可手続きとともに、墓地管理者であるご住職の立会いのもとで行なわなければなりません。 遺骨を埋葬したり、改葬したりするときはもちろんですが、墓石の修理・現状変更など、どんなことでも管理者であるご住職の承諾なしにはできませんので、くれぐれも気をつけて下さい。 ご参考までに・・・。

古い仏壇やお位牌は、どうしたらよいのでしょうか?

古い仏壇やお位牌は、どうしたらよいのでしょうか?

お位牌やお仏壇・あるいは掛軸など、いくら大切にしていても長い年月が経てば古くなったり傷ついたりしてしまいます。 それで新しいのと取り替えたいという気持ちは結構ですが、いくら古くて汚れているからといって、永年家族の方々が手を合わせ、拝んできたものを捨てるということはできません。  まず、菩提寺のご住職にご相談なさるとよいのですが、遠くに離れていたりしてすぐにできない時は、近くのお寺に行って、古くなったお仏壇なりお位牌の「魂抜き」のご供養をして頂き、できれば「お焚き上げ」をお願いしたらよいと思います。 最近ではお寺の境内に黙って仏壇などを置いていかれる人もおられるようですが、永年拝んできたものを、ゴミのように捨てていくのは考えものです。 お位牌など、お線香でくすぶって黒くなっただけのものも案外多いようです。 昔のもので、漆や金箔がしっかりしたものですと、仏具屋さんに頼めば見違えるほど綺麗になるものですから、一度仏具屋さんにお聞きになるのとよいと思います。 なお、お仏壇やお位牌など、新しくされたときは、必ずご住職に「開眼」(お魂入れ)をしていただいてから、ご安置して下さい。 ご参考までに・・・。

七堂伽藍とは何ですか?

七堂伽藍とは何ですか?

大きなお寺に行くと、広大な境内に色々な建物が建っていて、「七堂伽藍しちどうがらん」が整っているという言葉をよく耳にします。 伽藍というのは、サンスクリット語(インドの古い言葉)の「サンガーラーマ」を漢字に当てて表記したもので、正しくは僧伽藍といい、これを略して伽藍といっています。 もともとインドでは、僧侶たちが集まって修行する清浄な場所を意味しました。 中国に仏教が伝えられてからは、これが寺院の建物を総称する言葉となりました。 七堂伽藍というのは、完全に堂塔(建物)を備えた寺院のことです。 「七」は実際の数ではなく、必要な建物の数を十分に満たしたという意味です。  一般的には金堂・塔・講堂・食堂・鐘楼・経蔵・僧坊・回廊・門など、必要な建物を全て備え、大勢の僧侶が住んでいる大きな寺院を七堂伽藍といったようです。 つまり、七堂伽藍とは、大本山クラスの大寺院の代名詞として使われる言葉なのです。  金堂は本尊の仏像をまつってある、寺院の中心になる建物で、東大寺の大仏殿などがこれに当たります。 塔は仏舎利(釈迦の遺骨)を納める建物で、ふつうは三重塔や五重塔で、飛鳥寺など最初期の寺院では伽藍の中心に据えられました。 講堂は僧侶たちがお経を読んだりして勉学に励む建物です。 食堂は文字通り食事をする建物です。 鐘楼は時を知らせる梵鐘を吊るす建物です。 また、同じく時を知らせる太鼓を納める鼓楼を鐘楼と対にして配置することもあります。 経蔵は経典を納めておく書庫です。 僧坊は僧侶たちが寝起きをする生活の場です。 そして、金堂や塔などの主要な建物を回廊で囲み、その四方に門を設けます。 ふつう、僧坊は回廊の外側に置かれます。    また、宗派によって伽藍の種類や呼び名が異なります。 禅宗寺院では座禅をする座禅堂(僧堂)、東司とうすと呼ばれる便所、浴室などの建物も重要視されました。 禅宗寺院の七堂伽藍には、これらの建物が欠かせません。 さらに、浄土宗の総本山知恩院や浄土真宗の大本山本願寺などでは、開祖の教えを重要視するため、御影堂(祖師堂)と呼ばれる開祖をまつる堂を一番大きく造っています。 本堂よりも大きな御影堂を伽藍の中心に据えます。 また、日蓮宗でも、開祖の日蓮上人をまつる御影堂が中心的な存在になります。 ちなみに、中小の寺院では、中央に本堂があり、境内に鐘楼などがあるぐらいです。 このように、規模が小さく建物の数も少ない寺院の場合、七堂伽藍とはいいません。 ご参考までに・・・。

盆踊りと仏教は関係があるのですか?

盆踊りと仏教は関係があるのですか?

今では“盆踊り”は、夏の風物詩になっていますが、本来は盆に行われる踊りの総称で、精霊供養とか神をまつる宗教行事です。 お盆に帰ってくるご先祖様の御霊を慰め、またお送りする踊りで、もとは念仏踊りなどからおこっているといわれています。 今では盆踊りとなると、やぐらを中心に輪を作って踊る輪踊り形式が多くなりましたが、昔は新盆の家を踊りながら巡って歩くという形式のほうが多かったようです。 民謡で有名な“さんさ踊り”などは、この行列形の一つです。 またお盆にこられた精霊を迎えてご馳走した後、村のはずれまで踊りながら送っていくという風習もあります。 輪踊りは神様が降臨してきた場所を中心にして(やぐらに笹竹をたてるのは神様の依代よりしろです)、それを取り囲んで踊りまわるという風習からおきてきているもので、今では盆踊りというと、この形式が主になってきているのは、場所がなくなったせいでしょうか。 盆踊りに必ずといっていいほど歌われる“佐渡おけさ”はこの盆踊り歌の代表的なものですが、多く歌われている民謡や踊りは皆この盆踊りから出てきています。 ご参考までに・・・。

お釈迦様の正しい呼び方はあるのですか?

お釈迦様の正しい呼び方はあるのですか?

私達が『お釈迦様』といっているのは、本当の名ではなく通称です。 長い間子供に恵まれず、お母様の摩耶夫人が四十歳を過ぎてようやく産まれた子であったので、父の浄飯王はシッダールダ(願望のかなったもの)という名をつけられました。 七日目に摩耶夫人が亡くなり、夫人の妹のマハープラジャーパティー・ゴータミー(摩訶波闍波提まかはじゃはだい)に育てられました。 当時のインドでは母系の姓で呼ばれるのが通例で、ゴーダマ(最高の牛)とも呼ばれています。 ですから、ゴーダマ・シッダールタというのが本当の名前です。 『お釈迦様』というのは、{釈迦族出身の聖者」という意味の釈迦牟尼の略で、また「釈尊」は釈迦牟尼世尊の略です。 いずれも、ゴーダマ・シッダールタが、今のネパール地方のカピラヴァストゥ(迦毘羅城)という小さな国をつくっていたシャーキャ(釈迦)族の出であったところから呼ばれているのです。 {仏陀」はインドのブッダ(真理を悟った者)というのを漢字に当てたもので、固有名詞ではありません。 ですから、我々のいう釈尊だけでなく、多くの仏様がいらっしゃるのです。 現に今日インドでは、釈尊は真理を悟った一聖者というように受けとめられています。 お経の中にも「十万の諸仏」「過去の仏」「未来の仏」というように説かれています。 ですから、正しくいうならばゴーダマ・シッダールタというべきでしょう。 「釈尊」とお呼びするのが一番適切ですが、「お釈迦様」というほうがより親しく感じられるようです。 ご参考までに・・・。

お墓に植木を植えてはいけないのでしょうか?

お墓に植木を植えてはいけないのでしょうか?

お墓の周囲に亡き人が好きだった草花や植木を植えて、いつも花や緑に囲まれるようにしてあげたいと思うのは優しい心遣いだと思いますが、お墓のところに木は植えないほうがよいと思います。 それは、いつもお墓や植木の手入れをすることができる方ならよいのですが、それもなかなか難しく、時が経つにつれ自然と野放図になって見苦しくなってしまうからです。 また、枯れ葉や落花がまわりに散らばり、周囲の他のお墓を汚すことにもなるからです。 木は育つものですから、木が大きくなってお墓の上にかぶさるようになったり、さらには根がはって墓石を傾けたり周囲の石垣を壊したりする場合もあります。 ですから、もし草花がお好きなら、植木ではなく、なるべくこまめにお詣りして新しい季節のお花をお供えするようにしましょう。 枯れた花殻がいつまでも花立てに立ったままというのは見た目にもよくありません。 お墓のお掃除は他人まかせにしないで、自分の家を掃除するように毎月のご命日にお詣りしお花をかざれば、ご先祖様たちもお喜びされることでしょう。 ご参考までに・・・。

大乗仏教・小乗仏教とは、何ですか?

大乗仏教・小乗仏教とは、何ですか?

約二千五百年前にインドにお生まれになったお釈迦様が、悟りをひらかれ、その教えが現在まで伝えられてきたのが仏教です。 お釈迦様は八十一歳でお亡くなり(入滅)になるまで、色々な所で大勢の人々に教えを説かれました。 その教えを受けて、お弟子が次々に伝え、それがまとめられたのがお経です。 一口に八万四千のお経があるといわれていますが、これは直接お釈迦様の口から説かれたもの(小乗経典)ばかりでなく、お釈迦様の教えに従って、その教えをより深く説き明かしていってつくられたお経や、その注釈書など(大乗経典)がたくさん含まれています。 ですから、お釈迦様直接のご説法を伝えたものではありませんが、お釈迦様のお心を誤りなく伝えているということから、お釈迦様のご説法と同じように受け継がれてきているのです。 お経の始めは「如是我聞ーこのように私は聞きました」という言葉で始まっているのはこのためです。 お釈迦様が入滅されてから、しばらくしてお釈迦様の教えを文字通り忠実に守ろうとした人々と、説かれた教えの心を生かしていこうとする人々に分かれていきました。 前の人々のことを部派仏教あるいは小乗仏教とよび、お釈迦様の教えの心を中心にしていこうとする人々の仏教を大乗仏教とよんでいます。 大乗・小乗の乗というのは、「乗り物」という意味です。 私達の迷っているこの岸から、悟りの彼岸に渡してくれる教えを、大きな乗り物に例えて「乗」というのですが、大乗は大きな乗り物・優れた乗り物、小乗は小さな・劣った乗り物という意味になります。 大乗に対して小乗というのは、大乗の人が小乗のことを軽蔑して言っているので、現在では、小乗という言葉を使わずに、部派仏教あるいは長老派仏教・南方仏教などとよんでいます。 大乗というゆえんは、人々はみな迷っている存在ではあるが、しかし、必ず仏になる種子を持っており、そして自分よりもまず他人の幸せを願って、共に仏様の教えに従っていこうとする菩薩の道を説くところから、「大きな・深い・より優れた教え」と名づけられたのです。 これに対して、小乗では、仏様はお釈迦様だけで、他の者は声聞とか、阿羅漢という位にしかなれないとする考え方です。  小乗仏教では、綺麗に咲いている花を見て美しいと思うのは迷いであると説くのに対して、大乗仏教は美しい花を見て美しいと感じるのは迷いではない。 しかし、その美しさに心をうばわれ、とらわれてはいけないと説くのです。 このように、小乗仏教は、人間の欲望などは迷いのもととして厳しく自分を律していくのに対して、大乗仏教は、物事にとらわれない、おおらかな心と、まず他人のことを考えようという、目を外に向けての立場をとります。 現在では、セイロン・ビルマ・タイなど東南アジアの仏教国はだいたいこの小乗仏教系で、中国・日本などは、大乗仏教の教えを奉じています。 大乗と威張っていても、自分を律することを忘れた行のない仏教では困りますし、個人が精進努力している東南アジアの人々を小乗といって蔑視するのもよくないことです。 ご参考までに・・・。

なぜ、仏像を金色に作るのですか?

なぜ、仏像を金色に作るのですか?

仏像が金色に作られるのは、仏様に「三十二相・八十種好」といって、とくに優れた姿や特徴が備わるとされていますが、その中の第十四番目に「身金色相」といって仏様の身体は金色に輝いていると定められているところから、それに従って作られているからです。 しかし、黄金が人々から一番尊ばれているところから、一番大切なもので仏様を作ることによって、仏様への絶対帰依の念を表わそうという思いが込められたという説もあります。 奈良・法隆寺夢殿の救世観音は聖徳太子をモデルにしたものだと伝えられていますが、その像に金箔の色が鮮やかに残っていますし、また奈良の大仏は、当時新しく発見された陸奥の金もまじえて約五十八.五キロの金が塗られ、燦然と輝いていたと云われています。  また、『無量寿経』や『阿弥陀経』に、西方極楽浄土の様子が説かれていますが、それによると、仏様の浄土は仏様の光明に照らされて、全てが金色に輝いているとあります。 これらのことから、仏壇や蓮華、お厨子などの多くが金色に作られているのです。 平泉中尊寺の金色堂や京都の金閣寺などは、お堂全部に金箔をはることによって、この世での極楽浄土を表わそうとしたのでしょう。 ご参考までに・・・。

位牌とは、何ですか?

位牌とは、何ですか?

仏教式の葬祭道具の一つで欠かせないのが位牌です。 死者の戒名を書いて自宅の仏壇に安置したり、菩提寺に預けたりする木製の牌のことです。 ただの白木に墨書したものもあれば、立派な漆塗りの牌に金文字で書かれたものまで、大きさも体裁もさまざまです。 インドから中国に仏教が伝わってきたとき既に戒名はつけていましたが、位牌はありませんでした。 死者の位牌の起源は、日本古来の霊代(依代)信仰に、中国儒教の影響が習合したと考えられています。  霊代とは、神や霊魂が乗り移って宿ると見なした木片で、崇めたり祀ったりしました。 一方、儒教では、先祖や家族の生前の名前や官位を書いた木の板を祀る習慣がありました。 この、儒家儀礼の板が日本の霊代として使われるようになったのが、位牌の起源だとされています。 日本の白木の位牌には栗の木が使われますが、これは「栗」という字が酉(西方浄土)の木と書かれるからです。 死の直後は白木でも、四十九日の忌明けまでに塗りものに替えるという家が多いようです。 ご参考までに・・・。

死者の着物が左前のはなぜですか?

死者の着物が左前のはなぜですか?

湯灌がすんだ遺体は、納棺の前に死装束をまとわせるのが一般的です。 その時、男性ならヒゲを剃る、女性なら薄化粧を施すといった身じまいを整えます。 仏教では死は十万億土への旅立ちとされ、死装束は冥途への旅支度になります。 聖なる色である白の着物に手甲脚絆てっこうきゃはんをつけ、頭陀袋ずたぶくろ をかけます。 この頭陀袋の中に六文銭を入れるのは、それが三途の川を渡る船の渡し賃だからだと言われています。 また、額に三角形の白い布をつけますが、これは天冠てんかんと呼ばれています。 冥途への旅では閻魔大王に会うことになるので、無冠では失礼だという考えからの冠なのです。 大事なのは着物の着せ方で、必ず左前にします。 これは一目で死者だとはっきりわかってもらえるようにとの装いで、お釈迦様が入滅するとき着物を左前にしていたからだとされます。 それだけに、この世での着付けは左前は厳禁なのです。 ご参考までに・・・。

湯灌ゆかんとは何ですか?

湯灌ゆかんとは何ですか?

湯灌とは、遺体を納棺する前に死者の身体を湯水で拭き清めることです。 これには、身体を清めるだけでなく、死者の魂を復活させるという呪術的な意味が込められているとも言われています。 それだけに、湯灌に使う湯の扱いにはいくつかの作法が生まれました。 ふつう湯の温度を下げるには沸騰した湯に水を入れますが、湯灌の湯水は先にタライに水を入れておき、後から湯を注ぎます。  これは「逆さ水」という湯灌独特の作法です。 そのため、日常生活でも水に湯を注ぐ行為は忌み嫌われました。 ほかにもタライに湯や水を注ぐ時の柄杓は左手で持つ、湯灌用の水を汲みに行く人を必ず誰かが追いかけて呼びに行くといった習わしもあります。 現代では、病院で亡くなった場合、看護師が遺体のアルコール清拭をしてくれますから、家族は形式的に手足を拭くのみというケースが多いようです。 ご参考までに・・・。

お逮夜法要とは何ですか?

お逮夜法要とは何ですか?

お逮夜とは祥月命日の前夜をいい、この夜に読経して法要するのを逮夜法要といいますが、本来は葬儀の前夜の意味でした。 人が亡くなった次の夜は、明日荼毘に至る夜なので逮夜といったのです。 この年忌や月忌の前夜に法要をするのは、日蓮上人が「十王讃歎鈔」などにいっておられる、閻魔様を代表とする冥界の十五内説に関係しています。  人が死ぬと冥界にいき、そこで生前に行った業によって裁きを受けるのですがその裁判官の代表が閻魔様であるというのは、皆さんもご承知でしょう。  人が亡くなって初七日から四十九日(満中陰)までと、百か日・一年・三年の間は、それぞれ十王の内の一王の前に出て裁きを受けるのですが、そのために亡くなった人の罪を少しでも軽くしようと、それぞれの忌日の前に法要をして、その功徳を亡き人に供養するというのが逮夜法要の意味なのです。 「法要は忌日より遅れないように営むものだ」というのも、このような意味からいわれるのです。 ご参考までに・・・。

お焼香の正しいやり方とは?

お焼香の正しいやり方とは?

お焼香の仕方については、まず近親の人から順にお焼香に立ちますが、順番のゆずりあいなどはせず、なるべく間をあけないように次々と進んでいくようにしましょう。 お焼香するところが、読経しているお坊様(導師)の前方にあるときは、仏壇に向かって左手から進んで、右手に退くという進み方をします。 順を追ってお焼香の仕方をいいますと・・・①まず、法要の導師をしているお坊様に一礼します。 (立ったままお焼香するときは軽く一礼するか、合掌してから仏前に進みます。 座ってお焼香する場合は、お坊様に一礼するときに、きちんと座って一礼するようにしたいものです。)   ②仏前の焼香台まで進み、一礼してお焼香をします。(お焼香の回数は宗旨によりそれぞれ異なりますが、多人数でする場合は心を込めて一回ですますようにしましょう。 ちなみに、真言宗と浄土宗と日蓮宗は三回、曹洞宗・臨済宗・真宗大谷派は二回、浄土真宗本願寺派は一回です。) ③お焼香し終わったら、回向する方の冥福を祈って合掌、礼拝します。(多数の人がお焼香するときは、あまり一人で時間をかけすぎないようにお互い気をつけましょう。) ④仏前から退き、導師のお坊様に向かって一礼し、自分の席に戻ります。  また、お線香をあげるときには、やはり宗旨によってそれぞれ本数が異なり、立て方も違います。 真言宗と日蓮宗は三本、浄土宗・真宗大谷派は二本、曹洞宗と浄土宗本願寺派は一本を決まりとしていますが、このうち真宗大谷派と浄土宗本願寺派では、お線香を立てずに、横に寝かせます。 お通夜など、大勢の人がお焼香するときは、できれば一本に心を込めて、なるべく香炉の奥のほうから順序よく立てるという心配りがほしいものです。 また、ロウソクからお線香に火をつけたあと、息で炎を吹き消さないで、軽く手を持ち替えて、右手であおぐようにしますと、炎はすぐ消えます。 お焼香にしても、お線香にしても、いずれも香を捧げて供養するわけですから、本来ならば自分が選んだ良い香りの香を持参するものなのですが、今日ではすでに備えられた抹香やお線香を利用させていただいています。 せめて、真心を込めたお焼香をしたいものです。 ご参考までに・・・。

末期の水とは、何ですか?

末期の水とは、何ですか?

臨終の時、亡くなられた人の口元に、近親の人が筆や綿に水を含ませて唇をぬらしてあげる「末期の水」あるいは「死水」については、別れに際しての供え物という説と、その反対に、水をかけて死んでいこうとする人の魂を呼び戻す意味で行われたものであるという説とがあります。 いずれにしても、病人がいまわのきわに水を求めることと深い関係があるのでしょう。 お釈迦様もお亡くなりになる間際に、しきりに水を望まれ、阿難尊者が水を汲みに行くのですが、車が通った後で濁っているため、なかなかお釈迦様に差し上げられません。 三度目にやっと清く澄んだ水を汲むことができ、お釈迦様はその水を美味しそうにお飲みになったと経典に記されています。 ご参考までに・・・。

枕元に一本華をかざるのはなぜですか?

枕元に一本華をかざるのはなぜですか?

