観念とは、どういう意味ですか?
これ以上、打つ手がなくなったとき、人は「観念しました」といって頭を下げます。 人は、追い詰められてからやっと観念するものなのです。しかし、本来の観念は追い詰められてするものではありません。観念は普段からするものなのです。 観念とは、源信の「往生要集」に見られる言葉で、一種の瞑想法です。阿弥陀如来や極楽浄土を思い浮かべ、辛いこの世から早く救われたい、極楽へ行きたいと瞑想することなのです。あるいは、極楽浄土を念じることにより、この世の辛さを耐え忍ぶ力を得るための瞑想のことでもあります。 ですから、追い詰められてから観念したのでは遅いのです。普段から観念していれば、心は常に極楽浄土ですから、どんなときも落ち着いていられるでしょう。 極楽浄土や阿弥陀如来にかぎったことではありません。どのような仏様でも菩薩様でも構いません。辛いとき、苦しいとき、心にその仏様を思い浮かべ、その辛さや苦しさに耐えることができる力を念じましょう。いつも観念してみましょう。 きっと、思いもよらぬ力が湧き出てくることでしょう。