水と一緒に亡骸のところに供える「一本樒」には、次のような由来があります。 クシナガラでお釈迦様がお亡くなりになったとき、お弟子の大迦葉尊者はお釈迦様の後を追って旅の途中でした。 道のかたわらの樹のたもとで休んでいると、一人の人が曼荼羅の華を持って歩いてきました。 大迦葉尊者がお釈迦様の所在を尋ねると、「今日より七日前に釈迦はこの世を去られた。 だからこの華を持っているのだ」と告げられました。 お釈迦様が入滅されたことを知った大迦葉尊者は、急いでクシナガラに駆けつけました。 それまでお釈迦様の遺体を火葬するため香木の薪に火をつけようとしたのですが、どうしても火をともすことができませんでした。 そこに大迦葉尊者が到着し、お釈迦様に合掌・礼拝したところ、はじめて薪に火をともすことができたと経典は伝えています。 お釈迦様は大迦葉尊者が来るのを待っておられたのでしょう。 大迦葉尊者にお釈迦様の入滅を告げた人の持っていた一本の華から、まず死者の枕元にかざる華を「一本華」あるいは「一本樒」といい、一本の樒を供えます。 樒はインドの青蓮華に似ているからだといわれています。 ご参考までに・・・。

鬼のような怖い顔をした仏像があるのはなぜですか?

鬼のような怖い顔をした仏像があるのはなぜですか?

ふつう仏様は仏様みたいな顔というと、穏やかな温かみのある、それでいてどこか威厳のあるいいお顔を思い浮かべますが、仏様の中には、ご質問のように怖ろしいお顔の方もいらっしゃいます。 お不動様や愛染明王・馬頭観音様などがその代表ですが、これらの仏様達は厳密にいうと仏様ではなく、不動明王・愛染明王と○○明王とか○○神将などと呼ばれている方で、仏教や仏教者を守護する神様です。 穏やかに話すばかりではなく、相手や、時と場合によっては声も大きく荒げ、拳を振り上げたり、怖ろしい顔で睨みつけたりしなければならない時があります。 明王とか○○神とか呼ばれている方達は、御主人である如来の使者となって、普通の方法では導けない者に対して、強い態度でもって仏様の教えに導いたり、または外敵を防ぐガードマンの役目をしておられるので怖いお顔をなさっているのです。 しかし、これら明王や神将達は、一見怖ろしいお顔をなさっていますが、よく見るとそのお顔は“いつまでもそんなことをしていないで、早くすばらしい仏様の教えに従うのだ。 もっとしっかりしろ!”と、心の底で涙を拭って叫んでおられるので、怖ろしさの中にも温かみが感じられます。 願いをきいて下さるのも仏様ならば、願いを聞いてくださらないのも仏様の慈悲です。 微笑み、温かく包んで下さるのも仏様ならば、睨みつけ、叱り飛ばすのも仏様の真のお姿ということなのです。 ご参考までに・・・。

曼荼羅とはなんですか?

曼荼羅とはなんですか?

曼荼羅は、インドの言葉「マンダラ」をそのまま漢字の音にあてはめているもので、文字そのものには特別な意味があるわけではありません。 花びらを集めて、丸く輪を作ったものを、インドでマンダラといっていたようで、「あつまり」という意味があります。 この「あつまり」という言葉の本来の意味と別に「本当のものをもつ」という意味もあり、仏教でいう「本当のものをもつもの」とは仏の悟りであるところから、「仏の悟りの境地」という意味になりました。 さらに発展して「仏が集まっているところ『壇』」、そして「あらゆるものが集まり備わっているもの『輪廻具足』」という意味の言葉になりました。  ですから、曼荼羅は仏の悟りの境地であり、またあらゆる仏様が集まっておられるところということです。 そして、私達もそのマンダラの世界の一つになりたいという願いから、ご本尊として拝むわけです。 曼荼羅は、文字であらわされた日蓮宗のものや、真言宗など密教においてもことに大切にされ、仏様のお姿を絵に描いたものや、仏様の徳をあらわした文字「種子しゅうじ」であらわされた種子曼荼羅、あるいは仏様の象徴である三昧耶さんまやで描かれた三昧耶曼荼羅などがあります。 ご参考までに・・・。

お寺の印が卍なのはなぜですか?

お寺の印が卍なのはなぜですか?

地図を見たらお寺のところにには卍の印が書かれています。 また、お寺の門などにも卍を紋にして使っているところもあります。 この印は「まんじ」といって、おめでたい吉祥の記号です。 インドの古代の神・ウ゛ィシュヌ神の胸にある旋毛を図象化したものとか、太陽が光を放っている有様を象形化したものとかいわれていますが、仏教ではこの卍は仏様を象徴するものの一つです。 仏様には三十二の優れた身体の特徴(三十二相)がかぞえられていますが、その中で胸や手足・頭の毛が右回りに巻いていることがあげられています。 インドの古代からの伝統にしたがって、やはり仏教でもこの右にめぐっている旋毛を象形化した卍字でもって、仏様をあらわす印として用い、おめでたい吉祥の福徳相の印とされるようになりました。 お寺にある卍を見て、「なぜ、ドイツナチの印があるのか」といぶかる外国の方がいらっしゃるようですが、ドイツナチの鉤十時(ハーケンクロイツ)は左回りなので、まったく仏教とは関係ありません。 ちなみにインドでは右ということを大変に尊び、仏様もすべて右巻きなので、その反対の左巻きがつむじ曲がりという悪口になってしまいました。 ご参考までに・・・。

「仏の顔も三度まで」とは、どういう意味ですか?

「仏の顔も三度まで」とは、どういう意味ですか?

仏様のような温厚な人であっても、顔を逆なでするような無法なことを三度もされると、ついには腹を立てるという意味に使われていますが、この言葉の出典はお釈迦様の晩年に起こった悲しい話から出ています。 お釈迦様がおられたカピラ城の隣にコーサラ国という強大な国がありました。 この国王パセーナディが妃を釈迦族から迎えたいと思って、使者をカピラ城に出しました。 使者の口上の中にあった「もし不承知ならば力ずくでも」という一言に、釈迦族は憤慨しましたが、コーサラ国はとても相手にできる国ではないので、ある長者が下女に産ませた娘を長者の娘としてパセーナディ王に嫁がせました。 妃は、王子ビドゥーダバを産みました。 王子が八歳になった時、弓術を学ぶためにカピラ城に留学させられました。 新しくできた講堂でビドゥーダバが修行をしているのを見て、釈迦族の人々は「下女の子をなぜここに入れたのか」と言って、王子の帰国後、彼のいた場所の床を削り、その下の土を七尺も掘って清浄な土と入れ換えました。  このことを聞いたビドゥーダバは身を震わせて怒り、お付きのバラモンに「もし自分が王位についたら『釈迦族に辱められたことを思い出せ』と一日に一回必ず私に言い聞かせよ」と命じました。 父王パセーナディが死んで、王子が王位を継いだ時、バラモンは命令どおり実行しました。  ビドゥーダバ王は、軍を率いてカピラ城へと向かいました。 これを聞かれたお釈迦様は、やがてカピラ城へ通ずる街道にある一本の枯れたチークの木の下で端座されました。 その前を通りかかった王は、お釈迦様を礼拝してから「ほかに繁った木があるのになぜ枯れた木の下にお座りですか?」とお尋ねすると、「王よ、親族の蔭は涼しいものだ」というお答えでした。(チーク樹は釈迦族発祥に関係していて、いわゆる親族の象徴的なもの) 王はお釈迦様が釈迦族出身であることと、「遠征のとき沙門に会ったなら兵を返せ」という言い伝えを思い出して、その場から兵を引き揚げさせました。 しかし、王はまもなくかつてのことを思い出し、耐え切れなくなり兵を出しました。 すると、またお釈迦様が枯木の下で座っておられたので、王はまた兵を返しました。 同じことが三度あったのですが、四度目にはお釈迦様の姿は見えませんでした。 お弟子の目連が神通力でカピラ城を救おうとしたのですが、「釈迦族の積んだ業の報いは、自ら受けるより仕方がない」とお釈迦様はおとどめになりました。 お釈迦様は三度目まではかつての故郷、親族の人々の為に滅亡から救おうと努力されたのですが、四度目には因果応報の理にまかせられたのです。 この為、釈迦族はビドゥーダバ王の為に滅亡しましたが、王もまた帰国後、舟遊びの時に突風が起こって兵と共に水没したということです。 これは『増一阿含経』二六・「瑠璃王経」に出てくる話ですが、悲しい話の中にも、人としてのお釈迦様の情を偲ばせる一面があるように思います。 ご参考までに・・・。

仏像の後ろにある光背には、どんな意味があるのですか?

仏像の後ろにある光背には、どんな意味があるのですか?

切羽詰った時に助けてくれた人のことを、「後光がさすようだ」という言葉を使い感謝された経験をされたことのある方も多いと思います。 このように、その人の徳の大きさに眩しいような輝きを感じる時、“後光がさす”と表現するように、仏様の後ろの丸いものは仏様のお徳の輝きを表しているもので、「光背」といいます。 また、光が闇を照らして闇を滅するように、仏様の智慧は無知や迷いを亡ぼすところから光に例えられています。 光明には智光(智慧の輝き)と、身光(外に光となってあらわれる徳の輝き)とがありますが、この光明を形に表現したものが「光背」です。  光背は、仏様の頭の後ろにある円型のものと、身のまわりの形をしたものと二つが組み合わさって一つの光背の形をつくっているのですが、これは智光と身光とをそれぞれ表しているのです。 キリスト教の画にも、キリストや天使の頭の後ろに丸い輪が描かれていますが、これは仏像の光背と同じ意味のもので、東西期せずして同じように表されているのは不思議なものです。 光背の型には、円型・輪型・放射型・宝珠型・船型などの型をしたものがあり、その文様や内容も天人が舞い飛んでいる飛天・あるいは小さな仏様が並んでいる千仏・唐草模様・雲形・火焔の形・輪形のものなどがあります。 同じような背丈の人でも、人によって大きく見えたり小さく見えたりしたことはありませんか? 俗に、貫禄があるとか押し出しがいいとか言ったりしますが、それがその人自身が持っているその人の「光背」と言えるものです。 それぞれが持っている「光背」が少しでも大きくなるよう、また輪郭がはっきりとするよう、日頃からの行いや心がけに気をつけ、努力したいものです。 ご参考までに・・・。

仏像の額に光っているものは何ですか?

仏像の額に光っているものは何ですか?

眉間白毫相みけんびゃくごうそうといって、仏様に備わるという優れた三十二の相の一つを表したものです。 眉間にあって、白い旋毛が右にまわっていて、そこから光明を放つといわれているもので、仏像には水晶あるいはルビーなどをはめて、その相を表しています。 『法華経』の第一章にあたる序品は、仏様が大勢の比丘や菩薩たちに囲まれて「無量義処三昧」という瞑想に入られてのち、仏様の眉間の白毫から光が放たれて、東方の一万八千の仏国土が照らし出されたというところから始まっています。 眉間白毫の話としては、この『法華経』が一番象徴的です。 白毫の光明は、仏様の智慧を表します。 光が闇を照らしてそこに全てのものを明らかにするように、仏様の智慧は全てを照覧します。 仏教では東方は過去を表します。 東方一万八千の仏国土を照らすということは、これから説き出される『法華経』は、それ以前に説かれた教えの上にたち、それらを超えた立場で説かれるのだということを象徴的に表しているのです。 私達も考え事をする時に、無意識に額に手をあて、眉間にしわをよせます。 物事を念ずるときも、額に神経を集中させています。 これは人間の脳の前頭葉に関係してくるのですが、そのことは略すとして、私達でもおぼろげながら、額の中心にある白毫が、智慧と関係しているということがわかります。 白毫がないまでも、額の綺麗な人は、仏様の三十二相の一つに近い相を持った人かもしれません。 お互い、額に輝きが出るように努めましょう。 ご参考までに・・・。

「因縁」や「縁起」というのはどういう意味ですか?

「因縁」や「縁起」というのはどういう意味ですか?

因縁は因と縁のことで、因は原因、縁は条件ということです。 草花の種子を例えに考えてみると、種子がそのまま花を咲かせるのではなく、土に蒔いて水をやり、肥料を与え、適度に日光が当たって初めて芽を出し、葉がしげって花が咲くわけです。 そしてその花からまた実ができて種子となるわけです。 この草花の種子が因です。 そして土や水・肥料・日光などが縁です。 そのほか枯れないよう、虫が芽を食べないように手入れをしたりするのも条件=縁です。 花が咲いて種子が実る、その種子が果<結果>なのです。 このうち縁となっている水・土など一つでも欠けては果の種子は得られません。 ですから、ものごとの因となるものと同様、それ以上に条件である縁が大切なのです。  縁起は、因縁生起いんねんしょうきの略で、他との関係が縁となって果<結果>がおこるという仏様の教えの基本の考えですが、いずれにしても原因が結果を産み出す時、縁がその大事な要素であり、その縁=条件いかんによっては、どんな果にもなるということです。 ものごとは、一つの条件だけではなく、色々な関係に結ばれている縁によって成り立っているのですが、それはちょうど鵜匠の手綱さばきのように、そのさばき手は私達自身の手の中にあるのです。 よく縁起が良いとか悪いとかいいますが、その縁起を良くするか悪くするかの縁は私達自身が決めるのです。 他に求めてはいけないのではないでしょうか? ご参考までに・・・。

「清めの塩」をふりかけるのは何故ですか?

「清めの塩」をふりかけるのは何故ですか?

  通夜とか葬儀に参列したときに頂く挨拶状の片隅に「清めの塩」と印刷された小さな袋が挟み込まれています。 これは、家に入るときにこの塩で清めてお入り下さいという意味なのでしょう。 昔から塩にはものを浄める力があると考えられてきました。 昔の人は、塩をきかせたものは腐らないとか、海で怪我をしても傷が膿まないなどという経験から、塩にはものを浄める力があると信じてきました。 相撲取りが土俵に上がるとき必ず塩をまくのは、土俵を浄めるということから行われています。 人が死ぬということに対して、古来より日本人は“穢れ”と受け止めてきました。 これは仏教の考え方ではまく、神道の考え方です。 ですから、穢れの式である葬儀に参列した人はやはり穢れているというので、古くは穢れをとるために海水に浸ったり、川の水に入って水垢離をとり“禊ぎ”をしました。 この“禊ぎ”をする代わりに、塩をふりかけ、塩をつけて手を洗って「お清め」をするのですが、仏教では死を穢れとは考えませんから、その必要はないのです。 ご参考までに・・・。

火葬場へ行く時と帰る時の道順を変えるのは何故ですか?

火葬場へ行く時と帰る時の道順を変えるのは何故ですか?

  火葬場へ行く時と、お骨あげをして火葬場から帰る時は、少し道順を変えるのが一般の習慣になっています。 これは、亡くなった人が再びこの世に戻ってこられないようにするためですが、これは仏教の考え方ではなく、古来からの神道に関連してくることで、死の穢れが再び帰ってこないように、また、生きている自分達に死の迎えがこないようにという「死に対する穢れと怖れの考え方から出てきたもの」といわれています。 つい先程まで死者との別れを悲しんでいた者の涙の乾くいとまもなく、死者が再びこの世に帰ってこないようにという行動をとるのは矛盾しているように感じられますが、そこには生物としての人間の本音があらわれているようにも思われます。 つまり、亡くなられた人に対する哀情の情は深いのですが、死は怖ろしいということでしょう。 ご参考までに・・・。

仏教では、なぜ蓮の花を大切にするのですか?

仏教では、なぜ蓮の花を大切にするのですか?

みごとに咲いている蓮の花の美しさは、葉といい花といい清々とした感じがします。 この蓮の花は、清らかな水の流れでなく、よどんだ泥沼のようなところに花を咲かせます。 泥の中に育ちながら、それに汚されず清らかに咲く蓮の花は、泥沼のような世の中でそれに染まりそうな私達にとって、蓮の花のように清らかでありたいと願う“願い”の象徴として、インドで古くから大切にされてきたのです。 また、蓮の花の中には、すでに蓮の実の形ができているところから、私達の中にも将来は必ず仏さまになれる“種子”が備わっているのだということを、象徴的にあらわしたものとして受け取られてきました。 このように、仏さまの教えの象徴として蓮の花が用いられてきたことから、仏さまがお座りになる台(蓮華台)や、仏さまの世界(浄土)に咲く花として蓮華が描かれるようになったのです。 『法華経』という経典は、『妙法蓮華経』とあるように、仏さまの教えは蓮華のごとき教えであるというところからつけられており、日蓮聖人のお名前も日輪(太陽)のごとく世の中を照らし、蓮華のように汚れに染まらず清くありたいということから、ご自身でおつけになられたのです。 みにくい社会の中のあっても、いつも願いを持って清々とした人間になりたいものです。 ご参考までに・・・。

お盆に提灯をかざるのはなぜですか?

お盆に提灯をかざるのはなぜですか?

もともと提灯は、火を保護するための道具で、提灯をかざるのはお灯明を供えるという意味です。 仏教では、仏様の智慧を“光”で象徴しています。 そこで仏様にお灯明を捧げてご供養するということが行われてきました。 真心を込めてご供養したものは尊いということを表す言葉の「貧者の一灯」という話も、この仏様のお灯明にまつわる故事です。 お灯明は、風に吹かれると消えやすいので、はじめは周りを囲った灯籠が考え出されました。 やがてこれが吊り灯籠となり、室町時代頃からは持ち運びができる枠に紙を貼った「提灯」がつくられ、江戸時代になって今のような折りたたみの提灯がつくられるようになりました。 はじめは白張提灯だったのですが、やがて草花などの絵を描いた岐阜提灯ができ、装飾的な要素も加わって今日のような夏の風物詩を彩る盆提灯となっていったのです。 お祭のときに軒先に吊るす御神灯や、お寺の門前の大提灯、葬儀のときにかかげる提灯などとあわせて考えてみると、お盆の提灯は仏様に捧げるお灯明ということがわかっていただけると思います。 お盆にお墓の前でおがらをたいて、その火を提灯にうつし、それを持って家までご先祖様を案内すると、一方では家の門前で迎え火をたいて、その火を提灯にうつして軒先に吊るしてご先祖様の目印にして家の者がお迎えするといったお盆の迎え火の行事は、心あらたまる風習です。 新盆の家は白張提灯をかざりますが、親戚中からたくさんの白張提灯を頂いてもその年かぎりになってしまいますので、話し合って岐阜提灯をおくるようにしたほうがよいでしょう。 ご参考までに・・・。

お墓はいつ建てたらいいのですか?

お墓はいつ建てたらいいのですか?

お墓はいつお建てになっても結構です。 「お墓を建てると亡くなる人が出る」などという俗信はありますが、気にすることはないと思います。 元気な時にお墓を建てることは、ご自分の将来の安住のすみかをつくることですから、縁起が悪いはずがありません。 むしろ、自分の目で自分のつ終のすみかを確かめらて安心できるのではないでしょうか。 また、ご先祖様のお墓がすでに建てられていても、石の性質によっては傷みができて建て替えたほうがよい場合もあります。 この場合でも、ご先祖様にとっては住宅を新しくして差し上げるのですから、ご先祖様もきっと喜んでくださるはずです。 ですから、お墓を建て替えるのはいつでもよいわけですが、何事も一つのきっかけが必要ですから、ご先祖様の年忌のときや、お彼岸やお盆を一つの目安にして建て替えられるとよいと思います。 この時は、ご住職にお願いして今までの墓石の“お魂抜き”のお経をあげていただき、新しく建て替えがすんだら今度は“お魂入れ”のご供養をしていただきましょう。 今までの墓石は“お魂抜き”のご供養をしていただいているのでどう処分してもよいようですが、墓碑や竿石など今までお詣りしてきた墓石は、できれば土中などに埋めずお寺様にお願いして無縁塔のところにでも置いていただくようにしましょう。 もし、不幸がおこって新たにお墓をつくるときは、一周忌を目安に建立する場合が多いようです。 この一周忌を目安にする理由について、一つには昔は土葬でしたので、新しく掘りおこした土が落ち着くのを待って墓石を建てないと、土台が沈下して墓石が傾いたりする恐れがあるのである一定期間をおいて盛土が落ち着いてから建てたほうがよいというわけです。 もう一つの理由は、葬儀などで物入りが続いたすぐ後で、さらに墓石を建てるということは大きな負担になるので、少しでもその負担を軽くしようとした昔の人の知恵です。 現在では、ほとんど火葬にしたあと骨壷に納めますので、あまり深くは掘りませんから長期間おくことは必要ないと思います。 都会では墓地の大きさも制限されていますので、できれば骨壷を納める唐櫃(かろうと)をつくり、その上に墓石を建てればよいと思います。  このとき、もし一時に墓石と唐櫃(かろうと)をつくることで負担が大きければ、はじめに唐櫃(かろうと)だけをつくって納骨しておき、後日、墓石を建てるようにしたらよいと思います。 このときは、唐櫃(かろうと)のところに木の墓標を建てるようにします。 墓石も分相応というのがあって、無理をしてまで大きなお墓をつくる必要はありません。  ご参考までに・・・。

枕元に刃物を置いたり、屏風を逆さまにするのはなぜですか?

枕元に刃物を置いたり、屏風を逆さまにするのはなぜですか?

最近、死亡の認定を心臓が止まったときとするか、脳死のときとするかが大きな問題となっていますが、昔の人は仮死状態と死とを今のように科学的に判別することができませんでしたから、息を引き取ってある時間を経過してから死と認めていました。 人間には霊魂があって、霊魂が肉体を離れたときに仮死状態となり、そのまま帰ってこなければ死となるわけです。 したがって、息を引き取ったあとでもすぐに死んだものとはせず、なんらかの方法で魂を呼び戻し、蘇生させようとしました。 枕元で大声で呼びかけるのも、近親の者が口に水を含ませる「死水」も、魂を呼び戻すための手段でありました。  また、ふだん愛着を持っていた着物を遺体にかけるのも、着物についている“念”を利用して魂を呼び戻そうとするためだといわれています。 野辺送りのとき、棺に着物をかけるのはその着物によって亡き人の魂を墓地まで導いていくという意味だそうですが、現在は告別式のあと、葬儀社の人が金襴の布で棺を覆って霊柩車に運んでしまいますが、これでは魂を呼ぶという意味がなくなってしまうといえましょう。  戦前にはお棺に白布(裕福な家は羽二重・一般的には晒)を巻き、その布の端を近親の人が持って墓地まで送っていったようですが、これは「善の綱」といって、亡くなられた人との結びつきを表すものであるといわれています。 遺体を白布で巻くことについては、お釈迦様がお亡くなりになったときも、その遺体を十重・二十重・五百重の白布で巻いて柩に納めたということが経典に記されていますし、現在でもインドでは、遺体を運ぶときは白布で巻き、竹の担架に乗せて担いでいきます。  遺体のまわりに屏風を立て、枕元に刃物を置くのは、遺骸に他の邪霊や悪霊が入り込むことを防ぐためだといわれています。 いったん息を引き取っても再び魂が戻ってくるようにと「魂よばい」をするわけですから、このとき他の霊に入り込まれては困るわけです。 とくに、非業の死を遂げたり、祀りや供養をしてもらえない霊は、祖霊とも融合できず、いつもうろうろしていて隙があれば魂の抜ける遺骸に乗り移って霊肉そろった人間に戻ろうとしているといわれています。 この迷っている魂が、現実の動物の姿となったものが猫だといわれています。 愛猫家にとっては聞き捨てならない話ですが、ここから猫は魔性のものとされ、とくに不幸のときなどは遠ざけられます。 猫が遺骸の胸の上を飛び越えたりすると、猫魂が遺骸の中に入り込んでしまうということから、猫を近づけないために屏風を立てるというわけです。 また、枕元に刃物を置いたり、埋葬した土の上に鎌をたてるという風習も、猫を近づけないためだといわれています。 しかし、枕元に刃物を置くのは武士が枕元に守刀を置いたことからはじまったという説もあります。  屏風を逆さまにしたり、着物を左前に着せたり、全て日常と逆にするのは、死は平常なことではない、異常のことであることを示すためだといわれています。 しかし、わざわざ屏風を逆さまにし、着物を左前にしてまで死を異常のこととして悲しむ気持ちはよくわかるのですが、実は生を平常のこと、死を異常のことと分けるところから人間の全ての苦しみも始まっているのです。 何もかも、逆さまにしてしまいたいほどの悲しみを契機として、誰もが避けがたいこの悲しみを乗り越える道を求めていきたいものです。 ご参考までに・・・。

なぜ「精進落とし」というのですか?

なぜ「精進落とし」というのですか?

お葬式が終わった後、参列して下さった方々にご供養することを「精進落とし」といいます。 最近では、通夜・葬儀のご供養のときにでも、肉や刺身などを出している例をよく見かけるようになりましたが、以前は魚や肉類なだ一切の生臭物を嫌って、すべて野菜類をもって料理した「精進料理」でした。 これは、亡くなられた方のためにそれ以上の殺生の戒を犯させないようにしようという心配りから行われていたものです。 生臭物を食べないというこの忌中の生活から、生臭物を食べて日常の生活にもどるための食事を「精進おとし」「精進上げ」といいます。 したがって、忌に服していた生活から元の日常生活にもどす区切りの大事な意味をもっているものなのですが、最近は初めから生臭物を食べてしまっているので、「精進落とし」の意味も薄れてきてしまいました。 一つのけじめであった「精進落とし」が、単なる普通の会食と同じになってしまったことによって、何か一つの大きなものをなくしているように感じられます。 昔は葬儀のときばかりでなく、ご先祖のご命日の日には生臭物を口にしないようにと心掛けて精進料理で過ごしていました。 この「思いやる心」が大事なことで、子供のころから自然と日常生活の中で培われていったものでした。 ご参考までに・・・。

お墓にしきみをお供えするのはなぜですか?

お墓にしきみをお供えするのはなぜですか?

しきみは仏様にお供えしますが、それはしきみの葉の形がインドの「無熱池」の青蓮華に似ているからだと伝えられています。 「無熱池」というのは、岸が金・銀・瑠璃・玻璃の四つの宝でできており、いつも冷たい清らかな水が湧き出し、その水が流れ出て全世界を潤すのだという、想像上の池ですから、そこに咲く青蓮華は理想郷の花というわけです。 この理想郷の花に似たしきみも、現実には有毒植物で、ことに実には毒が多い木です。 それがなぜ墓地に植えられたり、あるいはむかしお棺の中につめられたかというと、このしきみの臭いをオオカミや野犬が嫌うことから、土葬にした遺体を守るために使われたのだといわれています。 このしきみが日本に伝えられたのは、天平時代に奈良唐招提寺をひらいた中国の高僧・鑑真和尚がその実を持ってきたときからだと言われていますから、ずいぶん昔からインド・中国で用いられてきたわけです。 ご参考までに・・・。

「香典」にはどんな意味があるのですか?

「香典」にはどんな意味があるのですか?

お葬式や法事に参列する時、亡くなられた方のご霊前にお供えする金品のことを「香奠」または「香資」「香典」といいます。 「香奠」の「奠」は、すすめること・供えることを意味する語ですから、香を供えることを意味しています。 また「香典」の「典」は、物を買い取るという意味があるので、「香典」は香を買うお金として差し上げるという意味になりますから、「香奠」と「香典」とはその意味するところが異なっているのですが、現在では、香を買ってお供えくださいという意味で同じように用いられています。 亡くなられた方にお供えする物やお金を「香奠」というように、「香」が出てくるのは仏様を供養するのに六種の供養があるとして、『真俗仏事編』に華・塗香・水・焼香・飲食・燈明の六つをあげているうちの香供養からきています。 また、『法華経』の提婆品のなかにも「雑華・抹香・焼香・塗香・衣服・瓔珞・幢幡・宝蓋・伎楽・歌頌をもって、七宝の妙塔を礼拝し供養せん」と、香供養のことが説かれています。  香はもともと、仏様を敬いなぐさめる意味と、浄める意味と、香をたく煙が立ちのぼっていく煙にのせて仏様を送り迎えする意味とが含まれているので、これらのことから「香」を供えるということが重くみられるようになりました。 お葬式や法事に参列される時は、黒白か金銀の水引きをかけた包み紙に、上段の中央に「香奠」・「香資」・「御香料」と薄墨で書き、下段には名前を書きます。 この時、姓だけでなく、住所と姓・名を書くようにしましょう。 ご参考までに・・・。

「薬石効なく」って、どういう意味ですか?

「薬石効なく」って、どういう意味ですか?

長患いの後、その療養や家族の手厚い看護のかいもなく亡くなられたときに、よく「何某、薬石効なく・・・云々」と書かれていますが、薬石とは禅宗からでた言葉です。 仏教集団において、ことに現在でも南方仏教など、戒律を重んじている小乗教団においては、食事は十二時以降はしてはいけないことになっています。 ご承知のとおり、インドなど暑い国では色々の食べ物が混ざっていて腐敗しやすいので、午後までとっておいた食事は口にしてはいけないという衛生上から出た戒であり、またつねに満腹にしていては勉学修行が満足にできないということから、この定めが決められたのです。 この伝統がインドから中国に伝わってきて仏教教団の戒律となっていたのですが、中国においては正午までの食事を認めるものの、実際の日常生活においては午後から夕刻・晩にかけての修行、作務などを行っていく関係上、夕食を認めざるをえなくなってきました。 あくまでも表面上は正午以後の食事は戒律上認められないので、薬石(くすり)として夕食を食べていたのです。 禅宗の『黄檗清規』に、「薬石は晩食なり。 比丘・午を過ぐれば食せず。 故に晩食を薬石と名づけ、飢渇の病を療ぜんがためなり。」とあるのは、このことを指しています。 はじめに、晩は食事をしないことになっていたので、そのかわりにお腹に温かい石を抱いて飢えをしのぎ、身体を温めていました。 この石が薬石です。 後になって、お粥をたべるようになったのですが、この夕食のことを薬石と呼んで「飢渇の病」を癒していたものです。 現在では薬石は一般に薬剤の意味に用いられていますが、もともとは仏教用語からでたものなのです。 ご参考までに・・・。

喪中とはいつまでの期間をいうのですか?

喪中とはいつまでの期間をいうのですか?

身近な肉親や縁故の方が亡くなるということは、本当に悲しいことで、当分の間なにごとも手につかないという状態です。 故人の冥福を祈るとともに、死の忌みのために喪屋にこもって日常生活から遠ざかって生活をするという風習から、忌服ということがいわれています。 忌とは身を慎むという意味で、服は喪服をつけていることをいいます。 しかし、現在の私達の生活では一定の期間中ずっと喪服を着て暮らすことは難しいですが、その心をもって生活をするのは当然のことでしょう。   この忌服の期間を「喪中」あるいは「服喪中」といい、この間はお祝いごとや華やかな催しごとは避けるようにします。 忌服の期間は縁故の関係の濃さによって違いますが、一般的には同居していた肉親・兄弟の場合は一年とされています。  また、伯叔父母・従弟姉妹の場合は三ヶ月を喪中として、この間に正月が当たるときには「年賀欠礼」の通知を十二月のはじめに出しておかれるとよいでしょう。 その場合は「○月○日叔父○○」というように、誰のためということを書き添えておくことが親切だと思います。 故人 忌 服 父・母 五十日 十三ヶ月 夫 三十日 十三ヶ月 妻 二十日 九十日 子 二十日 九十日 兄弟姉妹 二十日 九十日 祖父母 三十日 百五十日 伯叔父母 二十日 九十日 従弟姉妹 三日 七日 孫・甥姪 三日 七日 ご参考までに・・・。

お通夜のいわれを教えて下さい。

お通夜のいわれを教えて下さい。

インドのクシナガラでお釈迦様がお亡くなりになられたとき、お弟子さんたちはお釈迦様が生前お説きになっていた教えをお互いに想い返しながら話し合いました。 同じような教えを聞いていても、その人の受け取り方によっては、その教えの内容が異なってきます。 あるいは聞き間違えることもあります。 お互いにお釈迦様からお聞きしたことを話し合っていくうちに、それぞれの思い違いにも気がつき、また聞き逃していたこともわかりました。 このように、お釈迦様の教えについて語り明かしたのが通夜のはじまりです。 親しくしていた人々が急を聞いて駆けつけ、亡き人の想い出を語り、その人柄を偲んで冥福を祈るというのが通夜の心です。 親戚や親しい人々が集まり、それぞれの想い出を語り合うと共に、できれば亡き人のためにたとえ一行か二行ずつでもいいですから、冥福を祈ってお写経をしてあげたらよいと思います。 どんなに良い供養になるかわかりません。 最近の通夜は、葬儀の告別式と同じように読経中、お焼香に来られた方から挨拶を受けるような形式になってきていますが、本来通夜は親しい人々がとるものもとりあえず集まり、亡き人を偲ぶための法要ですから、遺族はもちろんのこと弔問に来られた方々がみんなで法要の席に参列し、共に読経し冥福を祈るものなのです。 したがって、法要のときに座る座配は、お導師を中心にしてその後方に祭壇に向かって座ります。 このとき、祭壇に向かって右側が喪主をはじめ遺族・親族など近親者が座り、左側に葬儀委員長・世話人・一般の知人・友人・会社の関係者などが座ります。 通夜の法要が終わりましたら、参列の方々をご供養の席にご案内します。 この席はあまり豪華なものは必要なく、盛り合わせで清めのお酒をすすめる程度でよいと思います。 通夜の席はだいたい二時間ぐらいを目安にして、世話人の人が喪主と同道してご供養の席でお礼の挨拶をして、弔問の人々が帰るきっかけをつくってあげるようにされるとよいでしょう。 また、受付や台所などで働いて下さった方々には、ゆっくりしていただく時間や場所のゆとりがないでしょうが、お料理やお酒などが不足しないように喪主の方が気をつけましょう。 なお弔問客が帰られた後、喪家の人々が二人ずつ交替でお灯明やお線香を絶やさないように気をつけて夜明かしするのが従来のしきたりでしたが、最近では翌日の葬儀のためになるべく身体を休めるようになりました。  ご参考までに・・・。

ダルマさんはなぜ縁起がいいのですか?

ダルマさんはなぜ縁起がいいのですか?

年の暮れの酉の市の「くま手」とともに、お正月の縁起物の市として、ダルマさんの市がテレビなどの話題に取り上げられたり、選挙の時に目無しのダルマに片目を入れる風景などで、ダルマさんは縁起の良いものとして扱われていますが、これは底を重くして倒れても自然に起き上がるように工夫されている「起き上がり小法師」の玩具として作られはじめた江戸時代中期頃からです。 また、ダルマさんが赤く塗られているのは、子供の疱瘡除けのおまじないとされています。 ダルマさんの姿は、インドから中国に仏教ことに座禅を伝えた達磨大師の「面壁九年」にちなんで、その座禅している姿をうつしたものです。 ダルマさんは、菩提達磨といって、南インドの香至国(あるいは波斯国)の第三王子でした。 はじめは大乗仏教を学んでおり、世事内外にも通じていて、ことに禅定に優れていました。  彼は、仏教が辺境の地に伝わっていないのを悲しんで、山海をわたって中国の南越(海南島付近)につき、さらに北魏に赴いています。 梁の武帝に招かれて禅を説いたのですが理解が得られず、嵩山の少林寺にこもり、そこで壁に向かって座禅すること九年に及んだといいます。 禅家の語録には、達磨大師と梁の武帝との有名な問答が伝えられています。 武帝に招かれた達磨大師が、武帝から「自分は多くの寺院を建て、お坊さん達を供養しているのだが、その功徳はどれほどだろうか」と問われたのに対し、言下に「無功徳」と返答しました。  かつて洛陽の都に赴いた時、永寧寺大塔を見て「私は今まで諸国を巡ってきたが、このような素晴らしい塔を見たことはない」と言って、口に「南無」と唱えて合掌すること連日に及んだという達磨大師だったのですが、梁の武帝の自らの業績を誇る慢心に対してはぴしゃりとやったのです。 達磨大師が一言のもとに「無功徳」(功徳なんてありはしない)と言ったのは、武帝の慢心をいさめた慈悲の言葉です。 良い事をしてもそれは他人が認めて褒めることであって、それを自分で誇ったのでは何にもならないことなのです。 ところが驕り高ぶっている武帝には達磨大師の心は解りません。 ついにせっかく招いた達磨大師を追い出してしまいました。 私達は、この武帝のことを愚かだと笑うことはできません。 私達の心の中にも、何か少しでも良い事をしたと思った時にはそれを他人に話してみたくなりますし、誇ってみたくもなります。 他人がその事に触れようとしない時は、さも自分は謙遜しているような口ぶりで、逆に自慢したりします。 良い事をしたというのは、その時すでにその功徳(陰徳)を自分の身の内に積ませてもらっているのですから、あえてそれを明らかにする事は必要ないはずなのです。 縁起物のダルマさんに目が入ったといってぬか喜びするよりも、ダルマさんの「無功徳」という無言の叱正をいつも思い出すほうがどれほどか「功徳」」があるのではないでしょうか? ご参考までに・・・。

お経はどのようにしてできたのですか?

お経はどのようにしてできたのですか?

お経は、お釈迦様の教えを文字にしたものです。 お釈迦様は、悟りをひらかれてから八十一歳でお亡くなりになるまで約五十年間、多くの人々に対して教えを説かれました。 その人に応じて、また時に応じて教えを説かれたのですが、当時はお弟子達がみんな口伝えで伝えていました。  お釈迦様のご入滅後すぐ、後世に誤って伝えられないようにと、お弟子達が集まって、お釈迦様の説かれたものを編集しました。 これを結集 けつじゅうといいます。    まず、常にそばに仕えていた阿難尊者が、「このように私は聞きました(如是我聞にょぜがもん)」と、自分の記憶していた言葉を唱え、それを全員が承認したものが今日お経として伝えられているものです。 そのため、だいたいのお経は「如是我聞」ではじまっています。 このようにして何回もの結集が行われ、後になって文字に書き写されることになったのです。 教えを説かれた「経」と、お互いに守るべき規律「律」と、それらを解釈したり、注釈を加えたりした「論」の三つが伝えられ、これら三つに精通した人を「三蔵法師さんぞうほつし」とよんでいます。 お釈迦様のこの教えを、現地の言葉(パーリー語)で伝え、スリランカ・タイ・ビルマなど南方に伝えられたものを「南伝大蔵経」といい、インド西北部から、中央アジア・中国に伝えられたものを「大乗経典」とよんでいます。 「法華経」をはじめ、日本に伝えられている各宗の経典は、だいたいこの大乗経典です。  お経はお釈迦様のお説法です。 ですから、誤って読んだりしてはいけないので、「読経」というようにお経本を見て一字一字正しく読むことが大切です。 日蓮聖人はお経に対する態度として「法華経を他のひと達が読まれるのは、口先ばかり、言葉のうえばかりで心から読まない。 心で読んでも法華経を信じ、実践することがない。 身にも心にも体得されることこそ尊い。」といっておられます。 ご参考までに・・・。

お坊様の呼び方を教えて下さい。

お坊様の呼び方を教えて下さい。

檀家の方が菩提寺の住職を呼ぶ場合は、宗派に関係なく「ご住職」「おしょうさん」と呼ぶのが一般的ですが、日蓮宗では「お上人」と呼ぶ場合も多いようです。 土地の習慣で「旦那」などと呼びならわしているところもありますが、「旦那」の語の意味は、インドの「ダーナ」からきたもので、施しをする人という意味があります。 確かにお坊様は「法施」という仏様の教えを施す(伝える)ということをしているわけで、「旦那」と呼ぶのは間違いだとは言い切れませんが、あまりふさわしい呼び方とはいえません。 「方丈」とは、一丈四方の室ということで、お坊様の長老や住持(職)の居住するところを指して言います。 一丈四方は四畳半ぐらいの大きさですが、現実にはこんな狭い住居ばかりではありません。 これは、大乗仏教のあり方を簡明に示している『維摩経』の主人公・維摩居士の居室が一丈四方であったところから、その名が生まれてきました。 そして、そこに住まっている人という意味で、住職のことを「方丈さん」と呼ぶようになりましたが、これは主に禅宗系のお坊様に使います。 「和尚」は、普通「おしょう」と読みますが、華厳宗・天台宗では「かしょう」、真言宗・律宗・法相宗では「わじょう」と読んで、「おしょう」は禅宗や浄土真宗です。 「和尚」は、親教師という意味の梵語からきた言葉で、大衆の師である高徳の僧という意味ですが、我が国でははじめお坊様の官名となって、朝廷から授けられました。 中国から渡ってきた有名な奈良・唐招提寺の鑑真に、孝謙天皇から「法務大和尚位」が授けられたのがはじまりで、後になって「法橋上人位」(律師)、「法眼和上位」(僧都)、「法印大和尚位」(僧正)の僧位三階が制定されました(貞観六年=八六四年)。 それ以後、高僧の尊称に使われ、ことにお弟子がお師匠さんを呼ぶ時に用いられています。 現在ではこれが一般に使われているのですが、禅宗や浄土宗系では、住職や僧侶として人々の指導にあたる人の法名に「和尚」「老和尚」「大和尚」の尊称をつけるようになっています。 「上人」は、やはり知徳に優れたお坊様への敬称なのですが、『増一阿含宗』には「人の世に処し、過あらばよく自ら改たむる者、これを上人と名づく」、また『大品般若経』に「一心に阿耨多羅三藐三菩提を行じて心散乱しない、これを上人と名づく」とあります。 仏の教えを求め一心に修行にはげみ、自らに厳しく謙虚であって、人々に尊敬される人を「上人」と呼ぶのです。 我が国では、空也上人が「上人」と呼ばれたはじまりとされていますが、空也上人は市聖とも言われていたように、とくに隠遁の高僧を称して上人と言っていました。 僧位三階で「法橋上人位」が設けられてからは、僧位として天皇から授けられることになり、徳川時代には仏法修行二十年以上に及ぶ者がその資格の対象となりました。 明治六年正月にはこの僧位の制が廃止されましたが、徳行の優れた高僧の尊称として今でも用いられているのです。 上人は日蓮宗・浄土宗・時宗で用いられています。 このほか真言宗では「僧正さん」「院家さん」という呼び方もされています。 ご参考までに・・・。

お盆とお施餓鬼は違うのですか?

お盆とお施餓鬼は違うのですか?

お盆(盂蘭盆会)に施餓鬼会をするところが多いので混同されがちですが、もともとこれらは別のものです。 お盆に色々なものを供養して七世の父母親族の冥福を祈るのに対して、お施餓鬼は、字のとおり餓鬼に施しをして寿命を延ばすためにするのです。 お釈迦様のお弟子に阿難尊者がいました。 ある時、阿難の前に口から火を吐いている餓鬼があらわれ、「お前の寿命はあと三日だけで、死んだら餓鬼になる。 もし助かりたければ、たくさんの餓鬼やバラモン、仙人に一人一石ずつ食べ物を施せ」と言いました。 阿難は、とてもそんなにたくさんの施しをすることができないので、お釈迦様におすがりすると、「この言葉を唱えて施しをすると、七石ずつ食べ物を施すことになる」と、呪文を教えられました。 それによって阿難は寿命を延ばして天寿をまっとうし、その後五十余年の間、お釈迦様にお仕えすることができたと伝えられています。  この話に基づいて施餓鬼会が行われるのですが、盂蘭盆会にも餓鬼が登場してくるので、両者が一緒にされるようになったのです。 ですから、施餓鬼会はお盆の時と限らず、いつでも行ってよいものです。 我々は「ひと」の生命を食べて生きている餓鬼です。 米・野菜・魚・肉など、皆それぞれの命を奪って生きているのです。 人間は生きているかぎり、他の生き物の生命によって生きていかなければならないのですから、その分だけ立派に生きなければ、無駄死をさせたことになります。 人間だからといって、勝手にむやみやたらと他の生命を奪っていいわけはありません。 「消費は美徳」とばかりに使い捨てが平気でまかりとおっている現代ですが、これはまさに他の生命を無駄にむさぼる餓鬼のなかの餓鬼の姿です。 ものを大事にするということは、ものの生命を十分に生かすということなのです。 施餓鬼は、まず他人の生命を救うことによって、自分の生命が生きるということです。 言い換えれば、まず「ひと」を大事にしなさいということです。 施す心は自分を養う心だということです。 ご参考までに・・・。

山盛りのご飯に箸を立てるのはなぜですか?

山盛りのご飯に箸を立てるのはなぜですか?

亡くなった方が生前使っていたご飯茶碗にご飯を山盛りにし、生前愛用していたお箸を真っ直ぐに立てて供えるのを「枕飯」といい、亡くなった方の枕元にすぐに団子を作って供えるのを「枕団子」といいます。 お団子は、お米を臼で挽いて作り、六つ盛ります。 一般的にこれは亡くなった方の冥土の旅のお弁当だといわれていますが、インドにおける「供餅祭」の風習が伝わっているともいわれています。 枕飯のついては、やはり親族の者が普段使う竃とは別に作った竃で炊き、炊いただけを親族が一人一人少しずつ盛り上げて「枕飯」を作ります。 この枕飯の由来について『大般涅槃経』に「東方の意楽美音浄土という仏土があり、そこの虚空等如来が弟子に向かって『西方の娑婆世界に釈迦牟尼如来という仏がおられ、まもなく般涅槃される。 お前はこの世界の香飯を持っていきなさい。 この飯は香美で、食べれば安穏になる。 かの世尊はこの香飯を食べてから般涅槃されるだろう』と。 その命をうけた無辺菩薩が娑婆世界に来て、釈迦牟尼世尊のところに至って、『我等の食を受けたまえ』と申し出た。 しかし如来は説きを知って黙念として受けられなかった」とあります。 無辺菩薩が香飯を差し上げようとしたのに、生前お受けにならなかったので、入滅されてすぐにお供えしました。 その風に従って死後すぐに枕飯を供えるのだという説があります。 もう一つは、『古事記』・『日本書紀』の神代の黄泉国のところで、死んで黄泉国にいった伊邪那美命に会いたいと、後を追っていった夫伊邪那岐命が「帰っておくれ」と語りかけるところがあります。 そのとき伊邪那美命は、「早く来てくださらなくて、大変に悔しい。 私はもう黄泉戸喫を食べてしまいました。」と答えます。 この「黄泉戸喫」は、黄泉国の竃で煮炊きしたものを食べることで、これを食べると死の国黄泉の国の者になりきって、生きていた国へは帰れないと信じられていました。 「枕飯」は、この「黄泉戸喫」にあたるもので、死んだ人に、このご飯を食べたならばこの世に帰ってはならないということを知らせる標示として、箸を立てるのだともいわれています。 これとは反対に、生死の境にある人の魂を食べ物の魅力で現世に引き戻そうとするためのものだという説もありますが、これは野辺送りのとき、喪主が墓場に持っていって置いてくる習慣があり、さらにこのご飯を鳥などがついばんで早くなくなるほうがよいともいわれていることと考えあわせると、この説は俗言のようにも思われます。  ご参考までに・・・。

仏と菩薩とはどう違うのですか?

仏と菩薩とはどう違うのですか?

一般的にお堂に安置されているお像を「仏様」とよんでいるようですが、厳密にいうと間違っています。 仏様とお呼びするのは、悟りをひらかれた「○○仏」あるいは「○○如来」といわれる方で、「釈迦牟尼仏」「阿弥陀如来」「大日如来」「薬師如来」「毘盧舎那仏」などです。 菩薩とは、悟りを求め続けている人という意味です。 ですから仏様の一歩手前にいる人ということになります。 はじめは悟りを得るために前世で修行をしていた修行時代のお釈迦様に対して使われていましたが、大乗仏教のなってくると菩薩の言葉の意味とおり、つねに仏の道を求めて修行している(上求菩提)と同時に、周りの人々が幸せになれるようにと願って生きている人(下化衆生)を「善薩」とよぶようになりました。 そしてさらに「これ大菩薩であって、悟りを成就して、仏となるも、衆生を導くために自ら願って人間として生まれ、ひろく教えを説く」と「法華経」の中には菩薩としての積極的な生き方がとかれています。 菩薩は本当は仏様なのですが、みんな仏様ばかりだと、あまりに尊くて近くに寄れない人がでてくる。 そういう人たちの為に仏にはならず、われわれ人間と同じような姿となって、われわれの前にあらわれて仏の道に導くのだと説かれています。 ですから、菩薩というのは特別なお姿をしているのではなく、私たちのまわりにいて、私たちに人間の生き方・人間の素晴らしさ・人生のあり方を教えてくれる人が菩薩です。 つまり、皆さんのまわりにいる人たちが菩薩なのです。  また、菩薩はいつも優しい言葉をかけてくれるとはかぎりません。 嫌な言葉をいうときもあります。 憎まれ口をきき、叱言をいったりもします。 また、嫌な相手となってあらわれる時もあり、皆さんを悩ませたり悲しませたりする菩薩もあります。 観音様は「世の音を観る」と書くように、私たちの声を聞いて導いて下さるのですが、私たちの願いを聞いて下さる「心」と同時に、願いをかなえて下さらない「慈悲」の心もあります。 「法華経」の観世音菩薩普門品で、観世音菩薩が三十三のお姿となって私たちを導いて下さると説いているのはそのことです。   あらゆる方法で、一人ももれることなく救うために千本の御手を持った千手観音は、私たちを温かくしっかりと抱きとめる手とともに、甘え心を打ち据える剣も持っておられます。 人々の心の中に善・悪さまざまな心があるのを示して、ある時は瞋り、ある時は慈しみ、ある時は突き飛ばしたりして、我々を導く十一面観音。 魚をとる投網のように、もれなく人々を救う網を持った「不空剣羂観音」、激しい怒りの表情をしている「馬頭観音」、いずれも観音様の慈悲の心をそれぞれにあらわしているのです。 それは菩薩の心でもあり、仏様の心でもあるのです。 ですから、お像の姿からいえば仏様と菩薩とは区別すべきですが、その心は仏様も菩薩も同じです。 そして皆さんもその菩薩の一人なのです。 ご参考までに・・・。

年回法要をするのは何故ですか?

年回法要をするのは何故ですか?

人が亡くなるとお葬式をします。 そしてその後、初七日忌・二七忌・・・と七日ごとに七七日忌まで中陰法要をします。 その後、亡くなられたご命日から数えて百日目の百ヵ日忌、ちょうど一年目の一周忌・二年目の三回忌それから七回忌・十三回忌・十七回忌というように、三と七にあたる年のご命日に年忌法要をし、三十七回忌から五十回忌まで営みます。 五十回忌以後は五十年ごとになって、百回忌(遠忌)・百五十遠忌というように行います。 亡くなられた日から数えて七日目ごとに七七日忌(四十九日忌)まで行う中陰法要は、ことに大事にします。 人は亡くなった後、その人の生前に行った結果(業)によって、次の生へと移っていきます。 これを「輪廻転生」といいますが、人が亡くなって次の生に生まれるまでの間を「中陰」あるいは「中有」といいます。 この「中陰」の間でも、七日目ごとに「中有」の状態で死にかわりして、七七日つまり四十九日までの間に次の生に生まれるところが決定されます。 そこで、この七日目ごとに仏事を営んで亡くなった方を供養し、その功徳によって少しでも良いところに生まれ変わってほしいと願って行うのが「中陰法要」なのです。 百ヵ日忌・一周忌・三回忌は、中国の卒哭忌・小祥忌・大祥忌の行事がそのまま日本に取り入れられたものですが、このうち三回忌は二年目を過ぎた命日、すなわち亡くなられたその年を数えて三回目の命日の忌日法要のことですので、間違えないように注意して下さい。 この年回忌ごとに法要を営み、お経をあげ、参列して下さった皆様にご供養の「お斎」をするのは、読経の功徳と、皆様に供養をして布施行をつんで喜んで頂いたその功徳を、亡くなられた方に供える(回向)ためです。  法華経に仏道修行の方法として「受持・読誦・解説・書写」があげられています。 「受持」は、仏様の教えを信じ実践することですし、「読誦」は仏様の教えが説かれているお経を読むことです。 「解説」は、お経の内容を理解するとともに他に説いてあげることです。 「書写」はお経を写すことで、それによって他の人々に仏様の教えを伝えることになります。 お経を読むということは、仏様の教えを仏様に代わって人々に説法することです。 それは亡くなられた方に対するのは無論ですが、それを聞いているまわりの人々にも仏様の教えを伝えることになります。 年回法要のとき、お経をあげることは「受持・読誦・解説」という大事な行を行った功徳を、亡くなられた方にたむけお供えすることになるわけです。 それで亡くなられた大事な方を偲んで、少しでも良い業をさらに積んでいただこうとする優しい思いやりの心が年回法要を営むのです。 ご参考までに・・・。

亡くなった人を北枕にするのは何故ですか?

亡くなった人を北枕にするのは何故ですか?

「北枕」の風習は、お釈迦様がお亡くなりになられた時のお姿に由来します。 八十歳という高齢をむかえられたお釈迦様は説法の旅を続けておられましたが、その足は自然に生まれ故郷へと向いていました。 かつて多くの日々を過ごされた毘舎離城を離れる時は、幾度となく振り返り「毘舎離城は美しきかな」と去りがたい想いを述べられたと伝えられています。 二度とこの美しい街を見ることができないことを予感されていたのかもしれません。 鍛冶工チュンダの供養した食事を召し上がった後、お釈迦様は激しい腹痛に見舞われ、歩くことさえできない状態にあったようです。 それはチュンダのところからお亡くなりになられたクシナガラまでの約四十キロの間を二十回休まれたと伝えられていることからもうかがえます。 血に染まった衣や身体を川で清められながら歩き続け、沙羅林のところに来たとき、侍者の阿難尊者に命じて沙羅双樹のもとに衣をたたんで敷かせ、その上に頭を北に向け、右脇を下にして横になられ、お弟子たちに最後の教えを説かれて静かに息を引き取られました。 紀元前三八三年二月十五日のことでした。 このとき大地が震動し、天鼓がなり、花の時期でもないのに沙羅の樹に花が咲き、その花びらがお釈迦様の身体をおおいつくしたといわれています。 この沙羅の樹の花が、ちょうど鶴(白サギ)がとまっているように見えたので、「鶴林」という呼び名がつけられ、それからお釈迦様が亡くなられた場所を「鶴林の地」というようになりました。   お釈迦様が北を枕にして亡くなられたことから、今日でも死者を「北枕」になおすのですが、なぜ「北枕」にしたかという理由は経典には説かれていません。 俗に「頭寒足熱」で頭を涼しいほうに向けたのだという説もあるようですが、そんな単純なことではないように思われます。 インドの人々にとって北に位置するヒマラヤは聖なる地であり、母なる地という信仰があります。 その聖なる地に向かうという心が「頭を北に向けて臥床を敷け」という言葉になって表れたものだと思われます。 また、生まれ故郷のカピラ城はちょうど北の方向にあたりますし、お釈迦様の種族であるシャカ族の祖先は、かつてヒマラヤの山中の湖のほとりに住んでいたという説もありますから、その母なる国に向かっていくという心もあったのかもしれません。 ご参考までに・・・。

守り本尊とは何ですか?

守り本尊とは何ですか?

最近では、神社の境内の屋台などで「戌年の人の守り本尊は大日如来、子年の人は弥勒菩薩」などと講釈しながらお守りを売っているのを見て、生まれ年によって守り本尊が決まっているようにいわれていますが、これは薬師如来の守護神である十二神将に由来しています。 薬師如来の眷属で仏教の行者を守護する十二人の夜叉大将がいますが、それら大将は刻を守る神様と崇められていて、それぞれ十二支に配されています。 十二神将の頭に十二獣があるのはそのためですが、これら神将はそれぞれ諸仏の化身であるともいわれています。 宮毘羅大将ー子神ー本地は弥勒菩薩 伐羅大将ー丑神ー勢至菩薩 迷企羅大将ー寅神ー阿弥陀如来 安底羅大将ー卯神ー観音菩薩 あじ羅大将ー辰神ー如意輪観音 珊底羅大将ー巳神ー虚空蔵菩薩 因陀羅大将ー午神ー地蔵菩薩 波夷羅大将ー未神ー文殊菩薩 摩虎羅大将ー申神ー大威徳明王 真達羅大将ー酉神ー普賢菩薩 真達羅大将ー酉神ー普賢菩薩 招杜羅大将ー戌神ー大日如来 毘迦羅大将ー亥神ー釈迦如来 このことから、それぞれ十二支の刻の守り神である十二神将の本地仏を、十二支の生まれ年の人の「守り本尊」として結び付けているのです。 しかし本尊というのは、信仰の対象であって、その生まれ年によって決まっているというものではありません。 例えば、お題目を唱える者にとってのご本尊は「久遠実成本師釈迦牟尼仏」とお呼びしている本仏より他はないのであって、お経には「法華経」の教えを受持し、その教えに従って生きようと実践する者(法華行者)には必ず諸仏が護念し、ことに薬王・勇施菩薩・持国・毘沙門天をはじめ、鬼子母神・十羅刹女などの諸天善神がこれを守護すると、仏様に誓願しておられます。 日蓮上人も「法華経の行者の祈りのかなわぬことあるべからず」とおっしゃっていますが、ただしこれはあくまでも私利私欲のためではなく、「法華経」のため・人々のために「法華経の教えを受持し、行ずる者」という条件がついていることを忘れてはいけません。 ご参考までに・・・。

「お経を読む時に木魚を打つのは何故ですか?

「お経を読む時に木魚を打つのは何故ですか?

ポクポクという木魚の音はゴーンという鐘の音と共に、すぐにお寺を連想させる代表的な音の一つです。 日蓮宗では比較的に少ないのですが、お経を読む時に打つように木魚はお経を読む早さを調整するための仏具です。(ちなみに日蓮宗で多く用いられている木鉦も、木魚と同じくお経の調子を整えるためのものです。 しかし昔は木魚のことを木魚鼓・魚鼓・魚版ともいっていたように、はじめはこれを打った音で人々を集めたり、合図に使っていたりしました。 宇治の万福寺に行くと、2メートル以上もあるような魚の形をしたものが廊下にぶら下がっています。 魚の腹の部分が空洞で、打つと低い音ですが遠くまでよく響きます。 これは、食事や行事の合図に打っていたものです。 木魚が魚の形をかたどってあるのは、魚は昼でも夜でも眼を閉じずにいることから、常に魚のように惰眠をむさぼらずに努めよという警告の意味です。 また一説には、ある修行僧がいて、お師匠様の教えに背いたために魚に生まれてしまいました。 その背中に樹が生えて、波風で揺れるたびに血を出して苦しんでいました。 お師匠様は彼の為に供養をして魚身から救ってやりました。 そしてその魚の樹で魚の形をつくり、寺の中にかけて人々を戒めたということです。 これが中国の明の頃になって、今の形になったのです。 今の木魚は猫が丸まって寝ているように魚の頭と尾を接した丸い形につくられていますが、魚の代わりに二つの龍の頭になっているものもあり、その両頭の真ん中に玉を抱くようにしているものもあります。 竜頭になっているのは、魚が凡から聖なるものへと変身していくということでつくられているのです。 木魚の腹のところがギザギザしているのは、魚のウロコをあらわしています。  ご参考までに・・・。

お墓に水をかけるのはなぜですか?

お墓に水をかけるのはなぜですか?

お墓参りをするときは、まずお墓を洗ってきれいにしてから改めてお花をお供えし、水鉢に水を入れ、墓石の竿石の上から水を注いでお参りをします。 この水をかけるという行為は、水にはものを清める力があると信じられているところから、お墓を清める意味合いがあります。(水垢離みずごりといって、川や海に入ったり水をかぶったりして禊みそぎをするのと同じ意味です。) 修験堂では水そのものを大日如来と考えていて、この水をもって身体を洗い清めれば、人間が本来持っている五智の徳をあらわして仏になることができると考えられてきました。 これらの水に対する宗教的な考え方が昔から一般に行われてきていたので、お墓参りをするときには必ず水を墓石に注いでからお参りするようになったのです。  お墓に水を注ぐときは、墓石の上から静かに注ぐようにして三回かけます。 墓石を濡らせば良いとばかりに乱暴なかけ方をせず、心を込めて静かに注ぎましょう。 水を注ぐことによって、ご先祖様と私たちのつながりができるのですから。 ご参考までに・・・。

どうして喪服は黒なのですか?

どうして喪服は黒なのですか?

最近では葬儀の時に、遺族の方や参列者の方はみんな黒づくめの身なりをするのが一般的になってきていて、喪服というと黒色でなければいけないと思い込んでいる方も多くなりました。 しかし戦前は(ことに親族の者は)白色の喪服を着ていました。 関西地方では、男性が白の裃を着て、女性は白い綿帽子をかぶって葬儀に参列することも珍しくはなかったようです。 むしろ喪服が黒色になったのは今から三・四十年前のことで、それ以前は白色でした。 現在でもある地方では白以外の喪服を着て、襟や頭に白い布をまいているのは、かつての白い喪服の名残だと思われます。 『隋書倭国伝』に「妻子兄弟は白布をもって服を制す」と喪服のことが記されていますし、『万葉集』の挽歌に「白栲の麻衣着て」とあったり、『日本書記』は「素服・喪服」をアサノミノあるいはアサノコロモと読ませて、『倭名抄』では「穣・和名不知古路毛・喪服也」と藤衣の字を当てています。 これは上古の時代、藤葛をもって織った粗末な服を指した事から名づけられたものですが、麻で織った生地のままの衣などが用いられています。 これは現在でもお坊さまが亡くなられた時や、遺体に着せたり、あるいはお弟子が着る「清浄衣」は麻で織った衣ですし、死者に着せる経帷子も白衣でつくられているのは、これら上古の風習がそのまま伝えられているからでしょう。 中国や朝鮮でも日本と同じように白い衣服や白布を身にまとっています。 お釈迦様がお亡くなりになった時、その遺体を新しい麻布で包んで安置した事が経典に記されていますが、現在でもインドでは亡くなった方を白布でぐるぐる巻きに包んで火葬にしています。  白色の喪服とは別に、古い時代の記録には墨染の衣を着ていた事も記されています。 『源氏物語』には葵の上が亡くなられた時に女の童が墨染の衣服を着ていた事が記されていますし、『栄華物語』では村上天皇の崩御の時「一天下の人、烏のようなり」とありますから、黒色系の喪服は仏教の伝来に関係しているようです。 もともとインドにおいては、お坊さまの衣は糞掃衣ふんぞうえといって茶褐色の「壊色」に統一されていました。 現在でも南方仏教国のお坊さまはこの色の衣を着ています。 仏教伝来とともに日本にも衣の色が伝えられ、奈良時代の浅黒色から、平安時代は橡色つるばみいろ(どんぐりで染めた黒に近い色)や鈍色にびいろ(薄墨色)が用いられ、黒色が上級官吏の礼服に用いられるようになったのは十世紀の末といわれています。 現在葬儀の時に張り巡らす幔幕は黒白色で、祝儀の時は紅白色となっていますが、昔は祝儀・不祝儀を問わず、儀式の時の幔幕は黒白色でした。 黒と白は色の根源となる色で、正式な儀式の時に用いる色なのです。  お坊さまが普段着ている道服は黒色で、その下には白色の着物を着ており、黒と白の両方を着ているわけです。 この黒と白の両方を着るという事は、儀礼的な色の衣を着るという事とともに、生と死の両方の世界に関わるものを意味しています。  ご参考までに・・・。

「節分までは年のうち」とは、どういう意味ですか?

「節分までは年のうち」とは、どういう意味ですか?

一年を春・夏・秋・冬の四季に分けるのは皆さんもご存知の通りですが、この四季の一つをさらに六つの節気に分けて一年に二十四の節気をたてます。 例えば、春は立春・雨水・啓蟄・春分・晴明・穀雨の六つです。  普段私たちが耳にしている立夏・夏至・大暑・立秋・秋分・立冬・冬至・大寒などはこの二十四節気のうちの一つです。 一年二十四節気は、立春から始まって大寒の末日、すなわち立春の前日である節分で終わり、また再び初めの立春から始まるという陰暦の暦法によるものです。  そこで節気の切り替えの日なので立春の前日を「節分」と呼び、一年の終わる日でもあるので「年越」とも呼んでいるのです。この立春を正月とするのは、古代中国からの影響です。 古代中国でも正月のとり方には何通りかあったようですが、立春正月が確立されたのは漢の武帝の太初改暦(紀元前104年)以後で、約二千年も昔から続いてきました。 これが日本で陰暦の暦法に伝わってきたものなのです。 立春は冬至を基準として決められるのですが、節気と暦の月日とがうまく合わないことがおこり、冬の月の十二月にある場合もおこりました。それを年内立春といっていますが、『古今集』に「年の内に春は来にけり一年を 去年とやいはむ 今年とやいはむ」と、どう扱ったらいいのか迷っている歌も見られます。 ご参考までに・・・。

正月・五月・九月の縁日を特に盛大に行うのは何故ですか?

正月・五月・九月の縁日を特に盛大に行うのは何故ですか?

「正月・五月・九月」の三つの月は他の月とわけて「三斎月」あるいは「三長月」・「善月」とも呼ばれていますが、この三つの月の間は八斎戒を守って殺生をやめ、非行を謹んで過ごすことが昔から行われてきました。 『四分律行鈔』という書物によると、正月・五月・九月には、冥界にある人間の善悪の行為を映し出す「業鏡」が私たちの住んでいるこの南閻浮堤のありさまを照らし出して、そこに行われている良い事と悪い事の全ての行為をこの「業鏡」に映し出してみるのです。 したがって、この「業鏡」が私たちの方に向けられる正月・五月・九月には少しでも悪い事はしないように、またどんなに小さい事でも良い行いをして、「あの世(冥界)」に行った時に苦しまなくてすむようにしようというわけです。  中国の『百丈清規』という書物によると、隋の開皇三年(五八三年)からは皇帝の命で正・五・九および六斎日(八日・十四日・十五日・二十三日・二十九日・三十日)には祈祷道場を建てて祈り、殺生をしないようにというおふれを出しました。 このおふれでことに注目したいのは、官吏の移動をやめたということです。 それは移動するために大勢の人の往来ができて、どうしてもそこにご馳走をしなければなりません。 ご馳走を作るためには生き物を殺すことになるので、それを避けるために官吏の移動をやめたのです。 政治の行事についてもこの三斎月を守るという心がけがあったわけで、このことは現代の私たちも大いに見習わなければならないところです。 悪い事をしないというだけのことではなく、積極的に良い行いをしようという意識もあります。 また、正月は物事が生じ始める時であり、五月は最も盛んに興起している時で、九月はそれらの命が実を結ぶ時であるから、この正月・五月・九月があげられているともいわれています。 これらの事から、「正・五・九」の三つの月に、ことにお参りや祀りごと・祈願などが盛大に行われるのです。 また、こうしたお参りだけでなく、自らの生活を慎むということも同時に行われていました。 毎月「六斎日」という日があります。 八日・十四日・十五日・二十三日・二十九日・三十日の六日間で、この日には①殺生しない②与えられないものはとらない③非行(淫)をしない④嘘はつかない⑤酒をのまない⑥立派な寝床に寝ない⑦香水や身を飾るものをつけない⑧踊りや歌などを見に行ったり楽しんだりしない、という八つの戒め(八斎戒)をし、さらに夜食を食べないということを実行しました。 インドにおいて、古来からこの六斎日には鬼神が人を追って命をうばったり、病や悪い事をする悪日なので、この日は身を慎み、沐浴・断食をして過ごす風習が行われていましたが、この風習が仏教にも受け入れられて六斎日には八斎戒を守るようになったのです。  ご参考までに・・・。

七福神は仏教の神様なのですか?

七福神は仏教の神様なのですか?

お正月の縁起ものとして福を授けて下さるおめでたづくしの七福神は、もともと一人ずつ福の神として信仰されていました。 しかし室町時代の中頃から、竹林の七賢人とか、「仁王経」や「薬師経」に出てくる「七難即滅、七福即生」というお経文になぞらえて、七人の神様を組み合わせたのです。 今のような七福神の顔ぶれが決まったのは天海僧正が徳川家康に七福神の徳を、夷は清兼、大黒は裕福、毘沙門は威光、弁財天は愛嬌、布袋は大量、福禄寿は人望、寿老人は寿命を与えるものと説いてから後のことだと言われています。 夷さまの「えびす」は、海の向こうから来た異民族をさす「えみし」という言葉からきていますが、海の彼方の常世の国(理想の国)からくる神霊で、漁民の間でひ広く信仰されていたものが、海運守護の神様から商売繁盛の神様として崇められたのです。 大黒さまは、インドではその名のとおり闇黒の神様でしたが、仏教に取り入れられてからは鬼を退治する戦闘の神様として怒った顔をしていました。 伝教大師が中国から初めて日本に大黒天の信仰を伝えたのですが、その時は飲食を豊かにする台所の神様としておまつりしています。 大黒頭巾を被り、右手に打出の小槌、左に袋を背負って米俵の上に立っていますが、この横に膨れた頭巾は「上を見たらきりがない、上を見るな」の戒めで、思うとおりに宝が出る小槌は「怠け心の頭を打つ斧」なのです。  毘沙門さまもインドの神様で、仏様がお説法されている道場を護っており、いつも教えを聞いているところから多聞天という名もあります。 北方の守護を引き受けている神様で、財宝や福徳をまもり、授ける神様として崇められています。 弁才天はインドの五河地方の神様で、「恵み深きもの」という異名があるように、長寿・弁舌・戦勝を授けるものとされ、また妙音天ともいうように技芸・音楽の神様として崇められていました。 はじめは弓・矢・刀・斧などの武器を持っていたのですが、密教の曼荼羅図のなって、琵琶を持つ姿に描かれるようになりました。  布袋さまは、中国の唐時代の末にいた禅僧契比のことです。 大きなお腹で日用品を入れた袋と杖を持って托鉢して歩き、人の吉凶や晴雨を占っていたので、人々は布袋和尚と呼んで弥勒菩薩の化身と崇めていました。 弥勒菩薩はお釈迦様が亡くなられてのち、五十六億七千万年ののちに仏となってこの世に現れる方で、その時、弥勒仏の浄土に救っていただこうという信仰が盛んになっていたので、布袋さまのふくよかな円満の相とあいまって七福神の一人に数えられたのです。 福禄寿と寿老人は同一人物で、中国の道教の南極星の化身です。 寿老人のかわりに吉祥天が入っていることもありますが、吉祥天もやはりインドの神話に出てくる神様で、父は徳叉迦・母は鬼子母神で、毘沙門さまの妃となっています。 お釈迦様と一緒に過去世で修行し、人々を救うために天女となってこの世に現れたと伝えられています。 またこの吉祥天は功徳天と呼ばれて、貧しさや悪いことを無くして富や財宝が得られると崇められています。 このように七福神のうち、夷さまと福禄寿の他はみな仏教に関係している神様なのですが、それは個々の関係であって、七福神そのものは仏教とは直接関係がありません。 初夢の枕の下に七福神の絵を敷いたり七福神詣でをするのも結構ですが、ただお願いしてまわるだけでなく、いただいた幸せを人にも分けてあげるようにしたいものです。 幸せは「仕合わせ」とも書きます。 お互いに仕え合うところに七福神がいらっしゃるのです。 ご参考までに・・・。

仏壇の向きはどの方角がいいのですか?

仏壇の向きはどの方角がいいのですか?

お仏壇は大切で神聖な場所ですから、できれば人の出入りが激しくないところで、なおかつ家の中心となるようなところに安置するのが理想的です。 お仏壇の向きについても住宅事情がありますので、必ずこの方角でなければいけないということはできませんが、できるなら南向きあるいは西向きがよいと思います。 南向きというのは中国からの伝統で、皇帝は北を背にして政事を行うという風習に由来するもので、宮殿やお堂など南に向いて建てられている例が多いのはこれにしたがっているからなのです。 (中国では、天の中心は北斗七星のある北の方であるという考え方があります。 国を治める天子は「天の子」ですから天の中心である北を背にして南に向いて政事を行うのです。) 釈尊が霊鷲山で法華経をお説きになられたとき、宝塔があらわれてきて、その宝塔の中の多宝如来が「いま釈迦牟尼世尊が説かれていることは真実である」と証明され、多宝如来が自ら座っていた座をあけて釈迦牟尼世尊を招じて共に座られました。 この二仏が座しておられる姿をうつしたのが、日蓮宗のご本尊の一つの型である「一塔両尊」像です。 ここに証明のために湧出した多宝如来は、東方宝浄世界の教主で、釈迦牟尼如来が娑婆世界の霊山で法華経をお説きになっておられることを知って、真実の証明のために娑婆世界の霊鷲山のところに湧出したわけですから、この宝塔は東方に湧出したということになり、釈迦・多宝如来は東方を背にして西を向いて座しておられるわけです。 このことから、お仏壇は「多宝仏の宝塔の内」と同じですから、私たちもご本尊を拝するとき、お仏壇の向きは東を背にして西向きというのが望ましいということになります。 一般的には南向きか東向きということを耳にされると思いますが、これは浄土宗や浄土真宗など、浄土教系の宗旨の説明です。 浄土教は、西方十万億国土のかなたにある極楽浄土の教主阿弥陀如来を本尊とし、称名念仏を唱えることによって西方極楽浄土に往って生まれることを願うわけですから、西方に向かって拝むのが自然の感情です。 大阪四天王寺の西門は、昔から西方極楽浄土の東門に通じるということで、彼岸会のときにはこの西門のかなたに沈む夕日を拝む群衆で埋まったといわれていました。 仏壇のご本尊を通して西方極楽浄土の阿弥陀如来を拝むということから、特に浄土系の宗旨では仏壇は西を背にした東向きがよいといわれるようになりました。 一般的にこう言われているからというのではなく、教義に基づいてみていくとよいと思います。 ご参考までに・・・。

なぜ仏壇を置くのですか?

なぜ仏壇を置くのですか?

仏壇とは仏様を安置するための壇で、本来はお寺のお堂にある須弥壇(しゅみだん)のことなのですが、現在では一般の家庭に設けられている箱型の厨子をさします。 お寺の仏壇を「須弥壇」とよぶのは、仏教の世界観から由来しています。 我々の住むこの世界の中心に須弥山(しゅみせん)という高い山があり、そのまわりに八重の海がめぐらされ、一番外側の海に東・西・南・北の四つの島が浮かんでいて、その一番南の島である閻浮堤洲が我々の住んでいる場所だということです。 この世界の中心であり神聖な場所だというので、仏様のおられる場所を須弥山になぞらえて「須弥壇」と呼んでいるのです。 お寺ではなく一般の人々の間に仏壇が置かれるようになった古い記録としては『日本書記』に天武天皇十四年(685年)に「諸国に家ごとに仏舎をつくりて、すなわち仏像および経を置いて礼拝せよ」と詔せられたことが記されています。 しかしこの「家」というのは、三位以上の位のある者か地方の豪族をさしていて、一般庶民ということではありません。 七色に光る玉虫の羽を埋め込んでつくったという、有名な法隆寺の「玉虫の厨子」や、光明皇后の母である橘夫人の厨子など、個人の念持仏を安置して礼拝していた古い仏壇が今日まで伝えられていますが、奈良から平安時代にかけては守護仏信仰と祖霊信仰、さらに密教の加持祈祷が盛んになってくるにつれて、有力な貴族や豪族の間には持仏堂や仏間を建立することが流行しました。 平泉の中尊寺の金色堂や宇治平等院の鳳凰堂などは藤原氏の持仏堂で、もっとも豪華なものです。 一般庶民が各家に仏壇をもつようになったのは、江戸時代になってからです。 江戸幕府の切支丹禁制政策による檀家制度・仏壇改めによって、各家に仏壇が設けられることになったわけです。 そしてその基盤には一家一門という考えによる祖霊信仰がありました。 現在の一般の家庭にある仏壇には、必ずといってよいほど御先祖のお位牌が祀られており、仏壇といえば亡くなった人を祀るところというふうに考えている人もあるほどです。 しかしそれは間違いで、「位牌壇」といわずに「仏壇」とよぶように、本来は仏様をお祀りし、仏様にお供え物などをお供えするための壇なのです。 仏壇の中にいらっしゃるご本尊のわきにお位牌を置くのは、仏様のお傍で仏様に守っていただくためです。 ご参考までに・・・。

お数珠にはどんな意味があるのですか?

お数珠にはどんな意味があるのですか?

一般的にお数珠は、仏様を礼拝する時やお経・お題目をお唱えする時に手にかけて使われていますが、本来はお経やお題目の数を数えるために用いる法具です。 このお数珠の起源についてある文献によると、「霊鷲山におられたお釈迦様のもとに波瑠璃国の使者が来て、『我が国は小さくて、しきりに他の国から攻められ、そのうえ疫病が流行して国民が困窮しており、国王が腐心しております。 なんとか逃れる方法はないものでしょうか』と教えを乞うたのに対して、つねに仏法僧の三宝の名を唱えては一過し、これを十遍・二十遍・百ないし百千万遍したならば、現世には煩悩障(人間の迷いや欲望によっておこる災い)や報障(行った過ちによっておこる苦しみ)を消滅し、未来には天上の楽をうけ、さらに念誦して怠らなかったならば、百八の煩悩がなくなって、無上の果徳を得るとお示しになった。 そこで国王は数珠を作って六親眷属にわけて共に念誦したところ、その功徳が広大であった」と記されています。 お数珠の玉の数は、百八顆が基本で、日蓮宗でのお数珠はこの数ですが、その他に五十四顆・四十二顆・二十七顆・二十一顆・十四顆というのもあります。 百八の数は私たちの迷いや欲望の数を数えて百八煩悩と表されていますが、百八の煩悩を滅して修行し、百八の悟り(尊)を得るという立場から百八尊を表すとも説かれています。  ことに日蓮宗では古来よりこのお数珠の珠一つ一つを仏様や菩薩にあてて「数珠曼荼羅」を説いていますから、ただ単にお題目や誦経の数を数える法具としてだけではなく、仏・菩薩・諸天善神そのものとして、お数珠は大切に扱わなければなりません。 ちなみに五十四顆は、十信・十住・十行・十廻向・四善根・十地という菩薩の発心から成仏までの修行の位を表しており、四十二顆は、十住・十行・十廻向・十地・等覚・妙覚の四十二位、二十七顆は、声聞の行位の二十七賢聖、二十一顆は、本有と修生の各十地と仏果、十四顆は十住・十行・十廻向の三と十地と妙覚をそれぞれ象徴しています。 ご参考までに・・・。

精霊棚の正しい飾り方を教えて下さい。

精霊棚の正しい飾り方を教えて下さい。

「精霊棚」の飾り方は地方や地域によってそれぞれあるようですが、今回は一般的な飾り方をお話します。 お盆のお飾りは十二日前後になるとお花屋さんや八百屋さんの店頭に一組にまとめられて並べられますので、それをお求めになるとよいでしょう。 まず棚の四隅またはお仏壇の両側のところに笹竹を立て、上のほうに「真菰の綱」をはります。 そこにみそはぎ・がまの穂・粟の穂・栗の葉・ほおずきなど「盆花」をつるします。 これは依代といって、ここに精霊をお迎えするためのものです。 棚には真菰を敷いて、その上に水と「水の子」をお供えします。 「水の子」はナスをさいの目に切って蓮の葉の上に置きます。 地方によってお米やキュウリを混ぜる場合もあります。 このナスは、ナスの種子が百八つの人間の煩悩に比せられているものです。 おまいりするときは、まずもう一方の蓮の葉に入れてある水を「みそはぎ」に含ませ、その水を「水の子」に注いでから拝みます。 これは煩悩をしずめるためといわれています。 その他、お花・香炉・灯明もお飾りします。 キュウリで作った馬とナスで作った牛をお飾りするのは、馬は一刻も早くご先祖さまをお迎えしたいという気持ちを表したもので、牛はお土産を持ってゆっくりとお帰りくださいという心です。 十三日の夕刻、門前で「おがら」をたいて「迎え火」をします。 その火を精霊棚のお灯明にうつしたり、盆提灯の火としたりします。 「送り火」は十六日の夕刻、今度は精霊棚のお灯明からうつした火で、門前で「おがら」をたいて「送り火」とします。 本来はお墓の前でするものですが、お墓と家が離れている方も多い今日では仕方がないでしょう。 昔は精霊棚にお飾りした「真菰」などは、川に流したのですが、最近は環境破壊などの問題もあってできませんので、お焚き上げして灰を庭に埋めるか、行政の指定する場所に持って行くとよいでしょう。  ご参考までに・・・。

お通夜の時にお線香を絶やしてはいけないのは何故ですか?

お通夜の時にお線香を絶やしてはいけないのは何故ですか?

一般的にはお通夜の時ばかりでなく、四十九日忌までの間は、別に設けた白布の祭壇に白木のお位牌を安置して、なるべくお線香とお灯明を絶やさないようにといわれています。 お線香を絶やさないようにというのは、亡くなられた方のそばにいていつも見守っていてあげようという気持ちの表れですが、もう一つ大事な意味があります。  人の生死の経過を「四有しう」という状態で説明します。 人がこの世に生を受けた(諾胎たくたい)瞬間を「生有しょうう」、生を受けてから死ぬまでの間の現身を「本有ほんぬ」、死の瞬間を「死有しう」、死んでから次の生を受けるまでの間を「中有ちゅうう」といい、人はこの「四有」を繰り返しているのです。 このうち死んでから次の生を受けるまでの間を「中有」または「中陰ちゅういん」「中蘊ちゅううん」ともいい、四十九日までの期間はこの「中有」の状態で七日ごとに転々とするので、七日目ごとの「中陰気」に亡くなった人のご冥福をお祈りすることが行われているのですが、この「中有」は血肉をもっていないので、「意(識)」から生じた「ガンダルヴァ」という「霊魂身」ともいうような身体をもったものといわれています。 このガンダルヴァは「食香」とも訳されているように香を食しているので、中有の間はお線香を絶やさないようにといわれるようになりました。 しかし香ならばどんなものでもよいというのではなく、よい香りは上品の貴い食べ物となり、悪い香りは賤しい下品の食べ物ということですので、食としてお供えするのなら美味しい食べ物となるよい香りのするお線香をたいてあげて下さい。 亡くなられた方もきっと喜ばれることでしょう。 ご参考までに・・・。

檀家とはどういう意味ですか?

檀家とはどういう意味ですか?

現在では、檀家というとあるお寺に所属してその宗旨をまもっている人のことをさしています。 しかしそのお寺に墓所や位牌所がある人のことを檀家といい、それがなくてもお寺に集まって仏の道をつとめる人を信徒というように区別しているところもあります。 檀越ということが派生変化して、檀那・檀中・檀徒・檀家といわれるのですが、檀はインドのダーナ(施す)という言葉の音を写したもので、施しをするという意味です。 仏教の大切な修行徳目の六つのうちの第一に布施があげられています。 ですから仏教の教えを信じる者は全て檀家であるはずです。 しかし中国や日本においては、ほとんどの仏教信者がお寺のお坊さんをとおして仏教の教えを受けていましたから、そのお寺のお坊さんに衣食などを布施する信者を檀家というようになりました。 檀家に対してお寺のことを「檀那寺」とも呼ぶのは、檀家が財を布施するのに対してお寺からは檀家を教え導く「法の布施をする」というところからいわれているのです。 布施というのは、財物を施すことだけをいうのではなく、優しい言葉や人の身になって考えてあげること・和やかな顔をしてあげること・他人を喜ばせる行いも布施です。 しかし、施しをしてやったのだから、そのかわりにお返しをしてくれなどと思うことは布施ではありません。  ご参考までに・・・。

なぜお位牌をつくるのですか?

なぜお位牌をつくるのですか?

家庭の仏壇の中には、ご本尊を中央に、その脇にご先祖の戒名あるいは法号を記したお位牌を安置しています。 時々「うちには亡くなった人がいないから仏壇はない」と言ってる人がいますが、これは仏壇と位牌壇を勘違いしているからです。 仏壇は自分の信仰の中心としてのご本尊をおまつりするところであり、そこに亡くなった人のお位牌を安置するというのが本来のあり方で、ご本尊をまつらずお位牌だけを置くというのは本末転倒です。 このお位牌の起源は、一般的に中国の儒教に基づいているといわれています。 儒教では、位板いばん・木主もくしゅ・神主しんしゅ・虞主ぐしゅといって、生前の位官・姓名を四十センチぐらいの栗の板に神霊に托させる風習が後漢(二~三世紀)頃からありました。 この風習を、宋代に中国に留学していた禅僧が日本に帰って伝えたのがはじまりですが、一般庶民の間に広くまつられるようになったのは江戸時代に入ってからです。 お位牌の形は、古くは木板に台をつけただけのものから、蓮台のもの、上に雲形や雲形に日輪などを彫刻した頭部をつけたものや、十六世紀末には牌身に袖飾りをつけた装飾性の強いものが見られます。 徳川中期になると、請花・伏蓮華・敷茄子などがつけられて華麗さを増し、漆塗りから金泥仕上げのものまでみられます。 現在のお位牌の形は櫛形・平頭形・葵形・宝珠形・圭頭状・宮殿の屋根をつけた廟所形・屋根形のものなどがありますが、このうち宝珠形は墓碑の無縫塔の塔身とよく似ていて、主に僧牌用に用いられています。 この他、くり出し位牌といって、屋根と扉をつけた枠の中に何枚かの板が納められるようになって、忌日ごとにくり出すようにできています。 これは明治以降につくられたもので、お仏壇に安置するお位牌が多くなったり、お仏壇が小型になってきたために考案されたものです。 葬儀の際に用いるお位牌は白木のもので、内位牌と野位牌があります。 内位牌は祭壇にまつり、葬儀の後は四十九日の忌明けまで仏壇とは別に設けた白布の壇にまつって供養します。 野位牌は下の方に置き、野辺送りのときに亡くなった方と一番血縁の深い人か相続人が持って墓所に行き、そこに供えます。 内位牌は四十九日の忌明けまでで、それまでにお位牌をつくり、「魂入れ」(開眼)のお経をあげて頂いたあと、初めてお仏壇の中に安置します。 内位牌はお寺に納めます。 お仏壇にお位牌を安置する場合、正面中央にはご本尊がおまつりされていますから、その両脇あるいは一段下の両側に置きます。 このときの置き方は、正面に向かってご本尊の右側・左側・一段下がって右側手前・左側手前というように、年月の古い順にします。  お位牌をつくるとき、裏側に俗名と年齢・さらに喪主との関係などを書いておくと、後になって大変参考になります。 また生存中に戒名あるいは法名をいただいてお位牌をつくる場合は朱で書き入れますが、これは「寿牌じゅはい」といわれています。 ご参考までに・・・。

三途の川ってどんな川ですか?

三途の川ってどんな川ですか?

一般的に「三途の川」は死んだ人が必ず通らなければならない川として言われていますが、「三瀬川みつせがわ」や「葬頭川そうずか」・「わたり川」とも言います。 「地蔵菩薩発心因縁十王経」によると、亡くなってすぐ極楽に行く極善人と、そのまま地獄に直行していく極悪人は別として、ごく普通の人は亡くなって冥土に行く途中に中有(死んでから次に生を受けるまでの間の霊体)となって、初七日にこの川を渡るとされています。 この川は初江王のおられる場所に流れている大河で、渡る所が三つあり、「山水瀬さんすいせ」・「江深渕こうしんえん」・「有橋渡うきょうと」と名づけられていて、生前の業ごうによってこの三つの途のいずれかを渡ることになっています。 「三途の川」はそこから名づけられているのですが、この川のほとりには「奪衣婆だつえば」と「懸衣翁けんえおう」がおり、亡くなった人の衣を剥ぎ取ってはそばの衣領樹えりょうじゅにかけます。 生前に犯した罪の軽重で衣領樹の枝の垂れ方が違うと言われています。 また「十王賛歎鈔じゅうおうさんだんしょう」には、奈河ないかと呼ばれる大河があって、三ヶ所の渡る所があります。 この三ヶ所の渡る所とは、「浅水瀬せんすいせ」・「橋渡きょうと」・「強深瀬ごうしんせ」と名づけられていて、「浅水瀬」は水が膝のあたりまでで罪の軽い人が通る所、「橋渡」は金銀七宝で造られた橋で善人のみが渡る橋、「強深瀬」は悪人が渡る所です。 この「強深瀬」は流れが矢のように速く、大山のような浪で、たくさんの毒蛇がいて罪人を食べてしまいます。 そして上流から大きな岩が流れてきては罪人の身体を打ち砕いてしまいます。 しかし罪人はそこでも死んでは生き返り、生きてはまた打ち砕かれます。 水の底に逃れようとすると蛇が口をあけて待っており、浮かべば鬼が矢を射かけます。 このよな大苦を七日七夜受けた後に岸の向こうに辿り着くと言われています。  ご参考までに・・・。

絵馬って何ですか?

絵馬って何ですか?

古い大きなお寺や神社に行くと、大きな絵を描いた額が掲げられていたり、それらをかざっている絵馬堂があります。 古いものばかりでなく、最近ではお正月や二月の受験シーズンになると、お寺や神社に合格祈願をする人たちの奉納するたくさんの新しい絵馬がさげられています。 もちろん絵馬の中には合格祈願だけではなく、良縁成就・家内安全・商売繁盛・病気平癒・交通安全など様々な願い事がされています。 「絵馬」は「馬形絵」ともいって、その文字通り馬の絵を描いて、それを神様や仏様に奉納したものです。 この絵馬の始まりは、神様・仏様に宝物や刀を奉納するのと同じように、馬を奉納していたところから始まります。 昔の人は、自分の誠心に神仏を誓って誓紙にしたためてそれを忠実に守りました。 神仏には絶対の帰依と畏敬をもっていたのです。 神様が乗馬姿で降臨されるというのが古来の日本人の支配的な考え方でしたので、神様に馬を献上することは、神々の神意を高めることになり、神々の怒りをしずめ、その神様の神意にあずかろうということから行われました。 神様に奉納する馬は「神馬」と呼ばれ、社で飼育されており、祭礼のときなどに神様が遷座されるときの神聖な乗り物として用いられました。 しかし、生きた馬を献上することは中々大変なことなので、やがて木彫りや土製の馬がその代わりになりました。 しかし、これも簡単にできるものではありませんので、次第に紙や木板に馬を描いた絵絵馬・絵馬板をもってそれに代えるようになりました。 さらに神馬だけではなく、ついには祈願するところのものを絵や文字で描いて祈願札のようなものになったのです。 また、祈願成就のお礼として、霊験を絵にした絵馬も奉納されるようになりました。  何を祈るかによらず、祈る心は受ける心に通じます。 しかし受ける心が素直でなければ祈りは通じません。 ただ手を合わせさえすればよいのではなく、日頃の信心が大切だということを忘れないようにして下さい。 ご参考までに・・・。

お正月にお墓参りしてもいいのですか?

お正月にお墓参りしてもいいのですか?

お正月もお盆と共に、本来はご先祖様をお迎えする魂祭(たままつり)の行事です。 大晦日の日暮れと共に正月の行事が始まります。大晦日に食べる「おせち料理」は「節句」で神にお供えする食物の意味で、家中の者が揃ってご先祖様の霊と歳神様を迎えて共に頂く食事のことです。 今日、お正月に食べるお雑煮は、この歳神様やご先祖様をお迎えした儀式の後、お供物のお下がりを皆で食べる食べものなのです。 また、皆さんがお寺や神社へお参りする初詣は、大晦日から社頭に籠って歳神様をお迎えするという行事が変形したものです。 こうしてみると、お正月にお墓参りをしてはいけないというのは、おかしな話です。 明治の排仏運動の名残りからそう言われているのかもしれませんが、私たちにとって大切な仏様・ご先祖様に年頭にあたってまず一番にご挨拶するのは当然のことではないでしょうか?  年末には今年一年お守りいただいたことに感謝する意味で、お寺にお参りするのも良いことです。 その際は今年のお札類を持参して、お焚き上げをお願いすれば良いでしょう。そしてお正月にはお寺のご本尊様とお墓にお参りをして御祈願すれば、清々しい気分で新しい一年の第一歩が踏み出せるはずです。 今年からお正月の行事の第一にお墓参りを組み入れてみてはいかがでしょう? ご参考までに・・・。

祥月命日とは、どういう意味ですか?

祥月命日とは、どういう意味ですか?

亡くなった日を命日と呼び、毎年めぐってくるその忌日を祥月命日と呼びます。 この祥月命日については、古い書物によると「『礼記』によれば親が亡くなって十三月の祭を「小祥」(一周忌)・二十五月の祭を「大祥」(三回忌)という。 このように一周年・三年の月忌を「祥」というので、これ以後もこれにならって祥月という。 これは我が国の習俗の言い習わしによるものである。」とあります。 「祥」というのは「さいわい」と読むのですが、それは凶服を去って吉服になるという意味でつけられているのです。 ちなみに我が国では、明治七年に出された大政官布告の「服忌命」によると、喪服を着て故人の冥福を祈って慎ましく服している期間の服装は父母のときは十三月となっています。 先ほどの中国の小祥の期日と合っています。 これは中国の呼び方がそのまま日本に伝えられた訳ですが、「梵網要解ぼんもうようげ」という書物には「正忌月しょうきげつ」とあります。 それは忌月は毎月ありますが、その月の忌日は「正当の月」なので、「正忌月」といい、これを略して「正月しょうつき」といいます。  しかし「正月」は年の初めの「正月」(一月)と間違えやすいので、先の中国の礼記による小祥忌・大正忌をとって「祥月」というようになりました。 また命日というのは『灌頂経かんじょうきょう』に死亡の日を「命過日めいかにち」とあり、過は過ぎるということで、一期の寿命が過ぎ去った日という意味からこれを略して「命日」といいます。 肉親や親しくお世話になった方の毎月の命日には、その方が生前好まれた物をお供えしてご冥福をお祈りしましょう。 ことに祥月命日のときは、年忌にはあたらなくてもお塔婆供養をして亡くなった方のご冥福をお祈りして下さい。 できればお墓参りをしてあげるとどんなにか喜ばれることでしょう。 ご参考までに・・・。

合掌をするのは何故ですか?

合掌をするのは何故ですか?

合掌は古くからインドで行われていた礼法の一つです。インドでは右手は食べ物などを扱う清浄の手・左手は汚れたものを扱う不浄の手とされているように、右手は良いもの・美しい行い・神聖なものということから仏を表わし、左手は悪い行い・醜いものということから、我々凡夫を表わしているわけです。 ですから合掌は人を愛し、慈しみ、助け合う心のある反面、人を傷つけ、憎しみ、ののしる心もある、私たちの心であり、人間の真実の姿がそこにあるということを表わしているのです。 ところで、数ある礼法の中で何故合掌だけが仏教と共に何千年もの間伝えられてきたのでしょうか。 少し合掌してみて下さい。 そのままの姿勢で喧嘩する気が起こりますか? 人を恨む気になれますか・・・? ただ手のひらを合わせるだけのようですが、実は人間の精神状態と深く関わっているのです。 人は本当に素直になれた時、自然に合掌できるのです。 せっかく合掌しているのに指を組んだり、合わせた手を膝の上に置いたり、肩をいからせていては台無しです。正しく左右の手のひらぴったり合わせ、その中指の頭がちょうど咽喉の高さぐらいで、まっすぐにも立てず、四十五度ぐらいの角度に手を合わせます。両肘は張らず、腋の下は生卵を挟んだ気持ちで、つかず離れず自然に垂れるようにします。 つまり肩や肘や手に力を入れずに、自然にそっと胸の前で手を合わせるという心持ちで合掌するのです。 全体に張り詰めたものがありながら深い安らぎがあり、敬虔な祈りとともに大らかさを感じさせるような合掌ができたら素晴らしいことではないでしょうか? ご参考までに・・・。

なぜお寺には「○○山」という名がついているのですか?

なぜお寺には「○○山」という名がついているのですか?

たいていのお寺には○○山○○寺というような名がつけられています。 これを「山号額」とか「扁額」といい、○○山というのを「山号」といっています。 むかし中国では山中に建てられたお寺を呼ぶのに、その山の名をつけて呼んでいました。 天台山にある国清寺なので「天台山国清寺」・五台山にある清涼寺なので「五台山清涼寺」というようなもので、山号に特別の意味はありませんでした。 ですから初めて仏教が日本に伝えられた飛鳥・天平時代に造られたお寺は平地に建てられていたために山号はついていません。 日本で一番古いお寺は蘇我稲目が自分の邸をお寺にした向原寺ですが、ここに山号はありません。   後代になって、天台宗・真言宗がその修業の場を求めて山岳にお寺を建てるようになって、山号がつけられるようになりました。 比叡山延暦寺や高野山金剛峰寺などが有名です。 鎌倉時代になって、建長寺や円覚寺など鎌倉五山のように中国の五山にならって山号をつけるようになってから、平地のお寺でも山号をつけるようになりました。 この場合の山号は山の名はありませんので、そのお寺を興した開基、あるいは開山の人にちなんだ名とか、末永く栄えてほしいという願いを込めたおめでたい名の山号がつけられています。 余談ですが、寺というのは中国の呼び名で、インドではお坊さんたちが住んでいた場所は「精舎」と呼ばれ、地名やその精舎を寄進した人の名はがつけられていました。 祇園精舎や竹林精舎がそれです。 中国で「寺」というと、外国の使臣を接待する役所の名前で、いまでいう外務省にあたるところでした。 後漢の明帝の時代に、インドのお坊さんの伽葉摩騰・竺法蘭の二人が中国に仏教を伝えに来た時、はじめは鴻驢寺に住んでいましたが、翌年に白馬寺を建ててそこに移り、仏教を伝えました。 この時から仏教の道場を寺と呼ぶようになったそうです。 寺の字を「てら」と読むのは、朝鮮の言葉で礼拝所のことをチャルというところから転化したものだそうです。 ご参考までに・・・。

なぜお彼岸にぼた餅をつくるのですか?

なぜお彼岸にぼた餅をつくるのですか?

春のお彼岸は牡丹餅といって餅米と粳米を混ぜて粗くついた餅に餡をつけたものをさし、秋のお彼岸は餅米をたいたものを丸めて黄粉をまびしたものをおはぎというので、春の牡丹と秋の萩の花にちなんでそれぞれそのように呼んでいるという説もありますが、本当のところは分かりません。 日蓮上人が文永八年竜ノ口法難に遭い、鎌倉の大路をひき立てられていくとき、桟敷の尼がとるものもとりあえず、飯を丸めて手近にあった胡麻をまぶして聖人に献じたという伝説があり、今日これを「首つなぎのぼた餅」といって九月十二日の竜ノ口法難会のときにはそれぞれお仏壇にお供えする慣わしになっていますが、ぼた餅もおはぎも別のものではなく、一つのものの呼び名です。  古く鎌倉時代には「かい餅」といって、お米の粉や麦・粟の粉を水でこねてお餅のようになるまで煮たものが一般に食べられていました。 「徒然草」に北条時頼公が鶴岡八幡宮のお参りのついでに足利義氏の邸に立ち寄ったとき、「一献は打鮑、二献は蝦、三献はかい餅にて止みぬ」とその応接ぶりが書かれていますが、その質素さは驚くほどです。 そのときの「かい餅」は今のそばがきのようなものであったとも受け取れるのですが、この「かい餅」の「かきねり餅」の手法が餅米を粗くつき丸めたぼた餅に伝えられているわけで、いつ頃から「かい餅」から「ぼた餅」になったのかは分かりません。 今と違って砂糖などが貴重品の時代には、ぼた餅は特別のご馳走だったわけです。 今の恵まれすぎた時代で本当の有り難さを忘れかけているときに、今一度昔の人々がお彼岸に仏さまやご先祖さまにお供えした心をよく考えて、反省の機会にしたいものです。 ご参考までに・・・。

塔婆を立てると功徳があるのですか?

塔婆を立てると功徳があるのですか?

墓地には塔婆が付きものですが、これは元々インドで仏舎利を埋葬したストゥーパという仏塔に起源を持つものです。 サンスクリット語のストゥーパを音写して卒塔婆といいますが、一般的には略して塔婆と言われています。 インドのストゥーパは饅頭型の塔で、五重塔などの最上部に見られる相輪はこれを模して造られたものです。 そしてこのストゥーパをさらに象徴的に表わしたのが、私たちが墓地で見かける塔婆で、日本独特のものです。 これは細長い板に梵字(インドの文字)や経文・戒名などを書いたもので、板塔婆と呼ばれています。 現在ではこの板塔婆を塔婆・卒塔婆と呼び、インドのストゥーパや五重塔などは「塔」といって区別しています。 仏教では仏をはじめとする万物はこの五輪からできており、死んだ人の肉体は五輪に分解されて仏と融合すると考えられています。   日本では五輪をかたどった五重塔というものが造られ、鎌倉時代頃からは武士の間で墓石として用いられました。 五重塔を墓標とすることで、死者が無事に成仏することを願ったのです。 五重塔は下から方形・円形・三角形・半円形・宝珠形(桃の実の形)の石を積み上げ、それぞれ地・水・火・風・空を象徴したもので、卒塔婆の上部にある刻みはこの五重塔の形をかたどって簡略にしたものなのです。 塔婆を立てるのは追善のためです。 追善というのは、死者の冥福を祈ることです。 つまり生存者が死者に代わって善事(善い行ない)を追加して行なうのです。 四十九日や百箇日・一周忌などの年忌法要を行なうか、または仏像や塔を建て金品を布施することが全て死者のための追善になるのです。 経典には塔を建てると無上の功徳があると説かれていますが、五重塔などはかなりの資力がなければ個人で建立することは不可能です。 そこで誰もが手軽に建てられる板塔婆が普及したのです。 板塔婆にも五重塔と同じ功徳があります。 だから塔婆を建てることを建物と同じように「建立する」というのです。 ご参考までに・・・。

「墓地使用規則」とはどういうものですか?

「墓地使用規則」とはどういうものですか?

「墓地使用規則」とは、墓地使用上の法律のようなものです。 墓地を購入する際には代金を支払って永代使用権(地上権のみのことで、永代にわたって墓地として使用する権利)を手にいれます。 その際に使用承認書(証)や使用許可書という証書を引き替えにもらいますが、その使用承認書や使用許可書に書かれています。 これは土地の売買の際の権利書に当りますので必ず保管しておいて下さい。 使用者が死亡した際は継承の手続きにも必要なものです。 霊園によっても異なっていますので、墓地購入時にきちんと読み、納得した上で購入しないと誤解から大変なトラブルが生じる例も少なくありません。 特に誤解が生じるケースは、永代使用料を支払っているのだから土地を購入したと思い、その権利が永久に取消にならないと考える点です。  使用許可書には「使用承認の取消し」に関する条項が記載されていることが一般的です。    ① 三ヶ年以上管理料を納めなかった場合 ② 使用承認を受けた日から五ヶ年管理者の承認なく使用しないまま放置した場合 ③ 使用名義人が死亡した日から三ヶ年を経過しても祭祀を継承する者がいない場合 ④ 使用者が承認を受けた目的以外に使用した場合 ⑤ 使用者が使用場所を第三者に譲渡又は転貸した場合 ⑥ その他本使用規則に違反した場合   このように、管理料をきちんと毎年納入しなければ「永代使用権」がなくなってしまったり、工事規則に従わなかったりしても、権利を失うことがあるのです。 それ以外にも霊園によっては返還の際の規則や、いかなるばあいも返金しない等の条項がある霊園も多いのです。 つまり墓地の購入に関しても、あくまで契約であると考え、使用規則書を熟読し、納得した上で契約をしなければならないのです。 寺院墓地の場合は、使用承認書や許可書を発行していない場合もありますし、使用規則がない場合もあります。 その際には自分の権利の内実と檀家としての義務について、きちんとご住職に確かめ、後で誤解から大きなトラブルが生じないように努力しておくことが大切です。 ご参考までに・・・。

厄年って何ですか?

厄年って何ですか?

厄年というのは、災難や障害がふりかかる年齢という意味です。 一般的に男性は25歳と42歳、女性は19歳と33歳が厄年と言われています。 ことに男性の42歳と女性の33歳は大厄と言われており、生涯のうちでもっとも注意しなければならない年齢であると言われています。 この厄から逃れるために年頭に寺や神社にお詣りをするのですが、大厄である42歳はその前の年を前厄・当年を本厄・後年を後厄(女性の場合は32歳が前厄・33歳が本厄・34歳が後厄)といい、前後3年間を厄の年として正月・5月・9月にお詣りをして厄除けを御祈願するということが行われています。  この厄年の由来について、42歳は42(しに)という響きから「死」を連想して忌むのであり、33歳は(さんざん)の言葉の響きから「散々苦労する」ということを連想してその年を忌んでいますが、男女共に体調が変化して老化現象の始まる年齢をさしているようです。 古い文献では、13・25・37・61・85・99歳を厄年とするものや、49歳を加えているものもありますが、厄年は「役年」であるという説もあります。  その説によると、一定の年齢に達した者がお祭りの行事の諸役として村落共同体の中での一定の地位を与えられることを意味し、その祝い年であるというのです。 神事に参加するために心身の清浄を保ち、身を謹んで無事に奉仕できるように祈った風習だったのですが、近年では祭りの組織や社会組織などの結びつきがだんだんと不明確となって、年齢だけが残されて別の意味が与えられるようになったとも言われています。。 厄年がばかりに気をとられていては、それだけで終わってしまいます。 「災い転じて福となす」の諺どおりに厄を落とす祈願も結構ですが、厄を転じて福となせるようにお力をお貸し下さいとお祈りしてみてはいかがでしょうか? ご参考までに・・・。

花まつりって何ですか?

花まつりって何ですか?

4月8日、寺院では春の花をいっぱい飾り付けた小さな花御堂の中に浴仏盆とよばれる水盤を置き、その中央に誕生仏を安置して竹の柄杓で甘茶をかけてお参りする光景が見られます。 これが「花まつり」で、お釈迦様のお誕生をお祝いする行事なのです。 本来は仏生会・灌仏会・降誕会・竜華会などと言われており、「花まつり」と呼ばれるようになったのは明治45年からです。  お釈迦様はインドのカピラ城(現ネパール領)の執政官浄飯王と摩耶夫人の間にお生まれになりました。 お二人はなかなか子供に恵まれなかったのですが、摩耶夫人が夢で白象が胎内に入るのを見て懐妊しました。そして誕生されたのがゴーダマ・シッダールダ、お釈迦様でした。 紀元前463年のことです。 伝えによると摩耶夫人が爛漫と咲いている無憂樹の枝に手を差し伸べた時、右腋下からお釈迦様が誕生し、東西南北四方にそれぞれ七歩歩まれて、右手を上に左手で地をさして「天上天下唯我独尊・三界皆苦我当救之」と言われたといいます。 この時の姿を像にしたのが花御堂におかざりする誕生仏です。 七歩歩まれたというのは、迷いの世界である六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)を越えられたということを象徴的に表現しているとともに、七という数字は永遠を表わす意味があるといわれていますから、七歩歩むということはお釈迦様が人々の苦しみを救うために永遠に歩み続けるということを示しているわけです。 またこの時に九竜が産湯がわりに香水を天より降らしたということにちなんで、甘茶を誕生仏に注ぐわけで、ここから「灌仏会」という名称もおこっています。 「天上天下唯我独尊」の言葉は、人々の苦しみを救う者としての表明です。 また白象に乗って摩耶夫人の胎内に入ったという夢にちなんで、花まつりのとき白象が登場するわけですが、象はインドでは高貴な人の乗り物で、白は最上・最善の意味がありますから、最も優れた人ということを白象という表現で示しているのです。 お釈迦様のお誕生というおめでたい出来事の陰になっていますが、悲しいことに実母の摩耶夫人は七日目に亡くなられました。 生母に死別したことがお釈迦様が長ずるに及んで、心の中に大きな疑問・問題をなげかけました。 母への思慕から人間の「死」という事が常に青年釈尊の心をとらえ、やがて生・老・病・死という人生の根本苦を解決するために、お釈迦様は出家されます。 母の死という悲しい事実を踏み台として、そこを足場に大きく飛躍されたわけで、絶対的な悲しみ、絶対的な楽しみというものはないと仏教で説く所以です。 ご参考までに・・・。

十三詣りって何ですか?

十三詣りって何ですか?

七五三が関東地方の風習として始まったのに対して、関西地方には「十三詣り」という風習があります。 「十三詣り」とは、陰暦の三月十三日に数え年で十三歳になった子供(男女共)に両親が付き添って京都の嵐山にある法輪寺のご本尊虚空蔵菩薩様に御詣りし知恵を授けて頂く風習です。起源は比較的新しく、安永二年(1773年)がはじめてであると伝えられています。  この十三歳という年齢は、男女共に身体的にも生理的にも子供から大人になる時期で、精神的にも動揺が多い時期です。 この時期に両親と連れ立ってお詣りし、心身共に健康であるようにと手を合わせることは、とても有意義だと思います。 このお詣りの帰り道に渡月橋を渡りきるまでに後ろを振り返ると授かった知恵を返してしまうといって、決して後ろを振り向かないという風習があります。 これは決められた約束事をこの年齢に達した子供は守らなければならないという躾の一つであり、教えでもあります。  京都ではこの時期から衣服を本身に改めるところから、十三詣りのことを「本身初め」ともいわれています。 お寺様には白無地の金封か、黄白の水引のかかったもので、表書きは「御供」「御法禮」「上」などを書いて納めて下さい。 祝の儀ということで赤白の水引のかかったものを使用してもかまいませんが、その場合は生ぐさである「のし」はつけないように注意して下さい。  しかし三月・四月の日曜日など休みの日は人出も多く込み合いますのでお金を裸のままで納めても非礼ではありません。 十三歳になられたお子様の家にお祝いを差し上げる場合は、のし付きの赤白の水引のかかったものに「十三詣御祝」または「本身初御祝」と書けばよいでしょう。 ご参考までに・・・。

なぜ節分に豆を撒くのですか?

なぜ節分に豆を撒くのですか?

旧暦では立春が年初であり、新暦の二月四日が旧暦の一月一日で元旦にあたります。 ですから新暦二月三日の夜には「鬼門」が発生するため、鬼を排除する必要(追儺)が生じるのです。 本来節分は迎春の儀式や呪術と思われていて、春は五行では木気に配当されますが、その木気が苦手とする物が金剋木の理から金気なのです。 そこで金気を封じるために豆を撒くことが行われたのです。  金気を剋する物、つまり火剋金の理から火気の性質を持つ行為または呪術が求められたのです。 節分に使われる豆は金気に配当されますので、その豆を火で煎るという行為(火剋金)が発生し、煎られた豆を投げつけ、痛めつけるという行為が鬼門封じになったと考えられています。 豆撒きは年男・年女か、その家の主が「鬼は外」を2回、そして「福は内」を2回するのが通常習わしです。 ご参考までに・・・。

賽銭箱に「喜捨」と書いてあるのは、何故ですか?

賽銭箱に「喜捨」と書いてあるのは、何故ですか?

お寺や神社にお参りする時、お賽銭をあげてから拝みますが、お賽銭は祈願に対する代金ではありません。 お参りをした後、後日何かの時の費用に少しですがお役に立てて下さいという意味でお賽銭をあげるのです。 お賽銭箱のところに「喜捨(喜んで捨てる)」とあって、疑問に思われたのでしょう。 「捨」とは慈・悲・喜・捨の四無量心の捨無量心で、執着しないということです。 「捨」はお布施のことなのです。 お布施というと、すぐに「あげること」と考えられますが、本当は「させていただく」という感謝の行為が「施」なのです。 「施」は「むさぼること」で、「欲しがらないこと」「こだわらないこと」です。 私たちが要らなくなった物を捨てる時、その物に心を残して捨てますか? どうでもいいと思うから捨てるのです。 即ち、その物に対して「執着する心」がないから捨てるのです。 「喜捨」は「浄施」とも言います。 「ありがとうございました。 どうぞ何かの折にお役立て下さい」という心であげるのがお賽銭です。 喜んで供えさせてもらうので「喜捨」というのです。 ご参考までに・・・。

お墓を相続するのにお金はかかりますか?

お墓を相続するのにお金はかかりますか?

お墓を相続する場合、相続税などの税金は一切かかりません。 承継するための手続きに関する費用のみがかかります。 たとえば東京都立霊園の場合は、以下のものが必要です。 ① 名義人の死亡が記載された戸籍謄本 ② 承継人の戸籍謄本(六ヶ月以内のもの) ③ 承継人の実印と印鑑登録の証明書(三ヶ月以内のもの) ④ 承継使用申請書および誓約書 ⑤ 霊園使用許可証 ⑥ 葬儀の時の会葬のハガキ(挨拶状) ⑦ 葬儀の時の領収書(原本) ⑧ 手数料1600円 ⑨ 郵送料470円(新許可証を郵送希望の場合必要) このように、わずか2070円の費用で承継の手続きができます。 死亡した名義人との関係によっては、その他の書類(除籍戸籍謄本や同意書・指定書や印鑑証明など)が必要になります。 民営霊園の場合は、それぞれの霊園規則による承継書類の提出と手数料(5000円程度)が必要となります。 名義人との関係を示す戸籍謄本の提出を義務づけている霊園が多いのですが、名義人の葬儀時あるいはその後すみやかに名義変更を行うためには、管理事務所か指定石材店などに必ず事前に問い合わせを行い、書類を揃えておいて下さい。 承継の際に改めて永代使用料を支払うこともありませんので、非常にわずかな費用で祭祀財産であるお墓を受け継ぐことができるのです。 手続きだけは、きちんとしておきましょう。   お墓は代々にわたって使用することができる大切な財産です。 承継後も、毎年管理料や寺院墓地であれば、護持会費を支払わなければなりません。 維持するための知識、費用に関する配慮も大切です。 また寺院墓地では、嫁ぎ先の姓に変わっている娘がお墓を継ぐ場合、姓が違うため入檀料を改めて要求される場合もあるそうです。 一人娘だったり、女性だけの姉妹の場合は両親の死後、お墓の承継問題について名義人自身が生前にご住職に相談しておくことをお薦めします。 ご参考までに・・・。

改宗を機にお墓の改葬をしたいのですが、どうしたらいいのですか?

改宗を機にお墓の改葬をしたいのですが、どうしたらいいのですか?

まず今までの菩提寺に行ってご住職にご自身の意志をはっきりと申し上げ、ご先祖のお墓を改葬したい旨を申し出て下さい。 そして墓地の所在地の区役所(町役場)や保健所に行き、改葬許可申請書をもらって所定の事項を書き込みます。 この時に現在埋葬されている遺骨の火・埋葬許可証があればいいのですが、菩提寺にお聞きしてもし保管してあればそれを頂き、ない場合は菩提寺のご住職に亡くなった方の法号(俗名)・死亡年月日を書いて、お寺の墓地に埋葬してあることを証明して頂きます。 これらを持って役所に行き、改葬許可をもらいます。 あくまでもこれは現在埋葬されている墓地を掘って、遺骨を取り出してもよいという書類です。 この書類を持って菩提寺に行き、ご住職立会いのもとに墓地から遺骨を取り出します。お骨がない場合はお骨のかわりに墓地内の土を出し 土葬の場合は改めて火葬にしなければなりません。 いずれにしても墓地からお骨を取り出したら、お経をあげて頂きましょう。 そして今までお世話になったご住職(菩提寺)に、ご供養して頂いたお布施とは別に、少しまとまった額の「祠堂金」をお納めして、お礼の心を表わして下さい。 新しい墓地に埋葬する時は、新しい菩提寺のご住職にお願いして、ご供養して頂いてから墓地に埋葬します。 その際、旧墓地から貴方のお家のご先祖の全部の過去帳を書き写して頂いたものと、役所でもらった改葬許可証を新しい菩提寺に提出して下さい。 お墓は自分の家の墓地とはいえ、自分勝手にいじることはできません。 遺骨を埋葬したり、改葬するときはもちろん、墓石の修理や現状の変更など、どんなことでも管理者であるご住職や墓地の管理責任者の承諾なしにはできませんので、くれぐれもご注意下さい。 ご参考までに・・・。

無縁墓になるとはどういうことですか? 

無縁墓になるとはどういうことですか? 

法律上「無縁墓」とは、「葬られた死者を弔うべき縁故者がいなくなった墳墓」のことです。 最近は少子化でお墓の跡取りがいないなどの事情から、無縁墓の増加という現象が起こっているようです。 この無縁墓とされることには法律上の規定があり、寺院や霊園にあるお墓を「無縁墓」として処理するためには次のような手順をふむ必要があるのです。 ①・・死亡者の本籍・氏名ならびに墓地使用者・死亡者の縁故者・無縁墳墓に関する権利を有する者に対し、一年以内に申し出るべき旨を官報に掲載する。 ②・・①と同じ内容の書かれた立て札を、お墓の見やすいところに一年間設置しておく。 ③・・①②のことを行って、名乗りでる者がなければ、必要書類(官報の写しと立て札の写真・墓地の写真・その他)を市町村長に提出する。 以上の手続きを行って「無縁墳墓」と認定されれば、墓地側で改葬することができるのです。 しかし手間や費用がかかって大変なため、民営霊園では「一定の期間、管理料を納めない場合は使用を取り消す」という墓地使用規則を設けて、無縁墓にするというところもあるようです。 無縁墳墓と認定されると、遺骨はお墓から取り出され、墓地にある無縁供養塔などに他の無縁仏と一緒に納められますので、知らない人と一緒に納められるのは嫌だと思うなら、自分が死んだ後のお墓の行方について生前に考え、第三者に委託するなどの対策をとっておくことをおすすめします。 ご参考までに・・・。

お彼岸の意味を教えて下さい。

お彼岸の意味を教えて下さい。

日本の仏教行事の代表的なものとして、お盆の行事にならんであげられるのが春と秋の彼岸会(ひがんえ)です。 春の彼岸には、春分の日を中日として前後三日ずつの一週間、秋の彼岸は秋分の日を中日として、やはり前後三日ずつの一週間を「お彼岸」と言います。 各寺院では、読経法要や法話などが営まれ、一般家庭では佛道精進の日として、ご先祖様のお墓参りなどをします。  彼岸は、インドの言葉パーラミター(波羅蜜多)の訳語「至彼岸」の略です。 至彼岸とは、「比の岸」即ち人間の苦しみ・恨み・悲しみ・喜びなどが混在している迷いの多いこの世界から、「彼岸」即ち仏様の世界・迷いのない理想の世界へと自分を高めて、永遠の「楽」の世界へ到達しようと努力することなのです。この仏様の世界へ至る実践徳目として、 ①布施:ものをさしあげること。心に安らぎをあたえること。 ②持戒:身をつつしみ、つねに反省すること。 ③忍辱:平静にして耐え忍び、怨まない、悪心をいだかないこと。 ④精進:良いことをし、悪いことをしないように努力し続けること。 ⑤禅定:感情を鎮め、心を安定させること。 ⑥知恵:すべての命を生かしている、大いなる命を把握すること。 があり、大乗仏教ではこれら六つの実践によって悟りの世界(彼岸)に到達すると説かれています。 したがってお彼岸の一週間は、お墓参りや先祖供養をするだけの行事ではなく、本来ならば毎日毎日を心して過ごさなければならないのですが、ともすると怠りがちな私たちに思いおこせよと自覚と反省を促すために設けられた、私たち自身の修行のための行事なのです。 ご参考までに・・・。

お盆の意味を教えて下さい。

お盆の意味を教えて下さい。

お盆の正式な呼び方は「盂蘭盆会」(うらぼんえ)と言い、インドの古い言葉です。 梵語ではウランバナと言います。 『盂蘭盆経』という経典によると、お釈迦さまのお弟子の一人に目連尊者が、亡くなった自分の母親にもう一度会いたくなり、神通力でその往く先を訪ねたところ、母親は餓鬼界で苦しんでいました。 お腹は太鼓のように膨れ、手足は骨と皮、目玉が飛び出さんばかりの醜い姿です。 餓鬼界にいていつも食べ物に飢えている母親の状態を見て驚いた目連尊者は、鉢にご飯を盛り上げ母親に差し出します。 母親はわが子に会えた喜びよりもご飯に飛びつき、口にしようとしようしますが、ご飯はたちまち火となって母親を苦しめます。 目連尊者がお釈迦様に母親の苦を救う方法を尋ねたところ、「七月十五日に多くの僧たちに食べ物を施し、供養しなさい」と教えられ、その通りにして目連尊者は母親を餓鬼界の苦しみから救うことができたのです。 これによって盂蘭盆会の行事が行われるようになり、日本では約千四百年前の推古天皇十四年、寺ごとに七月十五日に斎会を設けたのが盂蘭盆会(お盆)の由来であり、施餓鬼供養のはじめともいわれています。 また、目連尊者が餓鬼道から母親を救った嬉しさのあまり、小躍りして喜んだのが、盆踊りのはじまりだともいわれています。  お盆は七月十三日から十六日(月おくれは八月十三日から十六日)までで、十三日の夕方に「迎え火」をたいて、仏壇とはべつに設けた「精霊棚」にご先祖様の精霊をお迎えして、果物や菓子・ご馳走をお供えしてご供養します。 そして十六日の夕方には「送り火」をたいてご先祖様の精霊をお送りしますが、この間に故郷を離れていた家族の人々が帰ってきて、共にご先祖様の精霊をご供養するといった風習が、八月のお盆の帰省ラッシュの現象となってあらわれているのです。 ご参考までに・・・。

「共同墓」について教えて下さい。

「共同墓」について教えて下さい。

最近では、家族形態やライフスタイルの変化に伴ってお墓のあり方が多様化しています。その一環として「共同墓」や「個人墓」を求める声が増えてきました。「共同墓」とは、お墓の跡取りがいないなどの継承者問題を抱えた人のために登場したものです。形式は様々で、共同体や市民団体が運営するものや会員組織にして維持・管理するものなどがあり、入会の条件をはじめ、システム・費用など多種多様です。また永代供養墓の合葬形式(通常の墓石を建てず、他の遺骨と一緒に合葬される形式。最初から合葬される場合と、一定期間納骨堂で預かった後に合葬される場合がある)も、同様と考えて良いでしょう。 「共同墓」のメリットとして、個人でお墓を作るより費用が安くてすむという点やお寺が永代(期限付きも有)面倒を見てくれたりすることにより無縁にならなくてすむという点があります。ただ、どのような形態になっているのか実際に自分の目で確かめるのをお薦めします。近年は、共同墓といっても納骨は別々に行う事ができるものも出てきています。 さらに共同墓でも気の合った友人と一緒に入る、位牌ともに二人並べて祀ってもらうことができるものまであります。今後、どのような形態のお墓を選択すればいいのか考えるときに「あなたは自分の人生にどういう思いやこだわりをもってきたのか」とういことから考えてみて下さい。あなたが生涯生きてきた軌跡を表現し安らかに眠りたい、家族や友人知人にもお参りしてほしいと考えるなら「家族墓」や「個人墓」がお薦めです。子供もいないし、お墓を建立しても継いでくれる人がいない場合は永代供養付きのお墓を選べば安心です。今は情報が溢れている時代です、きっとあなたのニーズに合った「お墓」が見つかるはずです。 ご参考までに・・・。

墓石にはどのような文字を刻めばいいのですか?

墓石にはどのような文字を刻めばいいのですか?

墓石の形が決まったら、次に墓石に刻む文字を決めなければなりません。この文字は、「一基一霊」か「一基合祀」かで異なってきます。本来、墓石は一基一霊の単独墓で、新仏が出るたびに建てるものでした。この場合は正面に戒名(法名)を刻み、俗名や没年月日・生前の業績などは、側面や裏面に刻むのが決まりでした。 しかし近年では、広い墓地が必要になる単独型は少なくなり、家族の遺骨を一緒に納める一基合祀が一般的です。合祀墓の墓石の正面に彫る文字は、「○○家之墓」や「○○家先祖代々之墓」「○○家先祖累代之墓」等が多く使われています。また、「南無妙法蓮華経」「南無阿弥陀仏」「南無釈迦牟尼仏」等の題目や名号を彫ったり、「倶会一処」等の経文を彫る場合もあります。 この場合、故人の戒名(法名)・俗名・死亡した年月日等は、墓誌や墓石の裏面・側面に刻みます。合祀墓の一つに「夫婦墓」あるいは「比翼塚」といわれる墓があります。夫婦で一基の墓に納まるもので、例えば夫が先に死亡した時、妻も一緒に戒名を(法名)を刻んでおき、妻の部分を朱で塗っておきます。そして本人死亡の際に朱色を落とし、元に戻すか黒色に塗り替えるのです。この墓を建てるには、生きてる人の戒名(法名)が決まっていることが前提となります。 ご参考までに・・・。

以前に購入したお墓がありますが、住まいから離れています。移転を考えていますがどのようにすればよいでしょうか?

以前に購入したお墓がありますが、住まいから離れています。移転を考えていますがどのようにすればよいでしょうか?

こういったことを最近とても耳にする事が増えてきました。このように考えておられる方は、仕事の都合や結婚にともない故郷を離れてしまった方や両親が2~30年前に購入した郊外型の霊園にお世話になっておられるなどから多く聞かれます。お墓を持つということは永代の使用料(借地権)を支払うということです。ですから都合で移転をしたいと思っても返金されるケースは非常に少ないのが現実です。しかし墓地の形態によって事情は色々あります、お寺さまや霊園管理者に相談される事がよいでしょう。特に最近多いのが2~30年前に両親が購入した郊外型の霊園からの移転を考えておられる方が増加してきたようです。これは連れ合いを亡くし一人でお参りに行くには交通の便が悪く子供に頼むのも頼みにくいといった事情がありそうです。 遺骨を埋葬されているケースと未使用の未埋葬の墓地では移転にともなう手続きに大きな違いがあります。すでに埋葬されている場合は、遺骨を移す際に受入地の墓地を確定しないと返還できませんし勝手に遺骨を持ち出す事も不可能です。新墓地の受入証明書(使用許可証)が必要ですしそのうえ旧墓地に石碑がある場合は解体処分費や移設の際の費用も考えておかなければなりません。墓地の近くの保健所や区役所などで所定の手続きも必要です。 いままでお参りをしていた石碑は、新しい墓地に持ち込める事も十分考えられますので石材店に相談される事がよいでしょう。いずれにせよ年をとって自分や家族のニーズが「墓参は近くで」と考えられているのであれば費用もかかる事なので跡を継いでくれる子供とともに余裕を持って計画を立てて望む事が必要でしょう。家族の財産をより良い形で活用するためにどうすればよいか寺院や霊園、石材店などと相談してみて下さい。 ご参考までに・・・。

京都の基本形

京都の基本形

京都の基本形  (今月は仏事からちょっとはずしてみました。)   京都の存在理由     《時節の移り変はるこそ、物ごとにあはれなれ》 日本の季節感・四季意識が悠久の歳月をかけて京都を母体に培われました。その母体が生み出した文化・風光を、東京によってデフォルメされずに、いつまでも京都から発信していく。変わらない事の大切さその発信にこそ、京都のアイデンティティー(存在理由)があるのではないでしょうか?   端午から祇園祭へ 現在の端午の節句は五月五日ですが、旧暦では四十日ずれて六月十五日ごろになります。いよいよ梅雨の長雨を目前に生活様式を疫病・食中毒予防型に切り替える、節目・区切りの日でした。祇園祭は梅雨明けをむかえて病魔を駆逐し去り、戻ってきた太陽を謳歌する行事でした。暦を変更した事により祭事や習慣が今の生活にそぐわないものとなり 先人の知恵や知識が活かされない生活様式になってしまった事は大変残念です。   京都三大祭は太陽暦に直して執り行われています。 祇園祭神輿洗い   五月三日(旧暦)-七月十日(太陽暦) 鉾立て(真木立て)六月一日(旧暦)-七月十一日(太陽暦) 山鉾巡行六月七日(旧暦)-七月十七日(太陽暦)   夏から秋への京ごころ     やすらいー葵祭ー端午ー祇園祭ー夏越の祓え(なごしのはらえ)-七夕ー盂蘭盆ー八朔(はっさく)-中秋ー十三夜   現在の七夕は、梅雨の真っ最中で”天の川”なんて見えるほうが不思議なくらいですが、旧暦では八月十七日ごろ秋の気配が空に現れてきた頃のあたります。今年は皆さん旧暦でとてもきれいな”天の川”を見てみてはいかがですか?   暦の事情     二十一世紀は経済的尺度だけに依存する価値観や生産性ばかり追い求めてきたことから脱却して、四季を持ったわが国が平安京以来、自然と共生することを大切にしてきたことを今一度見つめなおす世紀です。生活の暦を意識するところに伝統行事などをも見つめ直し、「共生」の自覚を養いたいものです。 わが国は持統四年(690)、中国の暦をもとに太陽太陰暦(旧暦)をつくり、千二百年間用いていました。現行の太陽暦(グレゴリオ暦)は時の大蔵大臣大隈重信によって明治五年(1872)十二月三日に施行され、この日が明治六年元日となりました。旧暦と現行暦の間には、平均四十日の偏差があります。   ツロク・テコ・スイ・ハンナリ   (京言葉あれこれ) ツロクとは釣り合いの事。時と処をわきまえて、そこに釣り合うよう心がけるという意味です。今風にいうとTPOをわきまえるということです。テコとは梃子。仕事にも行為にも人それぞれの能力にツロクした程合い・加減があるという意味で、その程合いと加減がテコである。能力以上のことや無理なことは”テコ”に合わんと言います。スイ(粋)はイキ(粋)とはかなり違います。イキは「意気」という身構えを含みますが、スイは身構えを脱し、見て呉れ(体裁)をつくらず、すっきりと垢ぬけするという意味です。ハンナリは「花なり」の転化です。時と処にふさわしく、しっとり落ち着いて決して目立ちすぎず、ほのかに匂い立つよう映えるさまがハンナリという意味です。ケ(普段)は地味にもちこたえ、ハレ(晴・行事)にナンナリと映え、スイに一年を暮らしとおす。

戒名は絶対つけないといけないのですか? 相場はどれくらいですか?

戒名は絶対つけないといけないのですか? 相場はどれくらいですか?

人が亡くなったときに戒名をつけるのは、仏教的な意味では必要だといえます。しかし仏教を信じていないのなら戒名は必要ありません。仏教的世界観では、六道輪廻の中で「人間」に生まれたこの世で「悟り」を開かなければ成仏できないと考えられています。そのため、生きている間に仏の弟子にならなければなりません。仏の弟子には、導師(仏教上の導き手)・僧侶によって授戒する必要があるのです。仏の名前が「法名」で「戒名」と同じ意味です。 本当は生きている間に「法名」を頂かないといけない訳ですが、通常私たちは雑事にかまけて宿題を果たさないまま死んでしまうのです。だから葬儀を行う際に「戒名」を授け、死出の旅路を心配なく「極楽浄土」へ向けさせたいと遺族が思うのでしょう。しかし、葬儀は付近のお寺や葬儀社手配で行い、後に田舎の実家のお寺の住職に戒名を頂く場合などは俗名のままの葬儀となります。 戒名は仏の位によって授けて頂くための金額が違ってきますので、お寺の住職に聞いてみると良いでしょう。元来値段があってないような戒名は、これからもお世話になるお寺に対する「御礼」の意味と、檀家としてお寺を維持する「寄付」といった意味を含むのでしょう。戒名の位が下であっても成仏しないわけではありませんのでお寺との今後の関係を考え、できる範囲ですれば良いのです。 戒名は個人の仏教的世界観・死生観上の問題です。仏教とは無縁、宗教とは無縁だから戒名は必要ないと言って、俗名で葬儀を行う人も少数ですが出てきました。戒名が高いか安いかではなく、自分の立脚する宗教的な立場を明確にすることが必要なのではないでしょうか? ご参考までに・・・。

密葬という言葉をよく聞きますが、具体的にどういう形なのですか?

密葬という言葉をよく聞きますが、具体的にどういう形なのですか?

密葬とは、葬儀をしないことではありません。社会に対して告別式を行うという告知をせずに、家族だけや特に親しい友人だけでひっそりと執り行うことです。普通は会社関係・一般会葬者の方々が「告別式」にやって来ますが、その告別式を行わないことなのです。家族・親族・親しい友人の範囲だけの葬儀と考えて下さい。 密葬を行うことになった場合の手順ですが、①葬儀社との打ち合わせ(見積もりをとる)が必要です。密葬を自宅で行うのか、葬儀ホール(最近は密葬用の小部屋が用意されてることも多いので、必ず聞いて下さい)を使用するのかを決めることも大切です。②自宅の場合、近隣の方々へは”故人の遺志”で密葬する旨を伝えて下さい。会葬は、とりあえず御遠慮することも告知しておいて下さい。 ③密葬に呼ぶ範囲を決めて下さい。(家族・親族・親しい友人の範囲をリストアップすると良いでしょう)④密葬も葬儀ですから、どのような形で行うかを決めて下さい。密葬を仏教式にするなら、僧侶の手配・戒名の件を考えなくてはなりません。仏教以外の宗教(神道・キリスト教)や、無宗教式もあります。⑤費用に関しては、通常の対社会的な告別式分がいらないと考えて下さい。密葬を行う形によって様々ですが、四十万円前後からと思っておくとよいでしょう。 ただ密葬は、意外と遺族に対する精神的負担が葬儀後に残されるようです。後々「なぜ知らせてくれなかったのか」などと言われる場合もあるそうなので、故人の”最後のメッセージ”が入ったお別れの死出のハガキ(報告書)を作るなどして、郵送することで対社会的にお別れする方法をおすすめします。 ご参考までに・・・。

お墓参りをした経験がないのですが、どのような手順や習慣があるのでしょうか?

お墓参りをした経験がないのですが、どのような手順や習慣があるのでしょうか?

お墓参りの時に用意するものは、①花と線香(樒や、神道の場合は榊を用意しなければいけない時もあります。) ②灯明のためのロウソク等 ③手桶やひしゃく等 ④掃除や植木の手入れのための道具(雑巾・たわし・せんていバサミ・草取りのための軍手類・ほうき等)が一般的ですが、①~③は霊園の管理事務所で借りたり、購入もできるので、自宅から持参しなくてもよいでしょう。お墓が寺院墓地にある場合は、寺院への志や、お茶菓子程度の手土産などの気配りも大切です。   まず、墓地に到着したら掃除を始めます。枯れた花や、燃え尽きた線香などの後片付けをします。草取りをして、墓石は雑巾などで拭いて下さい。水鉢などにたまった水アカはタワシでかき出してきれいにします。墓石をタワシで洗うと、磨いてある面を傷つけてしまうので、さけて下さい。植木も伸びほうだいではいけません。春秋の彼岸に手入れをしておくと、見た目も美しく整った状態になります。 その際、出たゴミは必ずゴミ箱に捨てるようにして下さい。次に花筒を洗い、水をはって花を飾り、お線香を供えます。一人一人お墓に向かい手を合わせてお参りします。水鉢には先祖供養のための水を忘れずに供えて下さい。水鉢が掘られていない場合は湯飲みを供えるとよいでしょう。また、故人が好きだったからと色々な食べ物や飲み物を供える人がいますが、カラスの餌になり、墓石を汚します。供物はすぐに持ち帰り、供養と考えて御自身で召し上がって下さい。 お墓参りと手入れは、高齢者夫婦だけで担わず、子供たちにも早い時期から参加させないと、承継する上で問題が生じる場合もあります。まずは、「親の背中を見て覚える」そういうものではないでしょうか? ご参考までに・・・。

お寺の檀家になっていますが、子供がいないのでお墓を継ぐ人がいません。お寺とどう話し合いをすればいいのですか?

お寺の檀家になっていますが、子供がいないのでお墓を継ぐ人がいません。お寺とどう話し合いをすればいいのですか?

先祖代々の遺骨を受け継ぎお寺にあるお墓を守ってきたが、子供がいない・承継者がいないという不安を抱えている人は少なくありません。それが大きな苦悩になっている人も多いのが現実です。 あなたは年に一~ニ回お寺様にご挨拶に行きますか?お正月やお盆などにお寺様に行く習慣のある人ならば、お寺様のご住職の性格や考え方を十分把握しているはずです。それはご住職とて同じことです。あなたの家族の状況を十分に知り尽くして下さっていれば、話すのも安心です。そんな理想的なタイプであれば、素直にお寺様のご住職に話してみましょう。 子供がいないこと・承継者がいないことの対処方法として、お寺様に永代供養の納骨壇や永代供養墓があれば、あなたの死後そこに移して頂くことも可能です。 逆にほとんどご住職と面識がない場合は、ご挨拶をかねて一度ご住職に会う機会を作ることです。その際、手土産などを持って行き不義理をお詫びした上で困っている”継承者難”を相談すると良いアドバイスを頂けるのではないでしょうか? もし話がこじれることがあれば、第三者に入ってもらうことも得策です。第三者として弁護士を代理人として行うこともできますが、まずは「自分自身で」を基本とすべきと考えて下さい。 ご参考までに・・・。  

友引や仏滅の日に葬儀や法事を行ってはいけないのですか?

友引や仏滅の日に葬儀や法事を行ってはいけないのですか?

コンピューター社会の現在ですが、家を建てる時や何か事をしようとする時に この日は吉・この日は凶などと言って日を選んだりします。人が不幸にあったときが友引にあたると「友を引いていく」という文字の意味をとって、葬儀が続くといけないから日をずらして行うというのが一般的です。その反対に大安は大きな安らぎを得られると言ってお祝い事が集中します。また仏滅は仏様が亡くなった日だから縁起が良くないと言われますが、仏教徒にとっては仏様が入滅されたのは完全な悟りの涅槃に入られたわけですから、むしろ素晴らしくおめでたいことになるはずです。 この友引・大安・仏滅は「六曜」または「六輝」といわれるもので、暦注のなかでは一番歴史が新しいものです。この「六曜」は中国の唐時代の暦算学者・李淳風が作った「六壬時課」が源で、日本には足利時代の末期に伝えられました。そのときは「諸葛孔明六壬時課」として時刻の吉凶占いでしたが、後世になると日の吉凶占いに変化していったのです。   ・先勝 諸事急ぐことによし。午後よりわるし。 ・友引 朝夕よし。正午わるし。 ・先負 諸事静かなることによし。午後大吉。 ・仏滅 万事凶。口舌を慎むべし。患えば長びく。 ・大安 移転開店等万事利あらざることなし大吉日。 ・赤口 諸事ゆだんすべからず。用いるは凶。正午少しよし。   このように友引や仏滅を含めて六曜で示す日の吉凶は、生活にとって何の意味も根拠もありませんので、それに左右されることはありません。まして現在巷間に行われている友引・仏滅は文字の上での語呂あわせにすぎないのです。 ご参考までに・・・。

法事をする時の手順と、注意すべき事を教えて下さい。

法事をする時の手順と、注意すべき事を教えて下さい。

法事はできれば命日の日にするのが良いのですが、最近は来て頂く方々の仕事などの関係で日曜日に行われることが多くなりました。したがって日曜日は法事をされる方が集中しますので、あらかじめ(一ヶ月以上前)お寺さまと相談して日にち・時間を決めて下さい。親戚・縁者の方々にはその後に連絡をとると良いでしょう。その際、日時・場所・どなたの法事であるかをきちんとお伝え下さい。また法事の後にご供養の席を設ける場合は、その場所・時間・列席して頂けるかどうかの確認もしておくと良いでしょう。参列者の人数が決まったら、お寺さまに参列者の人数をお知らせして下さい。卒塔婆の本数なども、あらかじめお寺さまにお知らせしておくと当日に迷惑をかけなくて済みます。お寺さまと約束した時間は必ず守って下さい。ただし早く着きすぎてもお寺さまの準備の都合がありますので、定められた時間の15分ぐらい前には全員がそろうようにしておくと良いでしょう。施主となる方は少し早く到着して、参列して下さる方々をお迎えするようにして下さい。   法事の時ご供養のためにと仏具などを奉納される方がありますが、その時は前もってご住職とよくご相談して下さい。また適当な品物がない場合、お金で「仏具料」として奉納し、あとでほかの方のとまとめて一つの仏具をお寺さまで購入して頂くのも一つの方法です。お寺さまで法事の後にご供養の席を設けた場合は、施主の家族が手分けをして準備・接待・後片付けをするようにしましょう。 しかし地域によってそれぞれの慣習がありますので、お寺さまやご年配の方によく確かめて皆さんに喜んで頂けるようにしたいものです。皆さんに喜んで頂くという良い功徳を、亡くなった方のために身代わりとなって積むのですから・・・。 ご参考までに・・・。

お布施はどれくらい差し上げたら良いのでしょうか?

お布施はどれくらい差し上げたら良いのでしょうか?

お布施とは一般的に僧侶にお渡しするお金と解釈されているようですが、本来布施というのは自分ができることを他人の為にして差し上げるという意味なので、決して金品だけが布施ではありません。                                 しかし現代の寺院は経済の構造の中に組み込まれていますので、寺院を維持し管理していくためにはかなりの経費がかかります。経費がなければ布教はもちろん、寺院の機能を十分に果たすことはできません。具体的な金額は、各自の思いや地方によって異なりますので、一概にこれだけとは申し上げられません。  ・・・が、参考にして頂く為に三つの目安を申し上げます。 まず一つめは、お寺の格式です。町のお寺と本山・大本山とでは、おのずと違いがあります。二つめは法号です。居士・大姉号・院号という法号を頂いた場合には、法号の格式を加味しなくてはなりません。三つめは葬儀の規模です。お導師様お一人の場合とお坊さんに三人・五人と来て頂いた場合とでは、違って考慮するべきでしょう。 目安として葬儀社の費用に準じて考え、その上にこの三つの事柄を加味してはいかがでしょう。 また法事の場合、お寺でとり行う場合と自宅でとり行う場合とでは違いがあります。開眼や納骨を伴うなど色々なケースがあるからです。 ご参考までに・・・。

一大事とは、どういう意味ですか?

一大事とは、どういう意味ですか?

  私たちは何のためにこの世に生まれるのでしょうか?何のために生きていくのでしょうか? 人類の永遠のテーマのようですが、道元禅師はそれを少しでも明らかにするのが仏法者の務めだといいました。 そして、明らかにできなくても、人生を実のあるものにするため賢明に生きる。それこそが「一大事」なのです。   禅寺では「一大事」に向き合い、時間を無駄に費やすことなく修行に励むことを戒律としています。 ただ漠然と無為に日々を過ごすのではなく、今日一日を大切に生きることが、明日をより良くするための第一歩になるのです。   今のあなたに目標はありますか?十年、二十年先はこうなりたいと願う人生設計はありますか?   時の流れは、自分が思っているよりも早いものです。そして、誰にでも平等に老いはやってきます。一度きりの人生を「もっとこうしておけばよかった」と後悔しないためにも、一日一日を大切に生きていきましょう。

放下着(ほうげじゃく)とは、どういう意味ですか?

放下着(ほうげじゃく)とは、どういう意味ですか?

人間とは、所有しているものに悲しいくらい執着してしまうものです。世の中は魅力的な商品の情報であふれ、皆さんの物欲は常に刺激されっぱなしです。あれも欲しい、これも欲しい。買ったものの使わない。でも捨てられない。服、車、お金、住まいなどなど。 皆さんには、執着するものがいったいどれほどあるでしょうか? 「放下」とは、得ることよりも捨てることで幸せになるという禅語です。 余計なものを持たず、すべての執着を捨ててシンプルに自分と向き合ってこそ、心は軽くなります。     皆さんが今、苦しんでいることは何ですか?何かしがみつくものがあると、身動きがとれず息苦しくなってしまいます。つまらない人間関係、思い通りにならない仕事、部屋を占領する衣類。 思い切って捨ててしまうのです。何にもこだわらず、心を無にしたとき、かけがえのない自由が手に入るはずです。